『父から資金援助を受けていた甥に相続を放棄してほしいです。…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2022年12月号
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着物生活,着物ブログ,生活スキルについて思うこと

昨日は今季ようやく2度目,着物を着た。準備→着付け→後の整理,を考えると,結構な手間暇がかかり,全く着ない人が多いのもよく分かる。出入りしている三越本店4階着物お手入れコーナーの男性がかつて声を潜めて言ったことがある。「着物は皆さん着ないはずですよね。なぜならばお金がかかるから」。確かに,ちょっと汚れて洗いに出すだけで1万円はかかり,しかも京都に送るからと1ヶ月は返ってこない。でもってせっかくの桜の着物が翌年まで着られなったことがある。披露宴や入学式卒業式その他,かつて着物が当たり前だった光景は今は昔,もはや完全に贅沢品・嗜好品の範疇である。

それでも私が着物を着るのは(YouTubeで自己流着付けを始めたのは9年前である),コーディネートの面白さ・多彩さが洋服の比ではないからである。ドレスもスーツも,インナーやアクセサリーや小物を替えてもさほど変わらないが,和服は着物だけでは未完成である。帯と一体として認識され,帯を替えると別物になるし,帯揚げ・帯締めのチョイスはセンスの問われるところである。そもそも形が全く同じなので,TPOに合わせてどの着物を選び,どの帯を合わせるか,それにどの小物を合わせるか,選択するワクワク感は洋服ではとうてい味わえない。加えて,平面の布を立体的な体に合わせるわけだから,どう着付けるか,そのテクニックも大いに貢献する。年数・場数を経て,だんだん上手になっているのだが,それでも毎回どこやらかに反省点があり,完成にはなかなか到達しないように思われる。

というわけで,日本中着物ブログはたくさんあり,着物プラス生活スタイルが綴られていて,楽しい。中で「紫苑」さんのブログは,本や映画の紹介など文化度が高くて文章も上手。そのご本人が今朝NHKのあさイチに出演するというので,見てみた。今,71歳。40歳で離婚して子供2人を育て,子供が結婚して独立したので64歳の時,郊外に築40年の一軒家を購入,年金月5万円余で生活しているという。手料理もよくブログにアップされているが,安い食材だというのに,栄養面はもちろん,美味しそうだ。今回初めて家を見たが,綺麗に整理され,インテリアも(高価なものではなさそうだが)実にセンスが良い。今後単身の女性(男性も)は増加する一方だろうから,この暮らし方は大いに参考になるだろう(ただ,家の価格は2000万円,息子と共同名義で購入したのでローンを組めたという。家賃月13万円がゼロになったと言うが,ローンも固定資産税も息子が払っているのだろうからゼロではない。健康保険も息子の被扶養者扱いなのかもしれない)。

「こと子」さんのブログも楽しい。この方は社会的地位の高い同い年の夫(発達障害があるそうだ)と一軒家暮らしの60代だが,お茶会や観劇などに着物を着て出ているようだ。園芸にも凝って綺麗な作庭をし,猫を3匹飼い,料理はこんな面倒なものを家で作るの?と感心するレベルである(だからこそアップするのだろうが)。その一方で,高価な反物から着物を仕立ててもらい,夫と高級料亭・レストランに出かけてはその料理をアップしている60代もいるが,この方の着物は色合わせも何もかもいつも同じで代わり映えがしないし,ただリッチな世界にお住まいだなあと感じるだけである。

さて,紫苑さんの言う「生活スキル」。人が生きていくうえで,これが大事だなと思う。勤めているとき,あるいは専業主婦の奥さんがいる男性には必要がなさそうだが,それでもいずれ勤めは辞めるだろうし,奥さんはいなくなるかもしれない。ひとりできちんと生活が出来るということは,真っ当な人生を送るに当たっての基本要素だと思うのだ。私自身はコンビニやスーパーでの総菜は(デパ地下のでさえ)味付けが濃いと感じるので,自炊をしている。お金もかからないが,それが太らないことや体調管理に繋がっているのは有り難い。弁当持参はこの8月来,日課になっている。料理が出来ること,無駄を作らないこと,掃除や整理整頓が出来ること,洗濯やアイロンが出来ること…。どれも小さい時から身についた生活パタンではあるが,努力次第で,大人になっても身につくものだと思う。

知り合いに,この人何かおかしい,と感じる人がいた。50歳前なのにすでに腹が出て,いつもどこかしこ体が悪いと言っている。肩や首が凝るので毎日マッサージに通っているそうだ(医療控除の対象になると分かったと喜んでいたが,そういう問題ではないだろう)。食べる物には興味がなく,私が評判の店に案内すると,「凄い」のコメントのみで,味はどうやら分からなそうだ。家では出来合いのものを,不規則な時間に食べているらしい。私方で冷凍してあった焼き鳥を外でその人に渡した際,「再冷凍はしないで。このまま冷蔵庫に入れて食べてね」と言ってあげたのに,帰宅後冷凍をして,その後仕事で遅く帰った日,解凍して食べたとのこと。忠告に反したことを伝えると,「そんなの言いましたっけ?」「もちろん。再冷凍はいけないとは誰でも知っているから普通は言わないけれど,知らないと思ったからわざわざ言いましたよ」「…美味しければ何でもいいです!」。

味音痴には微細な差は分からないだろうが,人のアドバイスは素直に有り難いと思わなければ,進歩がない。何より非を非と認めず居直るのは,悪性格の露呈である(金払いが良いのは長所であるが)。学歴も年収も高いのだが,大事なことが欠落しているように常々感じていた実態は「生活スキル」であったと思うのだ。生活=人生である(英語では同じ単語)。その人は,ひとり食生活だけではなく,整理整頓も不得手だし,住居はたぶんゴミ屋敷に近いのではないかと思う。そんなことはくそ食らえ,自分は大事な仕事をしていると思っているのかもしれないが,大した仕事は出来ていないはずである。なぜならば,きちんとした生活を送っていることこそが(芸術家などは例外として)普通の人の基盤だからである。

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早や11月…なんとなく慌ただしい毎日です

来る12日(土),事務所近くのホテルで,東京自彊会(明石高校同窓会)の総会・懇親会が催される。昨年来会長に就任している私は(来年母校は100周年を迎える),冒頭挨拶に,ピアノ演奏(ショパンのノクターン遺作の予定。「戦場のピアニスト」で知られる),皆で歌おう2曲の伴奏(選曲したのは「いい日旅立ち」と「花は咲く」)及び校歌(旧制中学・現高校)伴奏とフル稼働(?)の予定。お日柄も良いのに,ピアノを弾くので着物が着られないのが残念である。

その翌週20日(日)には数年ぶりに?神戸大学附属明石中学の学年会が神戸で開かれる。1学年3クラス,140人位だったが,亡くなった人もいてフルで130人位であろう。うちどれだけ集まるだろうか。幹事の強い誘いもあり,私は今回は出席の予定である。せっかくなので前泊して,親しい人たちと夕食を摂ることになっている。久しぶりの神戸!!!! よくぞまあ飽きもせず,学生時代から修習時代,元町・三宮間を歩いたものである。日本中で最も懐かしい通りだから,その懐かしさも半端ではない。次がいつになるか分からないし(いつもこれが最後かもしれないと思うようにしている),噛みしめながら歩きたいと思っている。

大学の同窓たちとは親しいが,高校中学の同窓と未だに繋がっているのは,本当に嬉しいことである。対して小学校(垂水小学校)の皆はどうしているかなと時々思うことがあるが,地元で誰か中心になって動いてくれる人がいなくては無理であろう。学校や職場その他でたくさんの人と知り合うが,その出会いが後まで続くには互いの相性ないし努力が必要である。長年仲が良かったつもりでも,実は本当の人間性まではなかなか分からないもので,何かの拍子に隠されていた本質が露呈することがある。

長い間一緒にいれば人間同士は分かり合えて親しくなれるのであれば,親子関係の断絶もないし,離婚もない。長く付き合って相性が良いと見極めて結婚したはずが,暴力傾向なり自己中心性なり金銭感覚のなさなり,が見えてきて,果ては泥沼離婚になったりもする。最初から本当のところが分かっていれば,誰も結婚などしないし,ましてや子供を設けたりなどしないはずだが,うまく隠されていたのか,恋にくらんでよく見えていなかったのか。いずれにして人間の本質はなかなか見えないのは事実である。怖いことだが,何か事が起こって発覚し,大の親友が一気に疎遠になったりもする。

15年程前の事件で「夫はモラハラです」と該当一覧表を見せてくれた依頼者がいた。夫の自分への仕打ちがあまりにひどいので,パソコンを検索していて,ぴったりなのを見つけたのだという。たしかに妻への連日の誹謗中傷,思いやりのなさ,自己中心性,嘘つき,すさまじい金銭欲とどれもが半端なかった。モラハラ(モラルハラスメント)は当時新しい概念だったと思うが,その後パワハラやセクハラはもちろん,アカハラ(アカデミックハラスメント),マタハラ(マタニティハラスメント)やら盛りだくさんになっている。

モラハラはもうすでに定着している感があるが,最近私は,これはその人の人間性の表れ方であり,本質的には(人格障害でなければ)発達障害といったものがあるのではないかと感じている。発達障害も注目されるようになったのは比較的新しく,自閉症,アスペルガー症候群を含む広汎性発達障害(自閉症スペクトラム),学習障害,注意欠陥多動性障害などを含むとされている。子供の時からこの特性が明らかな人もいれば,(知能とは無関係で優秀な人も多いので)大人になって,とくに他人との密接な関係を必須とする結婚生活を送るようになって,人とうまく折り合えない欠陥が顕著に出てくる場合もある。発達障害の夫に悩む妻を「カサンドラ症候群」と呼ぶそうである。

癌の研究は進んでいるが,精神病(統合失調症や躁鬱病)に代表される脳の研究はあまり進んでいないように感じる。人格障害や発達障害も脳のどこかに何らかの症候があると思われるし,それが分かるようになれば,人間関係の処し方も少しは易しくなりそうな気がするのだが。

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『私と妻、それぞれの実家のことで悩んでいます。…』

自由民主党月刊女性誌『りぶる2022年11月号』
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人生について、つらつら思うこと

昨日は季節外れに暑くて、仕舞わずに少しだけ残していた夏物(色とか生地とかデザインとかで初秋でも着られるもの)を着た。今日は一転すっかり秋(雨は余分だが)なので、迷ったが、グレーでも紺でもなく茶色のスーツにした。グレーや紺は春でも良いが、茶色は秋の色である。

このところ来し方を振り返ることがある。全体として悪くなかったなと思えるのは幸せなことであろう。一番大きなことは職業選択を誤らなかったことである。司法試験は必ず合格すると周りの教授達は言ってくれたし、自信もあった。もし合格できる能力がなければ、早々と別の道にしただろう。結婚とかではなく、とにかく自活して精神的に自立することは、私の育った家庭環境下では至上命令であった。別の道も悪くなかったかもしれないが、法曹資格を得たからこそ、珍しい検事(15年のうち訟務検事もアジ研教官も経験できた)になれたし、その後自民党参院議員の声もかかって、得難い6年の経験が出来た。そのあと弁護士として定年のない仕事が出来ているのも、すべてがあの出発点からである。

自分は法律に向いていると思うが、それはきっと持って生まれたものであろう。もっとも父も母も法曹に向いているとは思えないし、親戚一同どこまで見回しても誰一人法曹はいないので、本当に偶然なのであろうが、私がひたすら努力出来たのも、適性あればこそだ。向いていないこと、好きでないこと、やってもちっとも上達しないことには時間もエネルギーもかけられない。なんでも、好きこそものの上手なれである。法律家になったことをただの一度も悔やんだことはないし、来世があるとすれば、また法律家でも構わないと思っている。自分に向いたことを職業に出来たことは、本当に幸せなことである。

こんなことを最近よく思うのは、ちょっとした相談を受けたのがきっかけである。その方は70代後半の男性で、早くに亡くなった息子さんの遺児2人の学資を見ているという。下の子は医者になりたいと言って、国公立大医学部に現役合格したとのこと。立派なことである。しかし上の子は某私立大学法科大学院2年に在籍中で、この度進級試験に不合格だったというのである。私の時代には法科大学院はなかったが、今は大学卒業後法科大学院(日本版ロースクール)に進学し、2年(法学部既修者の場合。その余は3年)修了後に司法試験受験資格を与えられ、5年間受けることができる。もちろん合格者の多くは1年目に合格し、2年目以降合格率は減っていく(小室圭は2度不合格で、おそらく3度目も不合格であろう)。全体に合格率は4割程度、合格者数は年約1500人である(私らの頃はずっと年500人以下で、日本一難しい試験と言われたが)。

医学部が厳しい進級試験を設けていることは知っていた。卒業後医師国家試験に合格しなければ医者になれないし、合格率は直ちにその大学のランキングに直結するからだ。そういうのが日本版ロースクールにもあったとは。彼の場合、さらに1年履修して合格すれば修了でき、晴れて司法試験受験の資格を与えられるというわけだ。聞けば、進級試験不合格者はほとんどいないとのこと。そりゃそうだろう、大学院としては落第者を抱え込まずに卒業させ、あとは司法試験を受験させたいはずである。冷静に考えて、彼の大学院での成績はビリないしその周辺と思われる。身内としては、不合格だった1科目だけが悪かったと思いたいのだろうが、合格点が各50点と低いのであれば、他の科目は80~90点で1科目だけそれほど悪かったとはとうてい思えない。根源は法的センスなので、多少の得手不得手はあるにしろ、科目によってそれほど変わることはない。そして、その大学院修了者の司法試験受験者の合格率は3割だという!(全国平均以下) つまりその大学院で上位3割に入っていないと合格は望めないのである。

他人である私には言いにくいことであったが、親切にも進言した。法律に向いていないと思うと。大学1年生から法律をやって6年目、今後どんな改善が望めるのか。今24歳。すぐに地方公務員の受験資格年齢をオーバーするだろう、司法試験を何度も受けて30歳はあっという間だ。となれば、なんのキャリアもなく、一体どこに就職できるのか。人生を誤ってはいけない。そもそも弁護士=バラ色の人生ではない。司法試験合格者を増やしすぎて弁護士が供給過多になり、就職先もなく、イソ弁の給料も私の時代から上がるどころか下がっているくらいなのだ(そういう当たり前の情報を、相談者も孫も知らなかった)。大学院に進学するときに相談をされていれば、私は止めたと思う。今からでも遅くはない。いち早く方向転換すべきである…。

ところが孫からは、まだ勉強を続けさせて下さいとの返事が来たそうである!? 自分の金であっても壮大な人生の無駄でしかないと思われるのに、細い祖父の脛を囓ることに、良心の呵責を覚えないのか? そんな人間はそもそも法律家に向いてないよ。自分の能力も将来も分からない者が、他人の人生にどう関わっていけるというのだ。相談者も、父代わりを自認するのであれば、今なんとしてでも方向転換させなければ。ただ言うことを聞く、お金を出す、本人の思うとおりにやらせるではなく、苦言を呈して甘ったれの生き方を変えることこそが親としてやるべきことだと私は思う。

日本版ロースクールを設けた理由は、司法試験合格者を増やすからであった。合格者を増やす以上、きちんとした教育をすべきである、で大学法学部の上にさらに屋上屋を重ねる大学院を設置した…。ところが、大学院通学にはお金がかかる。働きながらも無理である。かつての司法試験は働きながらでも受けることができたが、今はそうはいかない。ではそういう人たちはどうするか? というわけで予備試験が設けられた。こちらに合格すれば、大学院に行かなくても司法試験を受験することができる。まあいわばバイパスのようなものである。ところが今やこちらが本流のようになり、優秀な学生は予備試験に在学中に合格して司法試験にも合格する…その合格率たるや100%近いのだ! 裁判官の子弟には法曹組が多いが、予備試験合格者がエリートであり、くっきりと色分けが出来ているという。

司法試験浪人と称して、40歳の今も親(弁護士)の脛を囓ってプラプラしている男を知っている。医学部浪人?か、これまた30歳も優に過ぎて医者の親の脛齧りをしている男も知っている。各同級生は皆それぞれにキャリアを持ち結婚もするから、友人も皆無のはずだ。社会的孤立で、いわば引きこもりに近い状態になる。本人も悪いが親も悪い。親が亡くなれば遺産がたくさん入ってきて困らないと思っているのかもしれないが、そんな考え方自体がもう堕落である。職業は何でもいい、とにかく普通に働いてこその真っ当な人生である。

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