民主党政権1か月

 このところ身柄事件を引き受けたり(今年は比較的,刑事事件の依頼があった),顧問先その他の相談案件が重なったり,綱紀委員会の起案をやったり,で毎日結構忙しい。人間忙しすぎるとよくないが,適度に忙しいのは生活の張りを生むとよく分かる。趣味のピアノも練習時間を作れ,上達している。なにせ自宅に思い切って6月,防音室を作ってグランドピアノを入れたのはいいけれど,夜10時に弾いていたら早速にクレームがつき(完璧な防音ではないので),結局元の黙阿弥,午前9時から夜8時までの規制を自らかけている。

 しかし,自由業はいい。検事のとき,また国会議員のときは時間は自由にならなかった。時間(人生)を自分の責任と管理においてやりくりし,好きなことをするのは精神衛生上,極めていい。反対に,時間が膨大にあってはとてもやる気にはなれないはずだ。
 野党に転じた自民党。党本部は議員も一挙に少なくなり,客も少なくて,がらんとしているそうだ。議員会館にも客は少ないし(法案提出に野党は不要なので官僚はまず来ない),党の部会も法案提出・審議のためのものではなくなるからこれからどうやって態勢作りをするか,野党必至の今後4年をどう過ごすか。
 何もやることがないからとこの間のんべだらりと過ごすことは許されない。それでは政権奪取はとうていできず党は霧散するし,そもそも与党であれ野党であれ,多額の報酬・手当・厚遇は同じである。ただ無為な時間を過ごしては国民への背信行為となる。
 政治は基本的に政局ではなく,政策なのだ。きちんと論理だって政策論争をするのが当然の欧米を見ると羨ましいなと思う。野党の揚げ足取り,スキャンダル追及に終始しては,国民からますますそっぽを向かれてしまう。

 さて民主党1か月。
 元は無駄であったにしろ,すでにだいぶ出来上がったダムの建設中止はひどすぎる。法の世界において既成事実は重んじられるのだ(刑事事件の公訴時効だってそうである)。住民の同意もとらず,費用対効果として正しいかどうかも検証がないまま,ただマニフェストでうたっているから実行というのでは横暴すぎる。そもそも国民は自民党がいやで民主党に投票をした人が多数だし,細部にわたるマニフェストにすべて同意をして選んだはずもない。鳩山首相のCO2,25%削減だって,国会も財界も同意を得ていない話である。
 高速道路無料化は国民の多数が反対している。時間はかかるが普通道路しか使わない人(車に乗らない人さえいる)がいて,反対に引っ越し業者や宅配業者のように費用を払ってでも速く着きたい人が高速道路を使う,というのは経済理論としても理にかなっている。混むから無料に,ではなく無料だから(あるいは安いから)混むのである。

 来年1月27日夜,ポーランドのプロとピアノ3重奏曲を演奏する。昨年はベートーベンの3番にしたが,今回は7番「大公」に挑戦する。楽譜にして55頁,全4楽章,ここかしこが技術的に超難度で精神性が実に深い。さすがベートーベンの大傑作であるとともに全ピアノ3重奏曲中最高傑作と言われるはずだ。芸術の秋。仕事の合間に素晴らしい息抜きができて,幸せを実感する昨今である。  

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執筆「当たり前ではない幸せをふり返り 豊かな生活に感謝の気持ちを」

 何げなくテレビをつけたら、華麗な民族衣装の少女が映っている。ベトナムの少数民族だそうだ。その部落では年に3日間、若い男女が集って見合いをするが、そのときの女性の衣装が見ものなのである。
 主人公の青年は、2年続けて失敗、今年こそは相手を見つけたいと、家族ともども願っている。簡素な家に暮らす両親もまた、そこで知り合い、一緒になった。一家で農作業に勤しむ毎日。青年は今回見事に成功、可愛い女性のハートを掴み、自転車に乗せて、家に連れ帰ってきた。皆とても幸せそうだ。放映用の出来レースの感もあるが、私もつい微笑んでしまう。
 そうなのだ。世の中にはまだまだこんな生活をしている人が大勢いるのだ。一日ただ働き、ご飯を食べ、子どもを生み育て、老いて死ぬ。それでも、戦争があることを思えば、疫病や栄養失調で死ぬことを思えば、子どもが物乞いや身売りに出されることを思えば、うんと幸せな人生なのだ。
 この国でもほんの1世紀前まで、人は生きるに精一杯だった。一握りの富裕な貴族も大名も、今の基準からすれば食事はじめすべてが質素だった。歌にいう「逢う」は文字通り、男女が会って交わること以外にはなかった。デートはない。映画館もデパートも旅行もない。そして60年前、この国は焼け野原から驚異的に復活を遂げ、高度成長期を経て急激に、何でもありの生活となった。
  この生活は、人類の歴史上、決して当たり前ではないのである。いったん当たり前になると、人は感謝を忘れ、不足を言いだす。老子いわく、「足るを知る」。世界に目をやり、先人の苦労に思いを馳せ、珍しいほどの豊かな生活を、今ひととき味わわせていただいているという感謝の気持ちを持っていたいものである。

自由民主党女性誌 『りぶる』

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自民党惨敗

 まさかそこまで悪くはあるまいと思っていたのが外れ,総選挙の結果はほぼメディアの予想通りだった。民主党308,自民党119(嘘のサンパチ対百十九番!?)。
 小選挙区制導入の効果が如実に現れたという点では4年前の小泉劇場と同様だが(得票率50%未満で獲得議席70%以上),今回は正真正銘の政権交代となった。前回は「郵政解散」,今回は「政権交代」,キャッチフレーズ選挙という点でも同じである。

 国民は,自民党に愛想を尽かしたのだ。
 2度続いた政権投げ出し,閣僚の相次ぐスキャンダル。景気対策といっては箱物を作り,借金を膨らますばかりの無策さ。このままでは日本はダメになると,国民が憂慮するのは当然である。
  裁判員はあくまで素人である。それでも1年下げて懲役15年としたのは切りがよかったからか。評議の模様が分からないので何とも言えないが,裁判官は相当な苦労をしたのではないか。
 祇園精舎の鐘の声……驕れる者久しからず。まさに平家物語の世界が彷彿とする。9月4日付け朝日新聞で作家の高橋源一郎さんがうまいことを言っていた。父「自民党」の放蕩に妻「国民」は長らく耐えていたが,ついに離婚届を提出。「民主党」は父から脱皮して生まれた子であると。分かりやすい喩えに思われる。
 自民党は慢心し,ついに引導を渡された。とくに小泉さんの時くらいから,目の前の選挙に勝利することばかりを念頭に,人材を育成せず,国家の進むべき道も示されなかった。
 危機的状況を実感したのは,実は選挙に敗れたこと自体よりも(勝敗は時の運,敗れることもある)敗戦処理のまずさである。記者にさえむくれている首相。特別国会まで2週間もあるというのに(本来これは,自民党が新総裁を選出するのに必要な期間として設けられたはずだ),誰も手を挙げず,誰をも押し立てず,首班指名は白紙投票だという。政党政治において首班を指名できないなんて,そんな無様なことが許されるだろうか。内輪もめや足の引っ張り合いをしている場合ではおよそない。人の品性は勝ったときではなく負けたときにこそ表れる。

 民主党にはこの際,日本をよくするために是非頑張ってほしいと思う。
 私がどうしてもやらないといけないと思うのは,雇用の保障である。規制緩和の名の下に,製造業にさえ派遣を解禁したのは誤りだ。人間は物ではない。景気のいいときに増やし,悪いときには切り捨てては,心がすさみ,犯罪も増える。真に少子化対策を言うならば,安定した生活を保障することが必須である。いつ切られるか知れない雇用状況では,人は結婚することもできない。実際,生活の保障がないので結婚できない若者は大勢いるのだ。その現実にこそ政治は目を向けてほしい。優しさのある政治。そもそも政治とは若者に夢と希望を持たせる社会を作ることではなかったのか。今こそ長年の間に貯まった膿を出し,政治の原点に立ち返ってほしいと願う。

 さて,開始1か月になる裁判員制。青森地裁で初の性犯罪(強盗強姦)が裁かれた。現行では無期懲役・死刑が含まれる犯罪は裁判員対象であり,性犯罪も一部,対象となってしまう。裁判員は素人故,書面ではなく口頭審理が必須ということで,被害状況も公開法廷で読み上げられた。被害女性の苦痛は計り知れない。告訴をしない女性,示談をして告訴を取り下げる女性が増えるであろう。対象から外すことを考えてしかるべきであろう。

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執筆「辻井伸行さんの音楽に魅せられて 今後の活躍を心から応援したい」

 暗いニュースが続く中、久々に明るい話題に接した。「20歳の辻井伸行さん、バン・クライバーンコンクールに優勝」。
 日本人が栄えあるコンクールに優勝すること自体非常に慶賀なことであるが、ことに辻井さんは生まれつきの全盲である。どれほどの御苦労があったことか。何であれ楽器演奏は、まずは楽譜の読み方を教わり、見よう見まねで演奏の仕方を学ぶことから始まる。視覚が不自由であることはそれだけでおそろしくハンディである。
 それでもバイオリンとかフルートであれば、指が届く範囲に音があり、いったんコツを会得した後はさほど難しくないかもしれない。だが、ピアノの鍵盤は左右に広がり、中にはリストの「ラカンパネラ」のように、指がばんばん跳躍する超絶技巧曲もある。目が見える人でも音を外すのだから、辻井さんの指には目がついているのかと米国の聴衆がびっくりしたのは当然である。
 天賦の才はハンディなど易々と超えてしまったのであろう。天才は、曲を聴いただけで、調・和音・音楽の構成を直ちに理解し、すぐさま再現できるという。羨ましい限りである。そんな特殊な耳と頭脳があれば、目はさして重要ではないのかもしれない。彼に聞こえる音楽、自ら奏でる音楽にはきっといろいろな色彩があり、様々な宇宙を創造しているのであろう。
 辻井さんの才能はひとり演奏を超えて編曲・作曲にも及んでいる。親しみやすい明るい性格は、今回辻井さんと共に脚光を浴びた元アナウンサーのお母様、産婦人科医のお父様の、豊かな人間性と愛情によって育まれてきたものであろう。
 辻井さんのお陰で、にわかにクラシックファンが増え、とても嬉しい。今後の活躍を心から応援したい。

自由民主党女性誌
『りぶる』

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裁判員制始まる,ノリピー逮捕

 この3日,ついに裁判員制裁判が始まった。
  その様子はこまめに報道されたのであえて記さないが,感じたことがいくつかある。

 1.量刑が重くなることが分かった。
  求刑が懲役16年であれば普通,判決は懲役12年?13年である。求刑の20?30%減が判決の相場だからである。これはしかし現場感覚であって,私自身,思い起こせば司法修習の当初,相当に違和感を覚えた。
  検察官は公益の代表者として被害者の落ち度もすべて勘案したうえで求刑をしている。事実をその通りに認定したうえであえてそれを下げる理由がどこにあるのだ? 私の問いに,指導係検事は答えた。「弁護士の弁論代や。何も下がらんのだったら,弁護士は何のためにおったんか,弁論したのかということになる」。ふ?ん。納得したわけではなかったが,そのうちに慣れてきた。もちろん今は弁護士として,下がらなかったらエライことである。
  裁判員はあくまで素人である。それでも1年下げて懲役15年としたのは切りがよかったからか。評議の模様が分からないので何とも言えないが,裁判官は相当な苦労をしたのではないか。
  さてこの後被告人側は控訴をするだろうから(72歳で15年なんて,実質終身刑である),控訴審がどう判断をするか見ものである。控訴審では裁判員制はないが,だからといって量刑を普通の相場観に変更したのでは何のために裁判員に裁判をしてもらったのか分からなくなる。この控訴審が一つの試金石になるはずだ。

2.裁判員制裁判の弁護士は大変だ。
 国選弁護士報酬を上げて1人40万円としたそうだが,それでもとても割に合わない仕事である。裁判が始まって丸4日,その前に公判前整理手続きで何日か取られた上,記録の精読,加えて裁判員用にパワーポイントなどの準備にどれほどかかるか,考えるだけで気が遠くなる。
  とはいえ,これ以上報酬を増やすのは困難である。今回2人つけて,80万円。裁判員裁判は年間2300件ほどあって,単純計算をしても大変な額になる。殺人はケースによるが,強盗事案で私選弁護士を頼めるほど金を持っているケースはゼロである。

 さて,ノリピー騒動。そもそも私は芸能情報に疎いのでよく知らなかったのだが,清純派として国際的人気も高かったという。とはいえ弟が暴力団員(先月覚せい剤で逮捕)であったというのになぜ法務省や厚生労働省はシンボルに起用したのだろう。
 夫が職務質問されたとき,その所持品検査に猛反対した彼女は,夫が覚せい剤所持の現行犯で逮捕された後,署への出頭要請を無視して行方をくらました。尿を出して覚せい剤が検出されるのを避けるためとしか考えられず(夫婦や恋人は一緒にやっているのが普通である),6日経って出頭して検出は免れた。事務所はなぜ失踪声明など出して騒ぎを大きくしたのだろう。
 マスコミで作られた像の虚しさ,また薬物汚染に深刻さに思いを致す。

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