コロナ禍の収束が見えない中、新しい生活形態に慣れていく…

まさかというべきか案の定というべきか、4月25日?緊急事態宣言(3度目)となり、?5月11日だったのが、末日までの延長になった(私の利用するデパートは食料品や飲食店以外も開くようである)。去年はパニック状態?になったが、さすがに1年も経ったし、身の処し方も慣れてくるなあと感心している。

コロナがなければ、ほぼ毎日のように会食であった。それが今では家で食べるのが当たり前になったので、食材を買い込み、ご飯を炊き、弁当を作り、夕食を作り…すっかり地味な、というか堅実な生活になっている。長い間いっぱしのグルメだったのだから、たまには外で美味しいものが食べたいよお、と発作が起きそうなものだが、我ながら不思議なほど起こらない。幸い料理が好きで、少なくとも苦にならなくて、助かった。体が欲するものを食べているのが一番体に良いはずだ。つらつら考えてみるに、着物も服も欲しいと思わなくなっている。物欲もようやく収まったようである。これがただコロナによる環境激変のせいなのか、たまたま年齢的なものなのか分からないが、ストレスを感じなくて済むのは有り難いことである。

去年は緊急事態宣言が出る前から区立図書館は自主的に閉館となり、これにもちょっと(だいぶ)パニクったのだが、今回は前日の4月24日に行ってみたら、張り紙もなく、窓口で聞いたら閉めないと言われて、びっくりした。東京文化会館はじめ都立の施設は軒並み閉めるのに(ということで、理事をしているモーツアルト協会の例会は5月6日、中止となった)、区はどうやら独自に対応を決めているようである。連休を控えて、24日は目一杯の、計10冊を借り出した。

いくつか面白いのがあり、中で堺屋太一さんの『豊臣秀長(ある補佐役の生涯)』は読みやすく、息も止まらぬ勢いで読了した。堺屋さんとは何度かお話したことがあるが、実は著書を読むのは初めてで、読んでみて、歴史への造詣の深さに驚嘆した。組織には後継者、参謀、そして補佐役が必要だが、なかなか良い補佐役はいない、秀長こそ史上最高の補佐役であったというのが堺屋さんの見立てである(秀長に関しては資料が少なく、そうした見方ばかりでないのはいうまでもない)。

堺屋さんらしく、すべての事象・行動に経済的裏付けがなされていて、そこが並の歴史小説とは違うように思う。戦闘なりスパイ活動なり寝返り交渉なり、人を動かすにはすべて金が必要だ。それをどう調達するか、商人から借りるとして、返す算段はどうするか?信長も秀吉もそうした能力が図抜けている印象を受ける。知らなかったのだが、織田家の部隊が休みなく働き続けられた根底に、この頃既に織田家将兵の中核が兵農分離を完了した専業武士であった事実が大きいのだという。実は、織田家以外の主要な大名の軍はまだ、半農半武の土着農民兵を主体とし、高位の武将たちもすべて各郷村の豪族であるから、農耕を放置できず、軍事行動の回数と期間が限られていたそうである。勇猛果敢で知られる武田軍団の進軍についても、農繁期の5月までにはいったん甲斐信濃に引き上げると読み切っていたのだそうだ(4月10日頃には、重態だった信玄が絶命し、危機は去った)。

そういったことも大変新鮮な知識で驚いたのだが、何より『目から鱗』だったのは、「主君の仇討ち」は秀吉が初めてだったということである! 「戦国時代、主君殺しは珍しいことではなく、主君が十分な恩報を与えぬ時はさっさと裏切り寝返るのが常であり、主君が悪逆無道なら追放殺害に及ぶのは一種の正義と見られていた。ましてそうした場合、残余の家来が殺された主君の仇を討つなどという倫理も実例も全く存しなかったのである」。そういう時代、秀吉に強力に味方したのは、実子を7歳で亡くした後(実子が一人いたそうである!)、主君信長に頼んで養子に貰い受けたその4男秀勝(当時15歳)が父の仇を討つのを養父が助けるという、正々堂々とした形を取ることが出来たことである。鎌倉時代の曾我兄弟の例を見るまでもなく、親の仇討ちは当時から普通に存したのである。

主君の仇討ちは、江戸時代の赤穂浪士で馴染みだが、徳川幕府成立以後の朱子学的倫理観によるものだそうである。なるほど。秀吉はたまたま存在した、養父である立場を利用したのであり(秀勝はその2年後くらいに亡くなっている)、本能寺の変を奇貨として、明智を倒して天下を取ることを狙ったことは、その後の行動も歴史も示している。ただもちろん、そこには様々な幸運が重なっている。例えば、徹底的な合理主義者である信長はすでに長男信忠に家督を譲り、次男以下を養子に出していたのであるが(後継者はひとりでないと、あとで争いが起きる元である)、同じ時二条御所にいた信忠も明智に殺され、後継者もろとも失なわれたこともそうである。

うーん、歴史ってやっぱり面白い。学校でもっと面白く歴史を教えさえすれば、歴史好きの人間がうんと出てくるはずなのに、ああ、もったいない。

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