つらつら思うこと

 明日から業務再開。となると年末までばたばたする。この調子で1年があっという間に過ぎるのだろうなと思う。高校時代、学校の名物と言われた倫理の教諭が、「こんな老人になって(先生はつるっぱげだった)よう生きてるな思うでしょう。ですが、みなさんもあっという間ですよ」と言った言葉をその真剣な表情とともに、近頃妙にしみじみと思い起こす。
 人生は本当に、あっという間に過ぎていく。退屈を嘆いている暇などない。

 このところ、心情に様々な変化を感じる。
 3万円程度の指輪を数百万円もの高価な本物に間違えられて喜んでいたのが、ふっつりと嫌になり、以後、本物の指輪だけを身につけている。どうしても欲しくて、とてもシンプルなデザインの、一流ブランド(ティファニーやカルチェといった有名所ではなく、知る人ぞ知るのブランド)の結構高額な指輪も買った。その価値が誰に分かるというわけではなく、自分で満足しているにすぎない。お洒落は結局、生き方の表れなのである。
 神戸に育ち、母は洋裁をしていて、物心ついたときから、それこそマンションの一つや二つ買えるほどの額はお洒落につぎ込んできた。であるのに、自分に似合うものが分かってきたのはようやく最近のことだ。高い授業料と、長い年月を要したなと思う。結論として得たものは当たり前のことだ。デザイン・色ともにシンプルであること。外見の欠点を隠して長所を生かし、スタイルを良く見せてくれること。着心地の良さ(一日を過ごし、仕事をするのだから格別大事である)。自分らしさを際立たせてくれること。
 人間は第一印象で決まる。子どものうちは分かりにくいが、年を取るほどそうなる。人は生きてきたように年を取る。見た瞬間、来し方も知性・感性も大方分かってしまうものなのだ。だから着る物は大事である。
 自分に似合う物が分かってきて、冒険をしなくなった。ウィンドーショッピングもしないから、お金と時間の無駄がない。時間こそが人生だし、持ち時間もだんだんと減っているから、優先順位を決めて、大事なこと・人に使わなくては。
 口の上手い人、大きなことを言う人は信用できない。言葉は誰にでも言えるのだ。根っこに真の教養・知識があっての言葉か、ただ借りてきた、適当な言葉なのか。実践を伴う覚悟があるのか。相手に肩書や学歴などがあれば人は結構騙されやすい。自分自身が正直で、言ったことは守るから、長い間人もそんなものであると思いこんでいた節がある。嘘をつかれた、いい加減な人だと怒っていたが、結局のところ、まっとうな人こそが実は少ないのだ。物と同様、嘘ものは適宜処分し、本物を大事にしようと思う。

 かつて知人が言った、「親が年を取るのを見るのはかなしいことね」。亡き祖父が言った、「年を取るのはむごいことよ」。他人事ではなくなって、ようやく人生が見えてきたのかもしれないと思う。
 今日は朝から事務所に出て仕事をしている。そのついでに、心に浮かんだことを書いてみた。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク