ビンラディン殺害は正当なのか?

 かつてないほど衝撃的なニュースである。オバマ大統領が演説し、英仏独なども歓迎の意を表し、アメリカの世論調査によると90%以上が支持をしていると言う(ただし殺害ではなく拘束すべきだったとの意見が30%あるとのことだ)。非常な違和感を覚えたのは私だけではあるまい。反対に、違和感を覚えない日本人はほとんどいないのではと思う。根底に2つある。1つは、他国における捜査権力の行使であり、あと1つは、逮捕ではなく殺害したことである。

 捜査権は国家主権に関わり、自国の領土内でしかその行使は許されない(相手国から支援を要請されたりすれば別だが)。例えば、日本国内に誰かが潜伏しているからと他国の人が来て捕まえていくというような事態が起これば大変なことになる。40年近くも前のこと、日本国内にいた金大中が拉致された事件はまさしく日本の主権の侵害であり、大問題となった。アメリカは主権国であるパキスタンに対して犯罪人引き渡しを求めるべきであった。

 もっとも、2005年に建てられた特殊仕様の大邸宅に彼が家族や従者と共に住んでいたということは、パキスタン当局がその潜伏を知りながら知らぬふりをしていた、もっと進んで積極的に匿っていた可能性をも高めている。故に、アメリカはパキスタンには知らせず、自ら特殊部隊によって奇襲作戦を考え遂行したといい、パキスタンを公然と非難している。だから一つ目の問題はそれとなくクリアせざるをえないとしても、二つ目の問題は別である。

 どんな極悪非道の者であれ、私たちの普通の感覚からすると、人権がある。だからこの殺害にはとうてい納得ができない。抵抗したから殺害したと言うが、特殊部隊が丸腰の相手を生け捕りにすることくらいは訳がない。まして本人だけではなく、側にいた者まで容易に死傷させていることをどう弁明するのだろうか。人命の、この限りなく軽い扱いは一体どこからくるのだろうか。世界最強軍を持ち、無人攻撃機で民衆の誤爆も恐れない国だからと言われれば、たしかにそうなのだろう。非難の声明が公には出ないのは、抵抗感がない証であろうか、それともアメリカには公に立てつけないからであろうか(少なくとも日本政府はそうであろう。)。

 我々の感覚からいえば、ビンラディンは9・11テロのあくまで「容疑者」である。公開の法廷が開かれ、そこで彼が行った行為が明らかにされて有罪が宣告されるまで、無罪の推定を受けるのは刑事司法の大原則である。どんな極悪非道の被告人であれ弁明することはあり、弁明の機会は当然ながら与えられなければならない。アメリカの正義とは、適正な手続きを法で保障すること(due process of law )にあるはずだ。自分たちにととって極悪非道の者だから問答無用で抹殺する、それで正義は全うされるのだとしたら、単に強者の論理でしかない。

 英米は適正な手続きを重んじ、片や大陸(仏独など)は実体的な真実発見を重んじる──と、刑事訴訟法で学んできた。日本は戦前は後者から、そして戦後はアメリカから刑事訴訟を受け入れ、折衷型になっている。だが、今回大陸からも非難が起きなかったことからすると、大陸もまた実体的な真実発見を重んじているとも思えない。少なくとも日本ほどに重んじていないのは明らかだ。日本では真実は裁判で明らかにされねばならない。それをしなくてもよいのであれば、オウムの麻原も秋葉原事件の加藤被告も、その場で射殺されれば済んだ。であればその後の刑事司法の手間は一切要らず、コストとしても極めて安上がりだが、それでよしとする日本人がいるとも思えない。実際、9・11の日本人遺族は今回の殺害について「なぜ自分の息子が殺されなければならなかったのか、真実が何も明らかにならない」とコメントしている。

 背景には宗教的相違がある。キリスト教国では「真実は神のみぞ知る」。神が作り給いし人間ごときに分かろうはずはなく、また悪事をした人間は死んで神の裁きを受け、地獄に堕ちるからよいのである。だが八百万の神の国日本では、真実は人が明らかにしなければならず、裁判に期待されるべきことがいやがうえにも高くなる。加えて、一神教の人々はともすれば、神が違えばその神から保護されるべき同じ人とはみなさない傾向も窺える(ブッシュ大統領は原理主義クリスチャンであり、その下だからこそ9・11は起きたとはよく言われていることである)。

 大陸での「真実発見」とは要するに裁判になった場合の理念であり、裁判になる前のものではないのだろうと思う。その前には簡単に容疑者の射殺も行われる(summary executionという)。日本の警察官は自ら怪我をしてでも容疑者に怪我をさせないよう、非常な努力を払って逮捕する。発砲も最小限しかできず、逃亡した容疑者を発砲して死傷されればすぐにメディアが取り上げ、また訴訟となって金銭賠償すら認められている。これはもちろん行きすぎた正義であり、諸外国から受け入れられなくて当然と思う。いずれにしてもそれほど慎重を期して逮捕する結果、極悪非道の者もまた裁判を受け、そして死刑を言い渡されることになる。裁判前に容疑者を殺害してしまうような国から、日本は野蛮な死刑を未だに存置していると非難される筋合いはそもそもないのである。

 テロとの戦いは、相手が見えない。ビンラディンはアメリカの敵ではあっても、別の人たちとってはまさしく正義であった。それがなんの弁明もなく一瞬にして残忍に殺害され、なんの敬意も払われることなくその遺体を海に沈められた。これでどうやって納得できるのであろう。今後いっそうテロは頻繁に、また執拗に起こるであろう。イラクのフセイン大統領が大量破壊兵器を有しているとのアメリカからの一方的な情報で(後に根拠がなかったことが判明)イスラム世界に中立だった立場を捨ててイラク戦争に加担して以後(小泉=ブッシュは個人的に親密だった)、日本もまたテロの標的となっている。これから世界はどうなるのか、暗澹たる思いがする。

 

 

カテゴリー: 最近思うこと   パーマリンク

コメントは受け付けていません。