『父が再婚すると言い出して…。相続分が減るのが不安です。』

自由民主党女性月刊誌「りぶる」2024年3月号

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派閥次々と解散! 最近読んだ本のこと

 前に書いたが、政治資金規正法違反捜査自体は尻すぼみもいいところだった。が、その副産物というのだろうか、岸田総理が自分の出身派閥である宏池会を解散することにし(しかいすでに脱退した方がなぜ中小企業のオーナーであるかのように解散出来るのか不可思議だった…)、違反の主体となったいわゆる安倍派も解散決議をし、二階派なども続き、残るは茂木派と麻生派だけとなった。だがそこも離脱者が何人か出ていて、様子はこれからうんと変わっていくのだろうと思われる。とはいえ、派閥というからおどろおどろしいが、人間社会だからグループは当然できるだろう。

 そもそも犯罪をするために作った集団ではなく、その名の下に得た政治資金の運用方法が法に違反しただけなのだから、世間体を慮って?とりあえず解散をするというのはいかがなものか。総理候補を出すという派閥の機能が失われて久しいが、それでも人事機能は残るだろうにと思っていたが、先日某議員と話していたら、彼は派閥には反対だという。締め付けなどが厳しかったのかもしれない。そして実際に、まだ残っている某派閥を脱退したとのこと。人事機能について聞くと、派閥に頼らなくても、党で集約してそれは何とかなるだろうとの話であった。各議員がどの部会に所属してどういう法律に携わり…といった情報を党で一括して把握すれば、それは確かに何とかなるかもしれない。

 新聞や雑誌で興味のある本に接すると、港区図書館のホームページで検索し、有れば(よほどの専門書でない限りたいていは有るから、すごい)予約をするのが習慣になって数年になる。ベストセラーなどは待ち人500人位に上り、1年位待たされたりするけれど、それでも順番は回ってくる。そのときには興味は薄れていたりするが、それでも目を通すと、それなりの収穫はある。『強欲資本主義は死んだ──個人主義からコミュニティの時代へ』、原題はGreed is Dead:Politics After Indivisualism 著者のポール・コリア及びジョン・ケイは共にイギリス出身著明な経済学者であるという。訳者の池本幸生氏の詳しい訳者解説付きである。

 随所に、へえーということが書いてある。例えば、連邦最高裁が1973年妊娠中絶を女性の権利と認めた画期的な判決(プライバシー権を発見し、そこから選択権を導き出すという手法を採ったとされる)から50年後の2022年6月、この判決を覆す判下したために、中絶の権利に対する憲法の保障がなくなり、全米の半数以上の州が中絶の禁止や厳しい制限に動くとみられている。このことは報道によって知っているが、中絶は基本許されないとしても、レイプされて出来た子供を中絶できないなんて、そんなバカなことはありえない、と思っていた。それに対する答えが、本書には書いてあったのである。いわく、「アングロサクソンの世界では対立する場合の法的手続きは本質的に二元的である。すなわち、勝者と敗者があり、権利が存在するかしないかのどちらかである。アメリカにおける妊娠中絶を巡る議論は、「生存権」と「選択権」の間で二極化している。グレンドン(注:法学者。「権利の議論」(rights talk)を知らしめた)は保守的なカトリック教徒であり、彼女にとって「生存権」が何よりも優先されるべきものであり、この立場に立つトランプは彼女を国際的な人権のための委員会の委員長に任命し、多くのアメリカの女性たちを怒らせた。しかし、生存権や選択権のように対立する権利の主張は、どのような根拠に基づいて解決することができるだろうか。…その論争は激しいまま続いている。ヨーロッパのほとんどの国では歩み寄りが進展し、広く人々に受け入れられるようになっているのとは対照的だ。」(50~52頁)

 アメリカでは何でも訴訟になる。私もかつて知って、馬鹿馬鹿しいと思ったケースについても取り上げられていた。同性愛カップルの結婚式のためにケーキをデコレーションすることを拒否したキリスト教徒のケーキ屋が訴えられたのだが、それは法的には、彼は宗教の自由という自分自身の権利を行使したのか、それとも「性的指向に基づく差別からの自由」と「言論の自由」というカップルの権利を否定したのかについて、連邦最高裁の判断が求められたのは「実に愚かなことである」。結論的にケーキ屋が支持されたのだが、「なぜケーキ屋はケーキを焼いてあげなかったのだろうか。なぜそのカップルは別のケーキ屋からケーキを買わなかったのだろうか。私たちは、人々が互いに同じ市民であることを認め合い、裁判に訴えることなく、些細なもめごとを解決する社会に目を向けたいと思う。」(57~58頁)

 なんでも「権利」で主張するのは社会を窮屈なものにしてしまう。例えば、「目の不自由な人が電車に乗るのを助けるのは、その人が権利を持っていて、それに対応する義務を私がちが負っているからではなく、まともな人がすべきことをしているだけだ。もし目の不自由な人が駅のホームに立って自分の権利を主張するなら、私たちの対応はかなり違ったものになるだろう。」(55頁) 人に道を尋ねられたら、知っている限り、教えるのが普通である。親切にもわざわざついていってあげる人もいる。それを人間には、他人に親切にしたい欲求(4番目の欲求)があるのだと書いている人がいたが、そう定義するかどうかは別として、それが人が社会で暮らす上での潤滑油であることは間違いないであろう。

 全体的にはなかなか難しい内容であり、政治・経済・歴史についていろいろな基本的知識が要るなあと思わされた。最後に本書は「個人主義は孤独であり、個人の解放ではない。塹壕の中で身を守ろうとしても、最終的には失敗する。何かに所属することは、私たちにとって負担なのではなく、人間性を取り戻すことにつながる。」で締めくくられている。

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『実家の借地を購入してよいものか迷っています』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2024年2月号

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新年。検察のこと、永山則夫のこと。

 ほぼ3ヶ月ぶりの書き込みになる。プロバイダーが環境設定を変えたとかで、ホームページ記入ができなくなったのである(閲覧も出来なくなった)。この対応はなかなか高度らしく何人かの知り合いに当たって可能な業者を探し出し、ようやく実施してもらったのが1ヶ月余前。記入方法が以前と違うので、ハードルが高くなってしまった。

 昨年12月来、いわゆる派閥パーティ政治資金キックバック事件について、検察が派手なリークをし始めた。国会議員に絡むとはいえ贈収賄(いわゆる疑獄事件)ではなく形式的な「政治資金規正法違反」(収支報告書不記載)であるのに、ここまでやるのだろうか。世論は(我々サラリーマンは1円だってごまかせないのに)論難された。全国から検事50人を動員し(検察事務官も入れて100人か)、高級ホテルでの取調べが続けられた。これを受けて、マスコミも周囲も連日、安倍派幹部の誰がやられるか、次には二階派も誰がやられるか、大騒ぎをしていたのに、結局のところ、逮捕者は高額キックバック議員1人のみ。議員の起訴はその人を入れて3人のみ、派閥幹部ゼロ、あとは派閥の会計責任者らのみの起訴となるようだ。来週26日には通常国会が始まるのでこれでケリをつけるらしい。

 まさに「大山鳴動して鼠一匹」。そもそもこの事件で、検察はどこに着地するつもりだったのだろうか。年に1回行う派閥パーティの際、所属議員に販売ノルマを課し、それを超えた分を派閥の収支報告書に記載せず各議員に還付して、これは報告書に記載しなくていいと言い、それが慣例として続いていたようである。公訴時効は5年なので、この間にどれだけの金額が不記載となったのかといえば、派閥単位で何億になるらしいので、もちろん少額ではない。それを会計責任者が自分だけで出来るはずもなく、派閥幹部の了承・指示があったことは当然であり(どこの組織が経理係だけでそんな勝手なことが出来る!?)、しかしながら安倍派の会長は安倍氏、細田氏が続いて逝去しているので、死人に口なし、事務総長らは知らないことにして口裏合わせをするのだろうと思っていた。全員在宅なのだから、そんなことは簡単であり、しないほうがおかしいくらいである。最初から派閥幹部をやるつもりがないのならばこんな大がかりな捜査態勢を取る必要はなく、派手なリークは自分たちの首を絞めるだけである。検察はそもそも不偏不党であり、法と証拠に基づいて粛々と捜査をするだけの存在である。個人の業績ないし検察の存在価値を高めるために国家権力を濫用しているような、検察の暴走と言われても仕方のない顛末であったと思う。元検事としてもひたすら恥ずかしく、人から聞かれる度に忸怩たる思いに囚われる。とにかくこの2ヶ月、事ある毎にこの事件の話に付き合わされている。

 「永山則夫 封印された鑑定記録」(堀川惠子著)を読んだ。著者は卓越した力量のノンフィクションライターで、以前にも「死刑の基準 永山裁判が遺したもの」を読んで、非常な感銘を受けた。19歳の、4人連続射殺事件と聞けば極悪非道にしか聞こえないが、彼の生い立ちには凄まじいものがある。網走生まれ8人きょうだいの末から3人目。父は博打狂いで失踪。行商で一家を支える母親は、一部の子供だけ連れて、他の子供らを置いて家を出る。そのとき則夫4歳。母親代わりだった19歳上の長女は分裂病を発病して入院。食べるものにも事欠く極貧の中、則夫は誰からも目をかけられず、友達も出来ず孤独な生活を送る。中学を出て集団就職した後夜間高校に行くべく努力はするものの結局は転落を繰り返し、やがてホームレスになり、侵入した米軍基地で銃を見つけ盗んだことが、この一連の犯行に繋がっていく。子供らを置いて出る彼の母親は、自身実母に樺太で文字通り置き去りにされた子供時代を送っており、虐待の因果をつくづく思わされる。

 鑑定記録は非常に大部なものであり、関係者すべてに会って、母親の生い立ちにまで迫った迫真のルポである。こうした環境に育てば、そして誰一人愛情をもって接してくれず存在を否定され続けていれば、自分もどうなっていたか分からない。もちろん殺人を正当化する気持ちは微塵もないが、殺人者を育てた環境や社会を無視していては、事件の本質には迫れないであろう。折しも18・19歳を特定少年とした改正少年法の下、犯行当時19歳の少年に初の死刑判決が下された。殺人の被害者は2人、放火もしている。永山則夫については、1審死刑の後、2審無期懲役となり、最高裁で再び死刑となって、48歳の時に死刑が執行されている。獄中結婚し、『無知の涙』などのベストセラーを執筆発行し、印税を被害者遺族に渡した(受け取らなかった遺族もいる)。

 

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『国際ロマンス詐欺に遭いました。お金を取り戻したいです。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2024年1月号

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