執筆「定年後の夢」

 二十年前、転勤した松山で知り合った友人は、非常な読書家である。県庁勤めの帰途、必ず本屋に寄る。広い家の、広い書斎は蔵書で崩れんばかり。定年後の夢は「古本屋をやること」である。

 彼は言う。「僕が本読むのはパチンコする人と変わらへん。要するに癖やから」。好きだからやっているだけ。生活習慣とはたいていそんなものである。ただ、本は、好きであるに越したことはないと思う。知識見聞を広げ、それによって世界を広げてくれるからだ。本なんか読まなくてもインターネットがあるからいいよと言う人がいるが、そこで得られるのはあくまで情報である。種々雑多、膨大な情報の中から正確なものを選び出すためにも知識が必要だ。それを養うのはやはり、読書をおいて外にはないと思うのだ。

 小学生の時、月二回の配本が待ち遠しかった。本好きになった元を辿れば、幼い頃、母が毎夜読んでくれた絵本に行きつく。気に入った話をせがんで何度も読んでもらううちに、暗唱していた。「遠い都の殿様に、会いにゆきます万寿姫……」。登場人物が想像の世界で動き出す。他に娯楽のない時代でもあった。多チャンネルテレビ、ビデオ、インターネット、ゲーム……。何でもありのこの時代、子どもをあえて地味な本に誘うのは至難の業かもしれない。

 冒頭の友人は昨年末、長年の夢を実現させた。縁あり、古書店を居抜きで譲り受けたのだ。定年まで二年。代わりに店番をしている奥様の写真を、共通の友人が送ってくれた。にっこり幸せ、相変わらず美しい彼女もまた本が大好きなのである。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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