執筆「歴史は「その時代」で見るべきもの 日本は、いつまで敗戦国なのか」

 解散後、どれほど言われたことだろう。
「刺客に声がかからなかった?」そして、「貴女はいいときにやめた」と。
 たしかに昨夏、苦労の末に幸い再選を果たしたとして、今回大いに悩んだだろう。思わぬ成り行きに、暑い夏がひとしお暑かった。その帰趨も、本稿が出る頃には明らかになっているはずである。
 それにしても、と改めて思う。6年間国会にいて、本当に良かったと。お陰で、様々な分野に関心を持つようになった。
 その筆頭が歴史である。
 いわゆる日本の歴史教科書問題に接したときの驚きは、今も鮮明だ。明治維新の立役者・偉大な政治家伊藤博文を、朝鮮に圧政を敷いた為政者として、暗殺者安重根を英雄として扱っているのだ!
 もとより歴史は、現在ではなくその時代で見るべきである。人類は古代、中世、そしてルネッサンスで近世に入る。イギリスで産業革命が起こり、列強が世界に進出。ペリーが来航して開国を迫った1853年、独立国といえばもはや、エチオピア、タイ、中国(清)、そして日本くらいであった。植民地に下るのを敢然と拒否し、明治維新を起こした日本は、またたく間に近代化を果たした。そして1905年、日露戦争に勝利。その快挙は、大国ロシアに長く痛めつけられていたトルコやポーランド、フィンランドなど多くの日本贔屓をつくった。
 片や朝鮮半島ではいまだに民衆は飢え、李氏は500年続いた自らの延命を図ってロシアと手を結ぼうとした。近代化を図る勢力が日本の力を借りようとした日韓併合(1910年)は、両国間で詳細な協定書が交わされ、列強の強い支持を得た。
 日本の植民地政策は、列強のそれとは対極にある。はるか遠隔の地を搾取と収奪の対象としてしか扱わなかった列強に対し、隣地ゆえに国土の一部として扱った日本。日清戦争で得た台湾の荒地を国家予算の1割をかけ、続いて、朝鮮半島には2割をかけ、民を教育し、工場をつくり、インフラを整備した。故に台湾は親日だが、韓国・北朝鮮は国を挙げての反日だ。歴史を歪曲し、日本海呼称や竹島領土問題などを起こすのは、彼らの国家政策ゆえである。日本はきちんと主張するべきである。
 戦後、我々が自虐史観で育ったのは、東京裁判に代表される占領政策の一環であろう。戦勝国が敗戦国を二度と立ち上がれないようするのは古来、当たり前のことなのだ。だが、我々はいつまで敗戦国なのか。国の歴史は、人が自ら拠って立つ基盤である。国に誇りを持てなければ、人は自らを誇れない。まっとうな歴史教育を、望んでやまない所以である。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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