趣味の話

 長い間更新していなかったような気がしていたが,なんと4月もすっかり終わり,ゴールデンウィークに入ったではないか。
 4月4日は,満開の桜の下,武道館で帝京大学の入学式が盛大に行われた。みな,頑張れ,と心から思う。
 1時間半の式典を終え,事務所まで歩いて帰ったのだが,ゆっくり歩いて15分程度。この間,千鳥ヶ淵の桜を存分に楽しめた。今年の桜は3月下旬から4月上旬まで見頃が長かった。やはり入学式には桜が欲しい。

 4月11日からは毎火曜の大学通いが始まったが,2年目で慣れたし,親しい学生も増えて,実に楽しい。
 弁護士業務のほうはこの1日までに鋭意,すべきことは皆し終え(相手方側から来ていない書面があるが,私はいつも期日厳守である。仕事は依頼者のためにも迅速に処理すべきだ),ゴールデンウィークは大いにリフレッシュするつもりである。
 よく学びよく遊べ。頭の回転を良くし,最大限効率を高めることこそが仕事の極意と思う。

 私のリフレッシュといえば,今はこれ。ピアノ。
 この4月16日,突如,素晴らしい音が出たのである。
 ピアノの音は――弾かない人にはよく分からないらしいが――弾き手によって千差万別である。幸い,大学時代についた先生に音の出し方を徹底的に直されたお陰で音自体は綺麗なのだが,単線なのが不満で,まろやかな,幅やこくのある音を出したいと願っていた。半ば諦めていたその音が,突如,出たのだ! 奇跡だと思えた。
 以後,大げさなようだが,世界が違って見える。
 楽しくて楽しくて,ピアノを弾いていると,3時間,4時間はすぐに経つ。休日は6?7時間。ベートーベンのソナタ(全32曲),シューマン,ブラームス,シューベルト(ソナタが実に綺麗だ)などなど,弾きたい曲が無数にあって困ってしまう。
 問題は,練習時間である。
 防音室が欲しいのだが,賃貸だから無理だし,防音箱に入ってまで弾きたくはないので,朝9時から夜8時までのマンションの自粛制限内で弾いている(初見が早いので片手練習があまりなくすぐに曲になるとはいえ,クラシック嫌いの方,何よりその間静寂を壊していることに対し,マンションの近隣の方々,本当にごめんなさい!)。
 夜の付き合いは最小限にしたし,ショッピングなどとんと行っていない。なんと安上がりな趣味であろう。ピアノが一番やりたいことでストレス解消でもある。
 こんなことも起こるのだなあと,自分でも不思議な昨今だ。7日,ことにベートーベンでは日本有数のピアニストのレッスンを受けることになっている。曲目はベートーベンの「テンペスト」に決めた。

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執筆「心身共に元気で年を重ねるために 自分に合った趣味でエネルギー値を上げる」

 先日、同い年の知人の来訪を受けた。彼女は2年前、鬱病にかかり、最近ようやく出歩けるようになったのだ。
 仕事はとうにやめ、子どもはおらず、家で日がなテレビを見る毎日だという。
 「何かしなくちゃいけないとは思っているのだけど、何もしたいことがないのよねえ……」。発病前も彼女は同じことを言っていた。
 私の周りには、その正反対に、エネルギーに溢れた人が多い。医者だった御主人に先立たれた薬剤師の知人は、大して語学が出来るわけでもないのに、ひとりカメラを抱えてよく外国に出る。写真集を出版し、個展も開く。今年78歳だが,この春もまた、元気にトルコに出かけて行った。帰国後、個展を開くという。
 人にはそれぞれ、持って生まれたエネルギー値があるのかもしれない。私のエネルギー値は、と考えると、仕事も人との交遊も好きだし、趣味もあるし、平均値よりはきっと高いのだろうと思う。
 趣味のピアノは、4歳の時、母に習いに連れて行かれて以来の長い付き合いだ。
 最初遊びたくて嫌がっていたが、すぐに好きになり、以後20年以上、飽きずにずっと習っていた。検事になって転勤生活となり、先生につけなくなってやめたが、それでもピアノだけはずっと持ち運んでいた。
 ただ、弾かなくなって指は自然と動かなくなり、すっかり諦めていたのだが、2年半前、レッスン再開を思い立った。実に21年ぶりのレッスン! やがて、少しずつだが指はまた動くようになり、また、年輪を経た分、個々の音や音楽そのものに遙かに愛着が深くなったのが分かる。
 仕事が他人のストレス肩代わり業だからこそよけいに、忘我で浸れる世界を持てることがありがたい。副次効果だが、指を動かすことほど、ぼけ防止に役立つことはないらしい。
 たまたま親に習わされた楽器が好きだったのは幸運というほかはない。ふと思うことがある、もしこれがバイオリンだったらと。そうしたら、それをきっかけに音楽が身近になり、クラシック好きにはなっていただろうが、きっと続きはしなかった。もちろんバレーや日本舞踊だったらとうてい無理だった。趣味にも、仕事や人と同様、相性があり、運命のようなものがあるのだろうと思う。
 最近私は、ヨガに通いだした。こちらは、「好き」からでは決してなく、加齢対策、健康を維持する必要性からなのだが。
 政治家を筆頭に(?)元気な人はみな、よく食べる。あるいは、食べるから元気なのか。高齢化の時代、いつまでも心身共に元気で、年を重ねたいと思うのだ。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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執筆「人の基本をなすのは国語 その力がものの考え方と感性をつくる」

 昨春から大学に通い始め、1年が無事に経った。
  後期試験は1月末であった(春休みが2ヶ月以上あるのだが、自分がそんなに長く休んだ記憶がない)。試験後1週間以内に採点をする。その数、3科目合わせて、実に600枚! 論述式問題である。
  と言うと、公立大学に長年勤める友人が絶句した。「私立は過酷だなあ。僕だったら絶対、穴埋め式にするね」。であれば、苦労するのは問題作成の時だけだ。採点は人に頼んだっていい。
  だが、どんなに採点が過酷でも、私は今後もずっと論述式にするつもりである。
  理由は、三つある。
  まずは、全体的な理解度が、文章を通してはっきりと分かるからだ。それが次期以降のより良い授業につながる。
  二つ目は、個別の出来がよく分かるからだ。
  毎回前列に陣取り、熱心に質問してくる学生とはすでに馴染みになっていて、大いに期待しているのだが、意外に大した出来でなかったりする。その一方、未だに名前と顔が一致しないのに、S(最上)評価の答案もある。そうした学生の前期の成績を見ると、例外なくS。つまり、出来る。いい答案に出会うと、文句なく嬉しくなる。
  三つ目は、学生に文章を書かせたいからである。論述式の試験をクリアすべきことが、彼らにとって文章を書く一つの動機づけになればと思うのだ。
  今時の若い者は……の例に漏れず、彼らの多くは文章が苦手である。
  論述式!? マジですか、先生。
  もちろんよ、と私はにっこり。
  ことに1科目(刑法総論)は必修だから、C以上の合格点が取れないと卒業できない。彼らには死活問題なのである。だから、心優しい私は、問題を授業中に教えたりするが、それでも多くの学生にとっては苦痛であるらしい。
  昨年来のベストセラー、藤原正彦著『国家の品格』にいう。初等教育は、「一に国語、二に国語」。
  国語は人の基本をなす。筋道の通った考えを持ち、適切に表現し、人を説得するのは国語力なのだ。そのために、本を読むこと。小中学生の時にどれだけ小説を読み、言葉を会得し、様々な世界を知り、感性を磨いたか。それがその後の人生を決めるといっても過言ではない、と私は思う。国語は、ものの考え方と感性を作る。つまり人間を作るのである。
  法律の基本は国語力です。まずは本を読みなさい。新聞を読みなさい。そう私は常々、学生に言っている。
  再び、4月。新しい学生と出会う。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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麻原被告、控訴棄却

  3月27日、東京高裁が麻原被告の控訴棄却を決定した。相当に思い切ったものだと感心している。
「控訴裁判所は(弁護人が)裁判所規則に定める期間内に控訴趣意書を差し出さないときは決定で控訴を棄却しなければならない(刑事訴訟法386条1項1号)」。遅延がやむをえない事由に基づくものと認めるときを例外として(同法規則238条)、原則として控訴は棄却されるのだ。
  とはいえ、事件が事件なだけに、また死刑判決でもあり、そんな簡単には(!?)処理はできないのではないかとの読みが一般であった。
  だが、高裁は決然と決定をした。高裁への異議申し立て(同条2項、385条2項、422条により、提起期間は3日)、続いて最高裁への特別抗告(433条、提起期間5日)が出来るが、原決定が法の定め通りに行われただけに、覆ることはまずあるまい。

  麻原被告の一審死刑判決は2004年2月。初公判から実に8年後であった。
  控訴趣意書提出期限は翌2005年1月と定められたが、一審の国選弁護団辞任後就任した私選弁護団は、被告本人と意思疎通ができないことを理由にこれを徒過、同年8月に延期された期限も再度、徒過した。
  弁護団は、被告には訴訟能力がないとの理由で公判手続き停止の申し立てをしていた。世上よく問題とされる責任能力は「犯行時」のものだが、訴訟能力はこれとは違い、訴訟を遂行できる能力のことである。犯行時は責任能力があっても、拘禁される結果としてよく起こるいわゆる拘禁反応や、その後発病した精神病などによって訴訟能力がなくなることはあり、となると本人には当事者能力がないのだから、公判は停止されなければならない。弁護団は麻原被告の控訴審前にこれを主張したのである。
 
  だが、そもそも拘禁反応によって被告に訴訟能力がなかったのだとすれば、一審判決を受けることもできなかった。それ以後、とくに訴訟能力がなくなる事由は発生していない。
  実際、弁護団は控訴趣意書を用意していたし、訴訟能力を本当に争うのであれば、控訴審で争えばいい。明瞭に定められた法を遵守しなかったことで、被告が控訴審を受ける権利を奪い、一審の死刑判決を確定させる責任は重大だ。弁護士会の懲戒処分の対象になるであろうし、弁護過誤でもある。
  もちろんこれは、被告の刑責が重大にすぎ、一審も十分に長すぎたとこととは別次元の問題である。裁判が迅速であるべきなのは言うまでもない。
  ただ、裁判によって全貌が明らかにされることを強く望む気持ちは分かるが、しょせん人間の手によるもの。自ずから限界があることを、国民もマスコミも是非知ってほしいと思うのである。

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偽メール騒動(その2)

  先日、外務省出身の有名な方と宴席を共にした際、例の偽メールについてこんなことを言われた。
「○○(ガセネタ提供者の具体的な名前)は私文書偽造に問えないのですか?」
「無理ですね」と私。
  文書偽造には公文書偽造と私文書偽造がある。公文書のほうが信用が高いので、偽造に対する刑罰も当然に重い(公文書1年以上10年以下の懲役。私文書3月以上5年以下の懲役)。
  実は、偽造には二種ある。有形偽造と無形偽造。といっても一般の人には何のことだか分からないはずだ。有形偽造は、作成権限のない人が他人名義の文書を作成すること。一方無形偽造は、作成権限をもつ者が真実に反する内容の文書を作成することである。
  本件は、ホリエモン作成名義の文書を偽造したのであるから、もちろん私文書偽造のほうだ。だが、作成名義がもともと黒塗りなのであれば、誰の文書を偽造したのか不明である。であっても内容は虚偽であるだろう。だが、私文書の場合、公文書と違って無形偽造が処罰されるのは、虚偽診断書等作成のみなのである(刑法160条。刑罰も3年以下の禁錮又は30万円以下の罰金と軽い)。

「じゃ、ひどいなあ。まったく処罰されないのですね」
  と彼は言う。
  もちろん詐欺は成立しうる。被害者がガセネタを本物と偽って騙され、対価を支払った……。だが、対世間的には、正義感でやむにやまれず出された内部告発か何かであったと思わせたいのではないか。だから、自分たちはこの程度の拙いメールにに騙されて対価(いくら?)を払ったのだと恥をさらけ出すような馬鹿なことはすまい、それが私の読みである。だが、あるいは告訴をするのか。恥の上塗りのように思うが。

  詐欺といえば、耐震強度偽装事件。未だに詐欺で立件とは聞かない。
  もともとこれは難しいと以前に指摘した。関係者が複数いるからだ。設計者、検査機関、建築主(ヒューザー)、コンサルタント、施工者……。
  設計者は検査機関が見抜くはずだと思っていたと弁解するだろう。お互いにそうである。ヒューザーは早速に自ら損害賠償請求訴訟を起こし、責任を免れようとしているようだ。共同正犯には互いに意思の疎通が要る。互いにもたれあい、無責任体質であったというだけでは、故意が基本の刑法犯に問うのは至難の業である。
  まして、ワイドショーなどや一部識者が指摘していた「殺人」などとうてい無理である。殺人の「認容」がないのだから。関係者の誰であれ、いずれ大地震が起きて誰かが死ぬことを認識していたにしろ認容していたとまでは言えない。そんなことになれば自らの責任問題(少なくとも民事上、あるいは行政上の)になるのだから。

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