春の叙勲で「旭日中綬章」を受章しました

 このところブログをアップしていないことには気づいていたが、直前がなんと4月半ばであった。実に1ヶ月半。今日は6月初めての出勤日である。

 昨年から動きはあり、この春の叙勲対象になっていることは分かっていた(この3月に叙勲対象年齢の70歳になるので)。履歴書の細かいのも送られてきて、公務のみ書き足してくれとのこと、弁護士については「平成10年5月弁護士登録」の一言しかないのに、かえってびっくりした。あとは叙勲の種類だが、4月になって内閣府叙勲局から連絡があり、予想通り中綬章(旧勲3等)とのこと。もし参院議員を2期やれれば副大臣(あるいは参院委員長)になり、もう1等上の重光章を頂けたと思うが、それはタラレバでしかなく、誰もが貰えるわけではない勲章を頂けること自体、非常に有り難いである。

 参院事務局からは当日皇居で天皇陛下に対する「御礼言上」を私が代表して述べる旨依頼され、引き受けていた。言上文は当日宮内庁から頂けるので読み上げるだけでよいのである(案文自体は事前に貰っていた)。5月20日(火)は自宅で色留袖を着て、タクシーをよんで総理官邸にまで出かけた。その日は32度にまで気温が上がり、袷の着物だし、とにかく暑かった。総理官邸では私が筆頭で内閣府副大臣から賞状と勲章を授与され、あと記念撮影をしてマイクロバスで皇居に参内した。バスの中で待つこと20分。小さなハンドバッグ以外は携行できないし、皇居内ではトイレに行けないと言われ、お茶を飲む量に気を遣った。そして豊明殿に。皇居内で一番大きな広間(280坪)であり、国会議員時代何度か来たことがある。そこにびっしり椅子が並べられている。消防庁など褒章受章者も同席とのこと、配偶者も受章者とほぼ同数いるので、全部で300席は優にあっただろう(あるいはもっと?)。

 私の席は多数の椅子席を後ろに、ひとり前にぽつんと置かれている。「代表の方はあちらに」。最前列の真ん中に座るのだとばかり思っていたので、えっ、あんな所に?!とちょっと驚いた。その前の授賞式が遅れているとのこと、結局そこで15分は待つことになった。冷房が効いているし空気は乾燥しているし、御礼言上を読み上げる際に声が掠れないだろうか、それがひたすら心配だった。太鼓が鳴り、ようやく陛下が左側扉から入ってこられた。一同起立、礼。「代表の方以外はご着席下さい」。私はその場で礼をし、封筒から御礼言上文を取り出し、読み上げた。ゆっくり、はっきりと(マイクはない。陛下も使わないのでと)。礼。陛下がモーニング内ポケットから答礼文を取り出し、読み上げられた。「これまでのご功績が…どうか体に気をつけて下さい」。終わって壇上から降りて来られ、私に直接話かけてこられた。「国会議員をされていたのですよね」(御礼言上の最後に自分の名前は決して言わない。経歴など陛下はすでに把握済みなのである)。

 実は今を遡る21年前、厚労大臣政務官のときに東宮御所に上がったことがある。障がい者の技能オリンピック(たしかインドで開催されたと思う)に選手を派遣することへのご挨拶である。本当は副大臣が行くはずだったのに当日急遽行けないとのこと、政務官である私にお鉢が回ってきたのだ。このときの挨拶文は「本大会は00年に00で始まり、これまで0か国で開催され、今回日本は00人を派遣する、分野は00、00…」といった細かい内容であり、暗記はしたものの大変緊張した。皇太子は私の前でにこやかに見守って下さった。当初欠席予定の雅子妃は急遽来られるとのこと(元女性検事の経歴に興味を持たれたのではないだろうか)、お支度に20分ほど待って下さいと言われて、待合室で挨拶文を復唱していたのを思い出す。派遣選手の代表者ともどもお茶とお菓子を振る舞われ、退出時、深々とお辞儀をした私の上に雅子妃の「大会のご成功をお祈り申し上げます」との優雅な声が響いた。その後長年にわたり、「帯状疱疹での不調により」ご公務欠席が続いたので、あのとき雅子妃にお会いできたのは奇跡のようなことであった(なお、同席した厚生労働省局長からきちんと挨拶文を空で言えたことを褒めて頂いた(笑))。

 今回の叙勲は4月22日閣議決定、4月29日に新聞に掲載された。それから5月20日まではとにかく長くて、御礼言上を述べる私としては、体調を壊さないように、睡眠不足にならないように、喉の調子が悪くならないように、と飲むのもできるだけ遠慮していた。終わってとにかくほっとした(その後27日には弁護士会での表彰があった)。いろいろな方から祝電やお花その他が送られてきて、感謝している。できるだけ自筆でお礼状を出した(とても親しい人の場合はメールで済ませているが)。やはり皇室の権威はすごいものだと思う。なにせ世界で一番由緒ある家なのである。日本の元首は天皇であり、だからこそ世界でも一目置かれている。長く執務する大統領であればいざ知らず、ころころ替わる首相が元首ではこうはいかない。皇位継承問題は日本のあり方の根本でもある。皇統は男系でなければならず、一時の女性であればともかく(歴史上中継ぎの女性天皇は何人か存在した)、女系は絶対ダメと言う人は多い。ヨーロッパの王室を見習う必要は全くなく、もし日本が男系を貫けるのであればそれでよいと思うが、そうもいってはいられない現実であるのも事実であろうと思う。

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