「誰にでも分かる刑法総論」書評(法学セミナー8月号)

『誰にでも分かる刑法総論』書評(法学セミナー8月号)

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政治家の資質を憂う

 梅雨明け前から35度を超えたり、暑い日が続く。しかし不愉快なのはただ気候のせいではなく、ひとり原発問題や復興問題の故でもない。こうした危機的状況にさえ政治は先に進まない。目途も立たない。日本は下降線をたどり、このまま沈没するのではないか。そうした危機感がだんだん切迫してきた。誰かいい政治家いませんか、とよく聞かれたものだが、今はもう誰も何も言わない。諦念なのであろう。

 先日、某国会議員の故夫人の送別会に出た。渋滞のせいで時刻を若干過ぎたので、式典はすでに始まったと憂えていたのだが、目前には何もなく、来た順に、並べて置いてある椅子に座らされただけだ。前方に広いスクリーンがあるが、その内側で何が行われているのか、アナウンスもないので、さっぱりわからない。葬儀だから本も何も持ってきてはいない。そのうちに隣席の男性がたまたま知り合いの某省局長であることが分かって雑談をすることになった。「前で何やってるんですか?」「分かりません」。結局ただ待つこと1時間、ようやくスクリーン向こうに案内されたら供花場で、亡夫人の遺影が一つ置いてあるだけだった。そして、そこもまた長蛇の列。列が滞る理由(椅子席で延々待たされていた理由も同じ)はすぐに分かった。出口に国会議員ら遺族が立ち、国会議員が一人一人の参列者に丁寧に挨拶をしていたからである。結局会場にいた時間1時間20分! こんなことなら1時間半後に来てもよかったのだ。式典は何もありません、喪主が一人一人に挨拶しますので三々五々にお出でください、そう案内に書いてあったら無駄で不安な時間を過ごすこともなかった。といより、であれば暑くて忙しい中、わざわざ帰宅して喪服に着替えてまで来る必要はなかったのだ。

 葬儀というのは何のためにあるか。故人を偲び、参列者間で思い出を共有するためではないか。それが故人の、遺族の、そしてまた何らかの関係があって集まった人たちへの供養となるからではないか。故人の経歴やエピソードが紹介され、親しい人が弔辞を読み上げ、最後は喪主が挨拶する。その手順があって、故人は生き生きとするのではないか。だが参列者は故人について何も知らされないまま、ただ延々と待たされただけだ。その国会議員と話をするだけなら、別にそこに行かなくても、待たなくても出来たである。この、例を見ないほどの無神経さ、故人及び参列者への思いやりのなさ、傍若無人さは一体どこからくるのだろう。恐ろしくなってしまったのは私だけではあるまい。

 この話をするとみな一様に驚き、政治家失格だと言うが、その以前に人間失格というべきであろう。先般はまた、こういうことがあった。話を少し脚色するが、例えば私の知人が、高級飲食店に私を招こうという際に、どなたか親しい国会議員も一緒にどうぞ、奥様もどうぞ、と言ったとする。そしてその国会議員は妻同伴で来て、一緒に御馳走になり、礼を言った。ここまではいい。しかしその後、妻が私の知人に対して直接、私には何の断りもなしに「とても美味しくて感動したから、友達を連れて行きたい。よろしく」と要望するというようなことがあっていいはずがない。この事態は夫にもそのうち明らかになったのだが、私への謝罪も妻への叱責もなかった。勘違いにもほどがあろうというものだ。

 事さように、永田町にいると、どうやら勘違い病に染まってしまうようだ。被災地に行って暴言を繰り返した松本某大臣にも、だから私はそれほど驚きはしなかった。どんな立場に置かれても自らを客観的に見ることができ、決して勘違いしない人間というのは、もともと人間としての教養と品性が備わっているのである。私はその他、本を決して読まず、勉強しない国会議員も知っている。

 

 

  

 

 

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友人の寄稿『徒然草考』

 前に『インド寄稿』を送ってくれた友人が、今度は(たぶんヨーロッパ出張からの帰途飛行機の中で)徒然草を紐解いて、以下の文章を送ってくれました。この方は工学部出身で海外出張が多く極めて多忙であるにかかわらず、昨夏会ったときはマイケル・サンデルの「正義とは何か」を原語で読んでいて話が弾んだし(もっとも私はテレビで見、本は翻訳しか読んでいないけれど)、この春に会ったときは現代歌人の歌集を持っていたし、今回はオランダでラシュディの小説2冊を買って私にまで送ってくれるし、相当な読書家である。年をよく重ねていく人というのは向上心を持ち、勉強及び読書を怠らない人であると、今は確信している。カラオケやバカ話はかつてはよかったが、今はもう耐えられず、付き合う人も自ずと選別されてきた。人生とはつまるところ天から与えられた有限の時間であり、無駄には出来ない。自らを向上させることに使いたいものである。

1)いでやこの世にうまれては願はしかるべき事こそ多かめれ。・・・ありたき事は、まことしき文の道、作文(さくもん)・和歌・管弦(くわんげん)の道、又有職(いうそく)に、公事(くじ)の方、人の鏡ならんこそいみじかるべけれ。・・・・、下戸(げこ)ならぬこそ、男(おのこ)はよけれ。
(さてもこの世に生まれたからには・・・本格的な学問の道、漢詩・和歌・音楽の道、行儀・作法もよくでき人の手本となり、・・・全く飲めないわけではないのが男としてはよい。)
感想: ・・できたのは・・『下戸ならぬこそ』・・くらいかな・・。

2)よろづにいみじくとも、色好まざらん男(おのこ)は、いとさうざうしく、玉の巵(さかづき)の当(そこ)なき心地ぞすべき。
(万事に優れていても恋心の情緒を解しないような男はまことに物足りなくてまるで底のない玉の杯のような感じがするに違いない。)
感想: 同感・・。

3)世の人に心まどはす事、色欲にはしかず。・・・・久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て通を失ひけんは・・・さもあらんかし。
(この世の人の心を惑わすことで色欲に及ぶものはない。・・・久米の仙人が神通力を失ったのは女性のふくらはぎを見て・・・。)
感想: 久米の仙人はその後、又、やり直して久米寺ひらいたらしいけど・・後藤田さんはどうかな・・・。

4)折節(をりふし)のうつりかはるこそ、ものごとにあはれなり。・・・六月(みなつき)の比(ころ)、あやしき家にゆふがおの白く見えて、蚊遣火(かやりび)ふすぶるもあはれなり。六月祓(みなつきばらへ)又をかし。七夕まつるこそなまめかしけれ。
(季節の移りかわるさまこそは、何事につけても情緒深いものである。・・六月の大祓の行事(邪気払いの行事)も又、趣のあるものだ。)
感想: 同感・・それにつけても・・政治家・・大祓(おおはらえ)・・したい・・。

5)しづかに思へば、よろづにすぎにしかたの恋しさのみぞせんかたなき。
(心静かに思えば、何事につけても過ぎ去った事の恋しさばかりがどうしようもなく切なく感じられる。)
感想: 同感

6)或る人、法然上人に、『念仏の時、睡(ねぶり)にをかされて行を怠り侍る事、いかがして、この障(さは)りをやめ侍らん』と申しければ、『目のさめたらんほど、念仏し給へ』と答えられたりける、いと尊(たふと)かりけり。
(念仏のとき、眠気におそわれて勤行(ごんぎょう)を怠る事がございますがどうやってこの妨げをなくしましょうか?と申し上げたところ『目の覚めている間、念仏なさい』とお答えになったのは大変尊いことであった。)
感想: ・・こういう社長いないかな・・・。

7)『すべて何も皆、ことのととのほりたるはあしき事なり。し残したるを、さてうち置きたるは、面白く、いきのぶるわざなり。内裏造らるるにも必ず作り果てぬ所を残す事なり』と、或る人申し侍りしなり。先賢の作れる内外の文にも、章段の欠けたる事のみこそ侍れ。
(およそ何事もみな、完全に整っているのは悪いことである。し残したことをそのままうっちゃっておいたのは、趣があり命の延びる気持ちのするものである。昔の賢人の著した書物のも章や段の欠けている事がずいぶんあります。)
感想: ・・そうか・・し残しいっぱいあるけど・・良かった・・。

8)寸陰惜しむ人なし。これよく知れるか、愚かなるか。・・・その余りの暇幾(いとまいく)ばくならぬうちに、無益の事をなし、無益の事を言ひ、無益の事を思惟(しゆい)して時を移すのみならず、日を消(せう)し、月をわたりて、一生を送る、尤も愚かなり。
(わずかの時間を惜しむ人はいない。これはよくわかっているせいなのか、それとも愚かであるためなのか。・・役にも立たぬことをして、役にも立たぬことを言い、役にもたたぬ事を考えて時間を過ごすだけでなく、月日を過ごして一生を終えるのは愚かなことである。)
感想: ・・そんな事言われても・・役にも立たない事が面白いのに・・・。

9)思ふべし、人の身に、止むことを得ずしいとなむ所、第一に食ふ物、第二に着る物、第三に居る所なり。人間の大事、この三つに過ぎず。餓えず、寒からず、風雨にをかされずして、閑(しづか)に過ぐすを楽(たのしひ)とす。ただし人皆病(やまひ)あり。・・・薬を加えて四つの事、求め得ざるを貧しとす。この四つ欠けざるを富めりとす。この四つの外(ほか)を求め営むを驕(おご)りとす。
(人間に大事なことは居、食、住に薬。これ以外を求めてあくせくするのはぜいたくである。)
感想: ・・まあ・・暑いのぐらい・・我慢するかな・・。昔はエアコンなかったし・・。

 しかし、裁判所にまで冷房が入らないとなったのは、おそろしいことである。昨日は午後いっぱい尋問。Tシャツでよいのだが、扇子で煽ぎながら水も飲みながら、それでも熱中症になりそうだった。この間裁判官は法衣を着ておられるにかかわらず、ずっと行儀よくされていて、扇子も水もなし。頭が下がる思いであった。明日は午前午後ともに調停。木曜の大学も冷房は入らないし、金曜午後の調停ももちろん冷房はない。

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執筆「施設に契約金などの全額返還を求めていますが・・・」

自由民主党月刊女性誌「りぶる7月号」

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政界のごたごたに思うこと

? 近頃、周りの誰もがとんと政治の話をしなくなったことに気がついた。怒っているうちはまだいいのだ。怒りにはエネルギーが要る。無駄だと分かれば、人はもう怒らない。呆れ、諦めたら、何も言わず微笑すら浮かべることができる。テレビを見ないようにしているという人も結構いる。見ると腹が立って精神衛生によくないからだという。私ももうあまり見ていない。政治のありようはもちろんのこと、マスコミの報道の仕方にも腹が立つからだ。

 主要国首脳会議(ドービル・サミット)冒頭、菅首相は福島第一原発事故を巡って、国際社会の支援に謝意を表明し、採択された宣言中には日本政府と人々に対する連帯が表明された。その1週間後の6月2日、首相が震災対応後辞任する旨表明することで、内閣不信任案は大差で否決された。ニュースは瞬時に世界をかけ巡る。国際社会が唖然としたことは想像に難くない。自国内、政界、いわんや与党内ですら連帯を示せないで国際社会からの連帯を求めることなど出来はしない。何であれ、まずは身内から、なのだ。大震災以来せっかく、日本人の威厳ある対応、現場で献身する自衛隊員・原発関係者に対して海外からの賛辞が注がれていたのに、一挙に水の泡である。

 辞任の時期を巡る混乱が続く。前首相が現首相を「ペテン師」よばわりする笑劇(お前が言うなと思った人が多い)、ポスト菅を巡る報道等々、いつもながらにマスコミは視聴率だけを狙い、問題の本質を深く取り上げることはしない。立法府は第1の権力でありマスコミは第4の権力。2つの大きな権力が共に手を取り合って(?)痴呆化してきた印象を受ける。

 一昨日、とある会合に出た際、来賓の国会議員(民主党)から「恥ずかしくて街を歩けない」と打ち明けられた私は正直少しほっとした。だがその口から続けて出たのは、菅さん批判であった(そう、この方は小沢派であった)。しかし、少なくとも自らの党が正当な選挙で選んだ代表者を(内々であればともかく)外向きに批判することは、どの組織であってもおかしなことである。続けて挨拶に立った自民党議員のほうは、終始堂々とした態度であった。悪いのは民主党で自分だちではないと思っているからであろう。だが、これまた政界の外に対して、また国外に対しては恥ずかしいことでしかない。

 1853年、ペリーが黒船4隻を率いて浦賀沖に来航した後、もし薩長が手を結ぶことなく、また大政奉還によって平和裏に政権を移行させることがなければ、日本は間違いなく、アメリカの植民地になっていたであろう。当時世界中を見渡して、欧米の植民地でなかったのはエチオピアとタイくらいである(清は大国に飲まれてへとへと状態であった。)。坂本龍馬が「コップの中の嵐。日本国がなくなってしまう」と言ったように、コップの中でぐちゃぐちゃやっていた日には日本そのものがなくなってしまう。今もし戦争をしかけられたら、日本はひとたまりもないだろう。戦争という形ではなくても侵略は起こる。未曾有の国難にあってもなおコップの嵐に終始している日本を見ていると、平和ぼけもここまで来たのだと暗澹たる気持ちになる。戦勝国アメリカとしてはこれ以上ないほどの敗戦処理が出来たということであろう。

 その会合の後、タクシーに乗ったら、運転手さんが言った(このところ、上品な運転手さんにあたることが多くてほっとする)。「よく永田町で議員さんをお乗せするんですけどねえ。それが…若い議員さんが乗ってすぐに携帯で話し始めるのですが、話し方といいその内容といい、もうとても聞いてはおれません」。そこらへんのギャルや兄ちゃんの乗りだそうだ。「まあ数さえ取れればいいと議員にしてるんでしょうけどねえ」。もちろん、それではダメなのだ。しかしそういう人たちに代表されているのが日本の現実だ。歴史を知らない、教養もない人が国民の代表者になってはいけない。人としての素養は政治家になる前に定まっている。それがない人が政治家になっては国が弱体化するのは当然だ。

 小選挙区のままでは新陳代謝を図れない。選挙制度を変えないといけないし、やはりその根源には教育の問題があると思う。ひとり政治だけではなく、至る所で劣化が目立つ。人材がいないことこそが、そういう人しか育ててこなかったことこそが、まさしく日本の国難であるように思う。

 

 

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