執筆「検事になるきっかけとなった 指導検事との思い出」

人生は人との出会いの連続だが、その中に、人生を変える出会いがある。
  検察修習の指導係だったK検事はその一人である。人なつこい丸顔にはにかんだ笑みを浮かべ、修習生室に元気に入ってくる姿が今も記憶に鮮やかだ。
 神戸地検では司法修習同期26人を半分に分け、各4ヶ月、実務修習をさせていた。修習生には適宜事件が割り振られ、取り調べをし、公判立ち会いもする。ここで司法解剖も経験した。

  司法試験に合格しただけの若造相手に、大変な毎日だったはずだが、K検事はいつも泰然としていた
  私にやる気があるからと、殺人事件も任せてくれた。夫に女が出来たと思いこんだ妻が、子ども2人を道連れに鉄道自殺を図り、自分だけ生き残った事件。「夫の落ち度とか、被疑者に有利なことを調べるのは弁護士の仕事でしょう」と言う私に、彼は言った。「いや、検察は公益の代表者や。調べられるものは何でも調べるんや」
 真相解明はもちろん、被疑者の更生も検事の大事な仕事である。K検事は常に親身だった。「親が悲しんとるで。あんたもええ加減、立ち直らんとなあ」。

 検察修習で検事を見直す修習生は多い。大学では冤罪を作る鬼検事としか教わらないのだ。K検事はやがて熱心に私に任官を勧めてくれた。弁護士にはいつでもなれる、とりあえずなろうやとも。
 私を含め、何人もがK検事の人柄にひかれ、任官した。その実績を買われ、彼は後に司法研修所教官に抜擢された。自然体で敬愛される人だった。

 振り返って、K検事があのときまだ34歳だったという事実に胸を打たれる。検事正を最後に退官後公証人となり、だがまもなく胃癌に冒され、先般帰らぬ人となった。享年62歳。惜しまれてならない。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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