執筆「若者に広がる活字離れに危機感 文章を読んで思考力を培う努力を」

 活字離れが止まらない。
 かねてからの出版不況のうえ、新聞の購読者数が軒並み落ち込んでいるという。
 新聞は生活の必需品だと堅く信じてきた私だが、今の学生が新聞を読まないのは驚くばかりである。理由を聞くと、高いと言う。たしかに下宿者には高いだろうが、飲み代を少し削れば購読料くらいは出る。
 ニュースはネットで見られると彼らは言うが、ネットには社説・論説がない。各社生え抜きの論説委員が知恵を絞って書き込む記事は、思考力を培うのに格好の材料である。加えて、新聞では記事の軽重が一目で分かる。どの記事を何面に載せ、どれだけのスペースをさくか。どういう解説を、どの識者に書かせるか。各社が頭を捻るからこそ何紙も購読する価値があるのである。
 対するネットではどのニュースも同じに扱う。新しい順に更新され、古い分が消されていく。妻がワイドショーばかり見て、芸能も政治も同レベルの話題にすると嘆く知人がいるが、ネットがまさにそうである。そんな情報をいくら仕入れても知識とはならない。知識とは体系的なものだからである。
 人と接していて、軽いなあと感じることがある。物事を表面的にしか見ない、自分の言葉にならない……。これはそもそもの思考力が不足しているのである。考える力をつけるには、まずもってそうした文章が読めなければならない。漢字が読めるのは当然のことだ。読めなければ自ら考えることはできない。もちろん論理立って話すことも書くことも無理である。
 ネットは単にツールにすぎない。知識あってこその情報である。自らが使える器ではないのに、ただ便利だからとネットを使うのは危険である。だが活字離れは止まらない。どうすればいいのだろうと思う。

自由民主党女性誌 『りぶる』

カテゴリー: 執筆 | 執筆「若者に広がる活字離れに危機感 文章を読んで思考力を培う努力を」 はコメントを受け付けていません

小沢対特捜部

 昨日の通常国会前に特捜部は,かねて調べてきた石川議員を政治資金規正法違反(虚偽記載)で在宅起訴──というように聞いていた。
 ところが,13日には関係各所に強制捜査(捜索差押え)が入った。暦を見ると「先負」。縁起が悪いから普通こういう日にはしないのだが,特捜部もよほど焦っているのだろう。身柄確保(逮捕)は少し遅れて15日夜,「赤口」。
  国会開会中は現職国会議員には不逮捕特権がある。ぎりぎりの日程だった。新旧の秘書も併せた逮捕者は3人。うち大久保秘書は,昨年3月に逮捕されて現在公判中だ。この容疑は以前に書いたが,2000万円程度の政治資金規正法違反にすぎない。しかもまったくの不記載ではなく記載はしたが,その団体の実態が別にあることを知っていたから虚偽記載だ,というそもそもがきわどい容疑であった。無罪になる可能性が大きいと思っていたが,実際,公判の推移で無罪の公算が高まっていると漏れ聞く。逮捕容疑があまりにちゃちかったので,それは突破口にすぎずきっと悪質な事犯が出るはずという読みが外れたのは当初の私の予想どおりであった。

 小沢は嫌いである。顔も喋り方も存在も政治手法も。政治とは言葉で人々を説得するものなのに,彼はまっとうな演説も討論もできない。なのになぜ権力が集中するかといえば,集金方法及び選挙を熟知しているからであろう。田中角栄,金丸信に連なる金権体質の政治家は政界から一掃してほしいと願っているが,ただ,だからといって今回の捜査を是とするかは,自ずから別問題である。
 以前から再三主張しているように,主権在民である。国民が選挙で代表者を選び,国を変える,それが民主主義なのだ。一方特捜部は国民の信を得ていない。その特捜部によって国の在り方が変わってよいはずはない。もちろん法治国家だから収賄など明らかに法に触れる犯罪が出てくれば別だが,狙いを定めて何でもいいから洗うというのは越権である。
 4億円が今回ゼネコンから渡った裏金で,その金を土地買収にそのまま使った,という明らかな証拠でもあれば別だが,今回裏を取っているのは5000万円に過ぎない。あとは関係者を逮捕して何かをはかせようというのであれば,前近代的な手法である。

 問題は特捜部がリーク合戦をしているということである。リークをしてメディアに悪者として取りあげてもらい世論を盛り上げるというのは特捜部の常とう手段であり,メディアもネタがほしいがために批判をしないという悪循環が作られてきたが,本来,捜査の内容を漏らすことは国家公務員法違反にも該当することなのだ。
真に証拠がきっちりあれば,黙々と捜査をして20日後に起訴をすればすみ,これほどのリークをする必要はないので,これは特捜部の焦りと見てとれる。

 自民党も特捜部待ち,敵失で浮かれているようでは情けない。
 国民は雇用問題,景気対策を真に願っている。国会でやるべきことは盛りだくさんだ。自民党も含め政治家が自ら引き起こしている金銭問題に終始するために国民は代表を選んでいるわけでも高い歳費を払っているわけでもない。そのことを肝に銘じてほしいが,どうやらバッジをつけるとみな正常な国民感覚を忘れてしまうものらしい。

カテゴリー: 最近思うこと | 小沢対特捜部 はコメントを受け付けていません

執筆「健康のありがたさを思い 感謝の気持ちを忘れずに持ち続ける」

 新年早々から私事で恐縮だが、昨年の終わり頃、突如頭痛に襲われた。
 大学生の頃は頭痛持ちだったが以後止んで、久しい。今回は頭や体を動かすと右側の一定部分がずきずき痛む。1週間続いたので受診したら、緊張性頭痛でしょうと、血行をよくする薬をくれた。処方された7日分を飲んだが頭痛も肩こりも治らない。その場合は頭痛外来に行くよう言われたが、検査漬けになるだけだと思い、そのままになっている。
 これで分かったことが二つある。風邪程度でもよく思うことだが、常がいかに恵まれていたかということが一つ。
 あと一つは、少々の痛みくらい大したことではないということだ。完全を望むからいけない。頭の左側も体の他の部分も痛まない。動かなければ大丈夫。それに、きっとそのうちに治る。
 耳鳴りに襲われて受診した黛まどかさん(俳人)は、手遅れで一生治らないと診断されたそうだ。ホテルで冷蔵庫も止めるほど音に敏感なのに、昼夜を問わず耳元で音が鳴り続ける苦痛。そのとき初めて、耳鳴りがあると言っていた知人の苦悩に思いが至ったという。世間には、治らないどころか悪化必至の難病に悩む方もおられる。
 人はとかく今ないことに思いを馳せがちだ。そうではなく、今あることに感謝をすべきなのだ。飲食店の人が書いていた。客が少なくて険しい顔でいたところ、「来てくれた客になぜ感謝をしないの?」と言われ、目から鱗であったと。たとえ今は仕事がうまくいかなくても、希望や努力を捨ててはいけない。健康がある、家族がいる。何より生きている。犯罪被害や事故で突如命を奪われる人が世の中には大勢いるのである。
 年頭にあたり、「今あるものに感謝」の気持ちを改めて持ちたいと思うのだ。

自由民主党女性誌
『りぶる』

カテゴリー: 執筆 | 執筆「健康のありがたさを思い 感謝の気持ちを忘れずに持ち続ける」 はコメントを受け付けていません

政治が見えない

 民主党政治,早や3か月で正体見えたりである。
 梅原猛氏が鳩山首相を評して「宰相らしい人がようやく出てきた」と手放しで褒めていたのは1か月ほど前のこと。自民党の,とくにこの5代はひどかった,中には中学程度の教育さえ受けていないと思わせる人もいたと。これを読んだとき違和感がなかったということは,私もまだその時点で首相ないし新内閣に期待をもっていたはずである。
 鳩山首相の人間性の良さは認める。閣僚たちもそれぞれにいいと思う。だが内閣が何をどうしたいのか,そもそもどんな国家にしようとしているのか,何も見えてはこない。
 政治は国家の意思決定である。意思決定がどうなされたのか,プロセスが見えなければならない。リーダーたるもの,最終の動かない意思を国民に示さなければならない。それが政治である。

 安全保障は国の基本だが,今回の普天間問題に見る首相の迷走は目を覆うばかりである。国際的にどれほどの恥だろうか。連立政権を組む以上,基本政策の合意は不可欠である。日米合意を優先するのであれば社民党とそもそも連立は組めない。米国にいい顔をし(首相はオバマ大統領に「トラストミー(私を信用して)」と言ったという。),社民党にいい顔をし,沖縄も立てて,などといったことは出来ない。この甘さ加減には怒りを通して呆れてしまう。
 もちろん鳩山首相にはそもそも実権がないのであろう。小沢の傀儡との声は巷に満ち満ちている。党の幹事長が意のままに政治を動かす構図。だが,国家の意思決定はもちろん内閣でなされなければならない。党は国家の行政機関ではなく,私的な存在である。これでは党独裁のどこやらの国家となんら変わらない。
 日米同盟がこれまでになく動揺するなか,小沢幹事長は600名を引き連れて中国を訪問した。安全保障は現実問題である。現実に北朝鮮の脅威があるかぎり,日本は非武装というわけにはいかず,憲法を改正しないかぎり自ら武装するわけにもいかない。どこかの傘に入らなければならないのだが,であれば日米同盟を厳守するしかない。彼は国連の安全保障が好きなようだが,国連は幻想で,軍隊を発動するのはアメリカなど大国の意思であることは,一般民衆は知らないにしろ政治家にはイロハである。

 天皇と中国副主席の謁見問題も目に余る。
 これが純然と憲法の定める国事行為(第7条)に該当するにしても準国事行為にすぎないとしても,天皇のスケジュールは純然とした私的行為でないかぎりすべて「内閣の助言と承認」によるべきものである。だが──ここが肝心──彼は内閣の構成員ではない。これをどうやら理解していないとしか思えない「宮内庁長官は行政の一員にすぎない。言うことを聞け」旨の発言には唖然とさせられた。内閣がやはり傀儡にすぎないことを図らずも露呈した一件。天皇の政治的利用は許されないというのは現実には必ずしも通らないとしても党による政治的利用が許されないのは当然である。もちろん宮内庁長官がいったん受けておいてばらしたことも許されない。行政の在り方として上の指示に従えないのであれば辞任するしかない。
 まさにどこもここも……とにかく暗澹たる気持ちになる年の瀬である。

カテゴリー: 最近思うこと | 政治が見えない はコメントを受け付けていません

執筆「スポーツ界で活躍する若者に 準備する努力の大切さを学ぶ」

 日本体操、復活である。
 北京五輪個人総合で銀を獲得した内村航平が、10月、ロンドンで開催された世界体操競技選手権大会で、ついに金に輝いた。弱冠20歳。女子も、17歳の鶴見虹子が個人総合銅を獲得した。日本女子体操では43年ぶり、2人目の快挙だという。彼女、種目別の段違い平行棒では銀を獲得。ブラボー!
 体操は高度な技とともに美を競うスポーツである。といえば、フィギュアスケートもそうだ。なぜかここ数年、日本が圧倒的に強い。やはり10月、グランプリフランス杯で織田信成(22歳)が優勝。浅田真央は2位だったが、続くロシア杯では安藤美姫が優勝した。
 2つの競技は、どの一つの演技を見ても人間業とは思えない。平均台の上を歩くだけでもすごい。氷上を滑るのは至難の業だ。それを3回転、4回転、捻り技……。目にも止まらぬ早さで正確に体を動かす彼・彼女たち。脱帽である。
 本番で難技を決めるには練習で120点が出ていることが必要だとよく聞く。100点満点でも不完全、それ以下は論外だ。余裕をもって毎回確実にこなせる程度でないと、本番での成功は望めない。まさに血のにじむような努力が、笑顔で披露される演技の背後に連綿として続いているのである。
 これは極端な例だとしても、我々にも同じことが言えるのではないかと思う。よく出来る人ほど実は日ごろ、たゆまぬ努力をしている。運よくたまたま成功なんてことは、それこそめったに起こらない。決して手を抜かず、万全の準備をしたうえで、本番に臨むべきなのだ。「人事を尽くして天命を待つ」。天命を待つために人間は己のできることはし尽くしておかねばならないのである。
 真剣勝負の若い競技者に学ばされる。

自由民主党女性誌 『りぶる』

カテゴリー: 執筆 | 執筆「スポーツ界で活躍する若者に 準備する努力の大切さを学ぶ」 はコメントを受け付けていません