人生について、つらつら思うこと

昨日は季節外れに暑くて、仕舞わずに少しだけ残していた夏物(色とか生地とかデザインとかで初秋でも着られるもの)を着た。今日は一転すっかり秋(雨は余分だが)なので、迷ったが、グレーでも紺でもなく茶色のスーツにした。グレーや紺は春でも良いが、茶色は秋の色である。

このところ来し方を振り返ることがある。全体として悪くなかったなと思えるのは幸せなことであろう。一番大きなことは職業選択を誤らなかったことである。司法試験は必ず合格すると周りの教授達は言ってくれたし、自信もあった。もし合格できる能力がなければ、早々と別の道にしただろう。結婚とかではなく、とにかく自活して精神的に自立することは、私の育った家庭環境下では至上命令であった。別の道も悪くなかったかもしれないが、法曹資格を得たからこそ、珍しい検事(15年のうち訟務検事もアジ研教官も経験できた)になれたし、その後自民党参院議員の声もかかって、得難い6年の経験が出来た。そのあと弁護士として定年のない仕事が出来ているのも、すべてがあの出発点からである。

自分は法律に向いていると思うが、それはきっと持って生まれたものであろう。もっとも父も母も法曹に向いているとは思えないし、親戚一同どこまで見回しても誰一人法曹はいないので、本当に偶然なのであろうが、私がひたすら努力出来たのも、適性あればこそだ。向いていないこと、好きでないこと、やってもちっとも上達しないことには時間もエネルギーもかけられない。なんでも、好きこそものの上手なれである。法律家になったことをただの一度も悔やんだことはないし、来世があるとすれば、また法律家でも構わないと思っている。自分に向いたことを職業に出来たことは、本当に幸せなことである。

こんなことを最近よく思うのは、ちょっとした相談を受けたのがきっかけである。その方は70代後半の男性で、早くに亡くなった息子さんの遺児2人の学資を見ているという。下の子は医者になりたいと言って、国公立大医学部に現役合格したとのこと。立派なことである。しかし上の子は某私立大学法科大学院2年に在籍中で、この度進級試験に不合格だったというのである。私の時代には法科大学院はなかったが、今は大学卒業後法科大学院(日本版ロースクール)に進学し、2年(法学部既修者の場合。その余は3年)修了後に司法試験受験資格を与えられ、5年間受けることができる。もちろん合格者の多くは1年目に合格し、2年目以降合格率は減っていく(小室圭は2度不合格で、おそらく3度目も不合格であろう)。全体に合格率は4割程度、合格者数は年約1500人である(私らの頃はずっと年500人以下で、日本一難しい試験と言われたが)。

医学部が厳しい進級試験を設けていることは知っていた。卒業後医師国家試験に合格しなければ医者になれないし、合格率は直ちにその大学のランキングに直結するからだ。そういうのが日本版ロースクールにもあったとは。彼の場合、さらに1年履修して合格すれば修了でき、晴れて司法試験受験の資格を与えられるというわけだ。聞けば、進級試験不合格者はほとんどいないとのこと。そりゃそうだろう、大学院としては落第者を抱え込まずに卒業させ、あとは司法試験を受験させたいはずである。冷静に考えて、彼の大学院での成績はビリないしその周辺と思われる。身内としては、不合格だった1科目だけが悪かったと思いたいのだろうが、合格点が各50点と低いのであれば、他の科目は80?90点で1科目だけそれほど悪かったとはとうてい思えない。根源は法的センスなので、多少の得手不得手はあるにしろ、科目によってそれほど変わることはない。そして、その大学院修了者の司法試験受験者の合格率は3割だという!(全国平均以下) つまりその大学院で上位3割に入っていないと合格は望めないのである。

他人である私には言いにくいことであったが、親切にも進言した。法律に向いていないと思うと。大学1年生から法律をやって6年目、今後どんな改善が望めるのか。今24歳。すぐに地方公務員の受験資格年齢をオーバーするだろう、司法試験を何度も受けて30歳はあっという間だ。となれば、なんのキャリアもなく、一体どこに就職できるのか。人生を誤ってはいけない。そもそも弁護士=バラ色の人生ではない。司法試験合格者を増やしすぎて弁護士が供給過多になり、就職先もなく、イソ弁の給料も私の時代から上がるどころか下がっているくらいなのだ(そういう当たり前の情報を、相談者も孫も知らなかった)。大学院に進学するときに相談をされていれば、私は止めたと思う。今からでも遅くはない。いち早く方向転換すべきである…。

ところが孫からは、まだ勉強を続けさせて下さいとの返事が来たそうである!? 自分の金であっても壮大な人生の無駄でしかないと思われるのに、細い祖父の脛を囓ることに、良心の呵責を覚えないのか? そんな人間はそもそも法律家に向いてないよ。自分の能力も将来も分からない者が、他人の人生にどう関わっていけるというのだ。相談者も、父代わりを自認するのであれば、今なんとしてでも方向転換させなければ。ただ言うことを聞く、お金を出す、本人の思うとおりにやらせるではなく、苦言を呈して甘ったれの生き方を変えることこそが親としてやるべきことだと私は思う。

日本版ロースクールを設けた理由は、司法試験合格者を増やすからであった。合格者を増やす以上、きちんとした教育をすべきである、で大学法学部の上にさらに屋上屋を重ねる大学院を設置した…。ところが、大学院通学にはお金がかかる。働きながらも無理である。かつての司法試験は働きながらでも受けることができたが、今はそうはいかない。ではそういう人たちはどうするか? というわけで予備試験が設けられた。こちらに合格すれば、大学院に行かなくても司法試験を受験することができる。まあいわばバイパスのようなものである。ところが今やこちらが本流のようになり、優秀な学生は予備試験に在学中に合格して司法試験にも合格する…その合格率たるや100%近いのだ! 裁判官の子弟には法曹組が多いが、予備試験合格者がエリートであり、くっきりと色分けが出来ているという。

司法試験浪人と称して、40歳の今も親(弁護士)の脛を囓ってプラプラしている男を知っている。医学部浪人?か、これまた30歳も優に過ぎて医者の親の脛齧りをしている男も知っている。各同級生は皆それぞれにキャリアを持ち結婚もするから、友人も皆無のはずだ。社会的孤立で、いわば引きこもりに近い状態になる。本人も悪いが親も悪い。親が亡くなれば遺産がたくさん入ってきて困らないと思っているのかもしれないが、そんな考え方自体がもう堕落である。職業は何でもいい、とにかく普通に働いてこその真っ当な人生である。

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『夫に浮気された娘。やり直すための条件を出して…。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2022年10月号

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エリザベス女王ご逝去;ある祝賀会に思うこと

敬愛する君主であった。エリザベス2世。伯父エドワード8世が離婚歴のあるアメリカ女性シンプソン夫人との結婚を選んで退位し,父がジョージ6世として戴冠したとき,長女エリザベスは10歳。自分が次期女王になることを自覚し,勉強を重ね,常に勤勉で,何事にも前向きに取り組んだという。13歳の時に5歳上の軍人フィリップ(ギリシア王室出身)に恋をし,それを一途に実らせて8年後に結婚。父が56歳で亡くなったため,弱冠25歳で女王になり,以後実に70年もの間イギリスは,イギリス連邦は,そして世界は,彼女と共にあった。

美人である。彼女こそがイギリス美人だと言う人もいた。知的で気品に溢れていた。親しみやすさもあり,穏やかで毅然とした人柄そのままの外見であった。帽子とのトータルファッションも楽しみだった。公務を離れて自由にしたいと願ったことは,おそらくなかったのではなかろうか。人々に奉仕することこそが自分の人生だと,それが神に与えられた自分の使命だと,潔く達観しておられたに違いない。4人の子供のうち長男チャールズ(3世),長女アン,次男アンドルーはそれぞれに離婚した。いろいろあった1992年の末,女王が国会で恒例の演説をした際「アナス・ホリビリス(恐ろしい年だった)」と風邪声で述べられたシーンをよく覚えている。

次々と起こる様々な王室不祥事や問題を,女王は常に的確に,正しい感覚で乗り切ってこられた。同じく国民に人気の高かったお母様は101歳まで生きられたので,女王もきっと100歳までは生きられるのだと思っていた。この6日には新首相トラス氏と立って面会し(普段着ではあったが),そうしたら8日には「医師団の監視下に入った」との報道があり,あれっと思う間もなく,安らかに亡くなられたとの報道に,耳を疑った。ほぼ全く寝込むことはなかったのだ!老衰ではないはずである。昨年,70年以上連れ添った王配が亡くなり,誰にも迷惑を掛けないよう,意思の力で後を追ったのだろうか。宮殿には虹がかかったそうだ。イギリスを長く,全身で体現していた女王が亡くなり,スコットランド初め独立を模索する地域もまたぞろ出るだろうし,連邦を離脱して共和国にしたいとの国もきっと続くだろう。次の国王が同じようにやれるとは思ってはいない。

ほんまものの国葬が19日,ウェストミンスター寺院で挙行される。逝去から11日後,ご遺体を存置して行われるのである(吉田茂氏の国葬もそれくらいで行われた)。女王は元首だから国葬だが,日本の首相は元首ではないし(元首は天皇),しかも元職だし,かつまた2ヶ月半もの後に行うのはやはりおかしいであろう。海外にも招待状を出してしまったし,今更止めるわけにはいかないのだろうが,イギリスに行くので日本には行けないという首脳も出てくるだろう。日本からは天皇皇后両陛下が出席されるとのこと,良いことである。

9日夜,私はニューオータニにいた。勲一等(旭日大綬章)受勲祝賀会で会費2万円(政治資金パーティと同じ)だったが,コロナ禍でどこも飲食を取りやめているし,お腹がすくだろうと軽食を済ませて行ったところ,着席フルコースだった。各7名65テーブル=500名超え。素晴らしい料理で,これだけで2万円以上だ!! おまけに洒落た記念品まで頂戴し,完全に持ち出しだと思えた。ご本人(医師)は44歳で国会に初当選後,70歳になったら辞めようと決めていたとのこと。なんと立派なことだろう。反対に,周りは辞めてほしいと思っているのに,「私は辞めたいのだけど,周りが辞めさせてくれないので…」と言う議員を多く見てきた。「惜しまれているうちに辞めるのが花なので」と,にこやかに挨拶される。著書もたくさんあって,今流行りの神経内科が専門だし,政治の経験が豊富で,人徳ある方なので,これからも様々に活躍してくださることと思う。

もうずっと前になるが,同じく前代議士の勲一等受勲祝賀会に行ったことがある。会費は書いてなかったが,まさか手ぶらで行くわけにもいかず,2万円を包んだが(この場合領収証はくれない),立ち席で飲み物のみで食事はなく,来賓らの挨拶を聞かされ,最後1000円程度の記念品?を渡されただけだった。これって,祝い金は所得とせず,会場設営費のみを経費にしてボロ儲けするの!? 後味が大変悪かった。現役時代良いことをたくさんされたはずだし,その後も何度か見かけることがあるが,声を掛ける気にはならない。やはり金銭感覚は人の生き方そのものだと思うことしきりである。

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秋の気配…国葬問題,そして高槻保険金殺人容疑者自殺について思うこと

夜の寝苦しさがだいぶ軽減した。着実に秋が来ている(湿度が高くて蒸し暑くはあるけれど)と感じるこの頃である。

昨日自民党各種女性団体の理事会が党本部であり,久々永田町に行ってきた。国葬ありですかねえ,法的根拠はないでしょう? そもそもこういう形で突然亡くなることがなければ国葬にはしなかったでしょう? そうなのである。在任期間が最も長いという事実自体は変わらないが,もし普通に病気などで亡くなったとすれば,もちろん国葬という話にはならなかった。同様に在任期間が長くノーベル平和賞まで受賞した佐藤栄作氏ですら国葬にはなっていない。ひとり吉田茂氏のみで以後はないのだ。国葬は全額国費負担である。それが統一教会絡みの銃撃死故であるとすれば,その国費は被疑者及び統一教会に求償しうるのか,という理屈にもなってこよう。

岸田さんの支持率が急に,かつ大幅に落ちたのも,むべなるかな。実行力をもって(?)人の話に耳を傾けて(?)すぐに決めたのは国葬と早々の内閣改造のみ。国葬は外交に資すると考えたのだろうが,そうなのか? 葬儀を利用して海外の首脳陣と外交問題を話し合うわけにはいくまい(そもそもそんなに出席者がいるのか?)。統一教会を払拭するための内閣改造だったらしいが,改造後に閣僚たちの関わりがさらけ出されてきた。極めつきは,夏休みをきちんと取って,ゴルフや会食を続けてのコロナ感染である。自然災害が続いていることもあり,首相たるもの,遊びも休養も二の次にして視察に行けばよいのだが,国民と共にあるという姿勢がそもそも欠如しているのだろうなあ。残念。民意が離れるのはあっという間のことである。

ところで,私的に最近の一番のがっかりは,高槻の資産家女性殺害事件の被疑者が亡くなったことである。高槻の女性50代前半は一人娘で独身,一軒家に住んでいた。被疑者20代後半は関西の名門大学を卒業後保険関係の仕事に携わっていた。そこで接点が出来,彼は彼女を顧客にして総額1億5000万円の生命保険を結ばせた。受取人は母親だったが,母親が亡くなった後であろうか,受取人を自分に変更させている(書類は偽造らしい)。彼は彼女と養子縁組届を出していて(これも偽造だそうだ),姓を変えている。なぜ婚姻届ではなく養子縁組届だったのかといえば,すでに結婚していたからであろう。

養子縁組を出したり,保険の受取人を変えたり…もちろんその意図は遺産を受け取ることであり,保険金を受け取ることであり,相手が死ぬことが当然の前提となる。余命幾ばくもない女性が相手であればいざ知らず,普通の50代が死ぬのは何十年も先になるので,事故を装って殺害する予定なのである。それで,殺し屋を探しているとあちこちに声をかけていたらしい(ずいぶん頭も口も軽い男である)。それが見つからなかったからか,結局自分で変装したうえ東京の住所から新幹線に乗って被害者宅を訪れ,風呂場で殺害した。被害者が会社を無断欠勤したので,親族が訪れて発見。被害者は全裸で水に浸かっており,死因は溺死だったという。右手には結束バンドが巻かれ,殺害が強く疑われた(なぜ外さなかったのだろうか?)。不審な男が防犯カメラに映っており,何より養子縁組届が出ていては(遺産の総額1億円程度をせしめたらしい)第一容疑者に挙がるのは時間の問題であった。さすがに保険金は下りていない。

大阪府警はまずは偽造で逮捕し,別件の詐欺でも逮捕し,そして肝心の殺人容疑で逮捕したが,男は黙秘していたという。そして留置場で首つり自殺をした。自殺を匂わせるメモがあったというし,破って首を吊る布切れにしたTシャツは他の場所で保管中だったというから,警察の大失態もいいところである。捜査において,被疑者の自殺は最も避けなければならないことである。被疑者を勾留するのは「証拠隠滅」と「逃亡のおそれ」を避けるためなのに,自殺はそれだけでそのどちらをも直ちに満たしてしまう。捜査はそれなりに続けるし,送検のうえ,検察は「被疑者死亡」として不起訴裁定をするけれど,それで終わりである。被疑者が被告人として法廷に立つことは永久にないし,その口から何かが語られることもなく,事実認定もないし,判決もない。

保険金殺人は,認定されれば死刑必至ではあるが,とにかくこれで真相が藪の中になってしまった。もちろん本人が生きていても喋らなければ真相は分からないし,喋ってもそれが真相とは限らず,どころか,自己弁護の虚偽だらけのことはよくあるが,しかし被害者はいない,被疑者もいないとなれば,この先未来永劫,この事件は完全に闇に包まれたままである。全くの部外者である私ですら残念で仕方がないのだから,被害者に近しい人はどんな気持ちであるだろう。

「国民が刑事司法に「真相究明」を求めることへの一考察」なる論考を書き,このブログにもアップしたが,書いた後に閃いたことがある。そうだ,忘れていた…。「世間様」「ご先祖様」に申し訳ない,恥ずかしくないように,という日本人独特の感性があることを。これはおそらく,事件の真相究明要請に結びつくものなのであろうと。

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安倍元首相襲撃事件及び認知症について考えること

7月終わり、と書いた前回から1ヶ月近くが経っている。例年の盆休みと同じく、尾道の実家に帰省していた。その前日には本社が広島にある顧問先の計らいで、マツダスタジアムで初めて観戦した。カープ(九里投手)対ヤクルトは、4対1の完勝。クローザー栗林投手の完璧なピッチングも間近に見ることができ、大満足だった。ちなみに先月のマリーンズ観戦も対西武8対4の良い試合であった。

安倍元首相襲撃事件について、彼の統一教会との関わり自体は犯人の動機と大きな関係はないのだろうと書いたが、どうやらそれは誤りで、安倍さんの祖父との深い関係に始まり、ことに安倍派議員は深い関係であったことが日々明らかになっている。そもそも私自身の理解としては統一教会=合同結婚式どまりで、霊感商法やら壺を高く売りつけるという悪徳商法はもちろん一般論として知っていたが、それがすなわち統一教会とも思っていなかったし、少なくともそれら商法自体は犯罪ではないとの認識であった。その点オウム真理教とはまるで違うのだが、今回、分不相応の多額の寄付やら家庭崩壊やら破産やら自殺やらの問題が出てきて、それが犯人の強固な殺意・殺害行為に至ったことが明らかになってしまえば、もはや国民の代表たる国会議員が関わることが許されないのは間違いがないことと思える。警察庁長官の引責辞任はさることながら、奈良県警本部長まで引責辞任となり(キャリアだからまだ50歳と若い)、今後の警備体制を抜本的に見直すといったとんでもなく大きな社会的影響をもたらしたことについて、犯人は自分の復讐は報われたと思うだろうか。

さて私の母は91歳(昭和6年生)。最近白内障の手術を受けて成功、緑内障の心配はないと言われ、新聞を眼鏡なしで読めるようになったと喜んでいる。私がいたときも午前5時には起きて畑仕事、8時に家に戻って以後、洗濯・料理その他、常に動いている。最後2日は、穴子と海老粉で、尾道名物巻き寿司を作ってもくれた。パソコンを開いて検索しゲームをし、テレビも見るけれど、読書にも勤しむ。とにかく「勤勉」である。私もこの資質を受け継いだと思うし、食べても太らない体質(=基礎代謝率が高い)も有り難いことに遺伝しているようである。私はこれまで手術をしたことはないし、願わくばうんと年を取って白内障の手術くらいで済めばと思っている。

母に要支援1でも取ればヘルパーさんに来てもらえるのでは?と投げたところ、「要らない」の一言。他人が来ると気を遣うからとのこと。たしかに。母のように元気で自立した老人ばかりであれば医療費も介護費も要らないのだから、健康で長生きをしてもらうことが国がいちばん目指すべきことだと思われる。ところが、びっくり。日本女性の健康年齢(平均)は75歳なのだとか。とすると、平均寿命が88歳なので13年間は何らかの介助が要ることになる。認知症なり体が不自由にならないよう、できるだけ気をつけたいものである。

読書癖はずっと続いていて、主に図書館で借りて、いろいろな本を読んでいる。「母さん、ごめん」という介護本が良かった。著者の松浦晋也さんという人は科学系のノンフィクションライターで50代独身。80歳の母親の「預金通帳がない」に始まる認知症の発覚からの奮闘記を、読みやすい筆致で生き生きと描いている。法律などもよく調べている。この母親は昭和9年生まれ。日本女子大学英文科を卒業後三菱電機でOLをしていたという、当時珍しいエリート女性である。それが認知症になり、どんどんと症状が進む。体も弱っていく。筆者も追い詰められ、結局2年半後にはグループホームに入所させる。こちらはパート2で、ここでは、後で入所してきたダンディな男性と恋に落ち、結婚すると言い出すなど、まるで小説のような展開だ。何度か病気になり骨折もして手術もし、要介護5になり、施設長から「みとりに入ります」と言われても、しぶとく生きて、今月88歳の誕生日を迎えたらしい(平均寿命)。胃腸が強く体が強いと、どれだけ頭がぼけようが歩けなかろうが、生命は続くのである。

インテリ女性だったのに、コロナで窓越しに面会すると「あんた、誰?」「息子だよ」「子供産んだことない」と否定される。亡くなった父親の写真を見せても「知らない」と言うばかり。それを施設の職員に言うと、「最近よく、「妹が待っているから帰らないと」と言っていて、子供時代に戻っている」と(妹は実際にいる)。それでも母親が生きていることは素晴らしいことだと著者は言う。「今は母親が死と自分の間に立ってくれているが、母親が死ねば自分自身で死に向かわねばならない」と。よく分かる。「認知症の者を生きさせておく必要はないという意見には大反対」というのも当然である。役に立つかどうかで生きている意味を問うならば、もともと重大な障害を持って生まれた者は最初から生きている意味はないということになる。家族にとっては、同じ記憶を持った者は(それを忘れてしまったとしても)存在しているだけで意義があるのである。

「母さん、ごめん」と謝罪になっているのは、母親は自分の実態をばらされることを、認知症になっていなければ反対したことは間違いがないからだろう。誇りを持って生きてきた人だから、下の処理の失敗その他、ばらされたくないことばかりのはずだからだ。著者もきっと躊躇したのではないか。だが、同じく介護に困っている人、これから困るかもしれない人のために、著作をものにしたのは大きな意義があることだと思える。

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」(若井克子)も一気に読んだ。認知症の内訳の半分はアルツハイマー。65歳未満で発病したのを若年性という。定年前に辞職し、結局75歳で亡くなった。もともと自分が若年性アルツハイマーになったことを明らかにしていたので、これを出すこともご本人が承知のうえということで奥様名で出されたのであろう(ご夫妻は共にクリスチャンである)。老人の認知症は普通にいるが、若年性の人はいないよねえと考えていて、ひとり思い当たった。弁護士の方である。自分がどこにいるか分からなくなり、奥さんの付き添いが要るようになったと同じ事務所の方が言っていたが、その後どうされたのだろう。

認知症を治すことはできないが、進行を遅らせる薬はかなり開発されていると思う。原因が分からないと根治薬は出来ないはずだが、今後この分野の医学も進んでいくことと思われる。長生きについて回る症状でもあるので、生活の質を減殺させないためにも、そうなるよう心より願う。

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