明日から3月…

 最近気がついた。この7月で法律事務所を開いてからちょうど20年になることに。検事15年余、国会議員6年で併せて21年、それにほぼ匹敵するのである。だが、濃さは全く違う。一つにはこの間事務所も自宅も引っ越していないので代わり映えがしないということもあるし、年齢的なことも大きいだろう。経験的に言えることだが、加速度的に年月は早く経っていく。

 先般来られた方が言われた。こんな広い事務所では勿体なくないですか? もっと安い所に替わるか、あるいは自宅を事務所兼用にすればよいのではないですかと。長年の親しい方なのでもちろん悪気はないのである。10年近く前になるが、そろそろ事務所を替わってもよいなと思いあちこち見て回ったけれど、せせこましかったり見晴らしが悪かったり、結局今以上の所はないとの結論になった。賃料を月10万円位安くすることはできるかもしれないが、引っ越し代、原状回復やその他、移転に伴う多大の費用やストレスを考えると、全くもってペイしない。とにかくここは場所が良い。大通りから離れているので静かだし、千鳥ヶ淵すぐだし、まもなく桜が咲くと思えばワクワクする。せっかくの人生、衣食住の、とくに住は大切にしたいのである。

 事務所と自宅を近くにすれば便利だと、実は20年前、事務所近くの賃貸マンションを探したことがあるが、景観や日当たりその他今の自宅以上の所は全くなかったし、第一、職住があまりに接近していると、ストレスの軽減ができないのである。まして自宅に事務所を置けば、事務所賃料が不要のうえ税金も大きく減らせるものの、通勤がなければ私の運動はゼロになる。それに週末も夜も、ずっと仕事を引きずることになる。挙げ句は仕事を忘れたくて、気分を変えたくて、自宅から離れたくなる図が容易に想像出来る。あれやこれや、結局やはり今の生活をできるだけ続けようとの結論に達した次第である。

 私は不動産は所有しない主義で賃貸で良いのであるが、困ったことには近年、事務所用も居住用もどこも定期借家権に切り替えていて、それもあって新しい所に引っ越すのは難しくなっている。従来の借家権だと自動更新であるし、大家が自ら住むなどの「正当事由」があるか相応の立退料を払わない限り退去を求められないが、定期借家だと次の契約を結ばない限り出ていかざるをえず、賃料も上げられればそれまでなのだ。買うつもりはないのに、マンションのチラシはよく入っているので見てはいるが、2億円は普通で5億円位のマンションも珍しくもなく、一体どういう人が買うのだろうかと不思議で仕方がない。5億円だと単純に計算して50年住んでようやく年間1000万円である。おまけに管理費修繕積立金が月20万円!固定資産税は多大だし、修繕すべて自分持ちだ。一軒家ならば土地だけは残るが、マンションでは資産価値も目減りするばかりである。まして相続させる者のない私には使用料のみの話だから、絶対に賃貸に限るのである。

 今日は閏年の29日。これまで本当にたくさんの人に知り合ったが、親しい人はその中でごく一部である。亡くなられた後、折に触れて思い出す人もいて、生きていてくれればこの話が出来たのにと懐かしい人もいる。去る者日々に疎し、で、いないことにもだんだんと慣れてくるのだが、会いたい人懐かしい人にはできるだけ会っておきたいと思うようになった。昔の職場の方が上京する折りに訪ねてくれることがあり、本当に有り難いと思う。今日昼は、かつての顧問先が来てくれ、近くのインド料理店でランチをした。今、政治倫理審査会を見ている。

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宮城野親方(元白鵬)に厳しい処分、大相撲協会も立て直さなくては

 すでに先月のことになってしまったが、大相撲初場所には二度行かせて頂いた。連日大入り満員で、両国国技館の入り口も中も人で一杯である。先場所がことに盛り上がったのは、横綱・大関はじめ三役が番付通りに強く、優勝争いもその中で行われたことである。認識させられたのは横綱照ノ富士の圧倒的な強さである。元大関朝乃山はただの一度も照ノ富士に勝っていないからダメだと言っていたが、大関霧島も豊昇龍も関脇(新大関)琴ノ若もそれは全く同じと知った。実際、琴ノ若が善戦したくらいで、あとは一方的に敗れ、霧島の横綱昇進など、もうお話にならないことが分かった。満身創痍の照ノ富士の引退は見えているものの、次の横綱候補はさっぱり見えてこない。

 この23日、衝撃的なニュースが報じられた。幕内優勝44回という、決して破られないであろう大記録を打ち立てた横綱白鵬(宮城野親方)が、臨時理事会の協議の末、2階級降格(降格は解雇、引退勧告の次に重い懲戒処分である)及び3か月間の20%報酬減額となったことである。懲戒理由は、部屋唯一の幕内力士である北青鵬の、他の弟子らに対する執拗な暴力であり(盗みもやっていたという)、親方は監督義務違反を問われる。北青鵬は引退勧告を受けて辞職した(解雇ではないから退職金は払われる)。彼はモンゴル人であるが、5歳から来日して白鵬との関係も深く、2メートルを超える長身であることから将来の横綱候補と言われていたが、伸びないなあとは思っていた。とにかく相撲が面白くないのである。肩越しに上手を取った後は棒立ちのままだったりして、やる気がまるで感じられない。コイツ、相撲を舐めている…とは感じていたが、そんなひどい状況だっだとは知る由もなかった。

 白鵬は、彼の暴力を知らなかったと言っているらしいが、同じ部屋にいて知らないはずはない。被害者らも訴えていたはずだが、親方が取り上げないので、協会に直訴せざるを得なかったのではなかろうか。報道によると、白鵬は長い関係である北青鵬に弱みを握られていて強気に出られなかったとも言われるが、それが本当ならば、情けなさ過ぎてお話にならないレベルである。それで結局、預かった1人の力士を立ち直らせることもなく、潰してしまったのである。一昨年にも、部屋のマネジャーだかが多額の金を持ち逃げしたと言われながら、その件も有耶無耶になっている。脱税絡みの汚いお金の場合は警察に堂々と被害届も出せないのである。お金も人も管理が全く出来ていないのでは、親方業など務まるはずもなく、白鵬は部屋の指導からも外され、今後は一門で見ていくことになるという。横綱だったから協会の役職は副理事の下の委員だったが、今回の処分で一番下の年寄に落とされ、制服を着て館内をガードするような立場になるのではないだろうか。

 理事会ではもっと厳しい処分を主張した人もいるという。引退勧告以上、つまりは廃業である。彼の場合は現役時代すでにいくつか問題を起こして処分を受けており、相撲もだんだんと勝てば良いとばかり、かち上げや張り差しやだめ押しその他、とうてい横綱とは思えぬ汚い取り口に終始するようになり、多くの人の眉を顰めてきた。モンゴルから来日した15歳当初細すぎてどの部屋も取らなかったのに、体の柔らかさに注目してどんどん食べさせ牛乳を飲ませて体を大きくして強くさせてやった親方の言うこともだんだん聞かなくなり、持ち上げる人おもねる人の言ばかりを聞いて、ひたすら傲慢にやってきた。そのつけはやはり結局回ってきたのである。

 今回のことで、貴乃花を思い出してしまった。こちらも大横綱であり、角界のサラブレッドでもあって将来は理事長にと嘱望されていた。ところが、弟子の貴ノ岩が日馬富士などモンゴル一派の暴行の被害者になる一件(もう7年も前になるが、そのドタバタ劇を昨日のことのように思い出すことが出来る)に始まり、しかしながら自らの弟子が暴力を振るう事件が発生し、結局、廃業に至ってしまった。部屋にいた貴景勝は師匠貴乃花にどのような思いを持っているのか、と思うことがある。貴乃花には誰か、的確な意見を述べてくれる人がいないのだろうかと思ったものである。親とも兄とも疎遠だったようだが、妻とも疎遠だったのか、あるいは誰の言うことも聞かなかったのか。いずれにしても人間関係において孤立していた感が否めない。

 白鵬も貴乃花も相撲には邁進し、無敵の強さを誇ったが、人間としては未熟なままだったのだろうと思う。どんな分野にでも言えることだが、業界人や職業人として成功するためにはその以前の人間としての素養がなければ、結局は不幸な道を歩むのではないか。暴力撲滅を謳っている大相撲協会にとって、密室になりやすい各部屋の風通しをどうやってよくしていくのか。問題が生じて初めて個々の親方や力士を指導するなり処分するといったやり方では後手後手に回ってしまう。不祥事が発生すれば社長がそれなりの処分を受けるように、理事長なども自ら処分を科すようにすべきではないかと思ったりするのである。

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『父が再婚すると言い出して…。相続分が減るのが不安です。』

自由民主党女性月刊誌「りぶる」2024年3月号

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派閥次々と解散! 最近読んだ本のこと

 前に書いたが、政治資金規正法違反捜査自体は尻すぼみもいいところだった。が、その副産物というのだろうか、岸田総理が自分の出身派閥である宏池会を解散することにし(しかいすでに脱退した方がなぜ中小企業のオーナーであるかのように解散出来るのか不可思議だった…)、違反の主体となったいわゆる安倍派も解散決議をし、二階派なども続き、残るは茂木派と麻生派だけとなった。だがそこも離脱者が何人か出ていて、様子はこれからうんと変わっていくのだろうと思われる。とはいえ、派閥というからおどろおどろしいが、人間社会だからグループは当然できるだろう。

 そもそも犯罪をするために作った集団ではなく、その名の下に得た政治資金の運用方法が法に違反しただけなのだから、世間体を慮って?とりあえず解散をするというのはいかがなものか。総理候補を出すという派閥の機能が失われて久しいが、それでも人事機能は残るだろうにと思っていたが、先日某議員と話していたら、彼は派閥には反対だという。締め付けなどが厳しかったのかもしれない。そして実際に、まだ残っている某派閥を脱退したとのこと。人事機能について聞くと、派閥に頼らなくても、党で集約してそれは何とかなるだろうとの話であった。各議員がどの部会に所属してどういう法律に携わり…といった情報を党で一括して把握すれば、それは確かに何とかなるかもしれない。

 新聞や雑誌で興味のある本に接すると、港区図書館のホームページで検索し、有れば(よほどの専門書でない限りたいていは有るから、すごい)予約をするのが習慣になって数年になる。ベストセラーなどは待ち人500人位に上り、1年位待たされたりするけれど、それでも順番は回ってくる。そのときには興味は薄れていたりするが、それでも目を通すと、それなりの収穫はある。『強欲資本主義は死んだ──個人主義からコミュニティの時代へ』、原題はGreed is Dead:Politics After Indivisualism 著者のポール・コリア及びジョン・ケイは共にイギリス出身著明な経済学者であるという。訳者の池本幸生氏の詳しい訳者解説付きである。

 随所に、へえーということが書いてある。例えば、連邦最高裁が1973年妊娠中絶を女性の権利と認めた画期的な判決(プライバシー権を発見し、そこから選択権を導き出すという手法を採ったとされる)から50年後の2022年6月、この判決を覆す判下したために、中絶の権利に対する憲法の保障がなくなり、全米の半数以上の州が中絶の禁止や厳しい制限に動くとみられている。このことは報道によって知っているが、中絶は基本許されないとしても、レイプされて出来た子供を中絶できないなんて、そんなバカなことはありえない、と思っていた。それに対する答えが、本書には書いてあったのである。いわく、「アングロサクソンの世界では対立する場合の法的手続きは本質的に二元的である。すなわち、勝者と敗者があり、権利が存在するかしないかのどちらかである。アメリカにおける妊娠中絶を巡る議論は、「生存権」と「選択権」の間で二極化している。グレンドン(注:法学者。「権利の議論」(rights talk)を知らしめた)は保守的なカトリック教徒であり、彼女にとって「生存権」が何よりも優先されるべきものであり、この立場に立つトランプは彼女を国際的な人権のための委員会の委員長に任命し、多くのアメリカの女性たちを怒らせた。しかし、生存権や選択権のように対立する権利の主張は、どのような根拠に基づいて解決することができるだろうか。…その論争は激しいまま続いている。ヨーロッパのほとんどの国では歩み寄りが進展し、広く人々に受け入れられるようになっているのとは対照的だ。」(50~52頁)

 アメリカでは何でも訴訟になる。私もかつて知って、馬鹿馬鹿しいと思ったケースについても取り上げられていた。同性愛カップルの結婚式のためにケーキをデコレーションすることを拒否したキリスト教徒のケーキ屋が訴えられたのだが、それは法的には、彼は宗教の自由という自分自身の権利を行使したのか、それとも「性的指向に基づく差別からの自由」と「言論の自由」というカップルの権利を否定したのかについて、連邦最高裁の判断が求められたのは「実に愚かなことである」。結論的にケーキ屋が支持されたのだが、「なぜケーキ屋はケーキを焼いてあげなかったのだろうか。なぜそのカップルは別のケーキ屋からケーキを買わなかったのだろうか。私たちは、人々が互いに同じ市民であることを認め合い、裁判に訴えることなく、些細なもめごとを解決する社会に目を向けたいと思う。」(57~58頁)

 なんでも「権利」で主張するのは社会を窮屈なものにしてしまう。例えば、「目の不自由な人が電車に乗るのを助けるのは、その人が権利を持っていて、それに対応する義務を私がちが負っているからではなく、まともな人がすべきことをしているだけだ。もし目の不自由な人が駅のホームに立って自分の権利を主張するなら、私たちの対応はかなり違ったものになるだろう。」(55頁) 人に道を尋ねられたら、知っている限り、教えるのが普通である。親切にもわざわざついていってあげる人もいる。それを人間には、他人に親切にしたい欲求(4番目の欲求)があるのだと書いている人がいたが、そう定義するかどうかは別として、それが人が社会で暮らす上での潤滑油であることは間違いないであろう。

 全体的にはなかなか難しい内容であり、政治・経済・歴史についていろいろな基本的知識が要るなあと思わされた。最後に本書は「個人主義は孤独であり、個人の解放ではない。塹壕の中で身を守ろうとしても、最終的には失敗する。何かに所属することは、私たちにとって負担なのではなく、人間性を取り戻すことにつながる。」で締めくくられている。

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『実家の借地を購入してよいものか迷っています』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2024年2月号

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