執筆「仏教文化を学んだら,目から鱗 日本語の素晴らしさが見えてきた」

哲学、宗教関係の本をまとめて買い込んだ。
 実はとうの昔からうすうす気付いていたのだが、西洋人の背骨にはキリスト教があり、その芸術を理解するには、歴史や宗教の理解が不可欠なのである。そのため遅まきながら、一般教養のレベルでいろいろと読み始めたら、これが実に面白いのだ。
 旧約聖書(ユダヤ教、キリスト教、イスラム教の共通の聖典)、新約聖書(キリスト教)、コーラン(イスラム教)、あるいはギリシア神話など。併行して、仏教関係の本も読み始めたところ、こちらは非常に言葉の勉強になると気が付いた。
 日本語の日常の言葉には実に仏教用語が多いのである。その中にはサンスクリット語(古代インドの典礼語で、梵語ともいう)の表音をそのまま漢字に当てはめたものが多いという。例えば、嘘も「方便」、「阿吽(あうん)」の呼吸、あるいは「南無」(「帰依する」を意味する「ナマス」から)、またはシャリ(身体を意味する「シャリーラ」。真っ白な米粒が遺骨に似ているから)。
「しゃかりき」が「釈迦力」で、「ガタピシ」は「我他彼此」。我と他者、あれとこれというように物事を対立させ、縁起から離れて衝突を生じた様子である。僧服は黒で「玄人」、対する一般人は白い人の意味で「素人」であるなど、まさに目から鱗の連続である。
 ちなみに京都の祇園は、平安時代に藤原基経が自分の屋敷を寺にし、インドの祇園精舎の故事にちなんで祇園社と名付けたのが起源であるそうな。また、「他力本願」は他人頼みの悪い意味で使われるが、本来親鸞の「他力」とは、阿弥陀仏の誓いの力のことである。 言葉は実に文化そのものなのだ。

自由民主党月刊女性誌

『りぶる』
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