災害多発、コロナ感染者増加…安楽死事件

例年7月20日頃に梅雨明けし、とたん猛暑がやってくるが、今年はまだ梅雨が明けない。どころか、こんなに雨が降るかと思うほどの豪雨で川が決壊し、熊本はじめ九州が、そして災害とは縁遠かった山形では最上川が氾濫し、日本各地が大災害である。本当だったら、今はオリンピックだったの、まさか!? オリンピックやってなくて良かったのじゃないの、と思えてくるほどだ。

オリンピックを中止したのは新型コロナ故だが、2ヶ月近く続いた緊急事態宣言を5月末に解除した後、感染者が減少したのは少しの間だけ、今はまた増える一方である。であるのに、前に決めていたからとGo To キャンペーンなんかをこの4連休でやったから、よけいに全国に広がったのだろう。今日はもう昼の段階で、東京の新感染者数は436人だとか。昨日は全国で1200人とか言っていたから、2000人になるのもすぐだろうし、もっとずっと増えていく公算も高いだろう。若者の感染者が多く、彼ら自身は無症状ないし軽症で済むが、彼らから高齢者や糖尿病患者に感染すると重症化のリスクがぐっと高まってしまう。一番怖い医療崩壊が、どうか避けられますように。ワクチンが開発されればと言っているが、ウィルスも当然ながら変化していくので、まるで敵の見えない戦争みたいなものである。

いつ収束するか読めないので、人間としての活動を全面的に止めるわけにはいかない。気を遣いながら、コロナと共に生きざるを得ないのである。清潔を保ちつつ、密なる接触はできるだけ避けて、一人一人が感染しないように気をつけるしかないのだろう。いろいろなものが変わってきた。来週土曜に、とある関係団体の評議員会が久々開催されるのだが(前回は中止になった)、別のいくつかの関係団体の会合では密を避けるために倍のスペースの部屋を取って挙行したりもしているが、ここはどうするのだろう(出席者が多いので倍のスペース確保が難しいはず)と先ほど送られてきた資料をよく見たら、やはりzoom対応(双方向型)になっていた。これはすでに他でもやっているので出来るとは思うが、事前準備が相当大変だし、うまくいくかどうか当日にならないと分からないところもあり、気が重いのは事実である。

大学のオンライン授業が終わった。これは双方向型zoomではなくいわゆるオンデマンド型で(録音mp3使用)、相手が多人数の場合はこちらのほうが推奨されている。何度も聞いたりして確かめられるので、使い勝手が良いそうだ。昨日オンラインで試験を実施し、ちゃんと書いて送ってくれるか心配していたら、大多数は大丈夫だったのだが、エラーで送信出来なかった云々、トラブルが結構あって、大学側及び私方事務所で契約している業者にヘルプをお願いしたり、昨夕からばたばたしていた。先生も学生も大学も初めてのことだし、皆が大変である。無事にプリントアウト出来た暁に採点するのは同じであり、これ自体は、自筆よりパソコン入力のほうがうんと見るのが楽であろう。後期もまたオンライン授業になる。知人の大学教授は、この事態が数年続くと見越して、録音を来年も使えるように企図しているらしいが(なんと賢いのだろう!)、私は適宜時事問題を取り上げたりするので、来年は使えないだろうと思う。まあ、私の場合2コマしか担当していないので、そうした悠長なことも言っておられるのだろうが。

刑法総論の授業で安楽死問題を取り上げた直後に、安楽死事件が起こって、びっくりした。安楽死は刑法としては違法性阻却事由(刑法35条)の問題である。構成要件としては嘱託殺人(202条)に該当する行為が、安楽死の要件を満たす場合には違法性を阻却されて、犯罪が不成立となるのである。しかし、この要件は非常に厳しく、めったにすべてが満たされて犯罪不成立になることは、ない。この事件の場合、医師によること、本人の真摯な依頼があること、は良いとして、死期が間近に迫っていること、耐えがたい苦痛があること、を満たさないのである。それはたぶん、この医師2人(うち1人は医師資格を不法に得ているとの報道だが)も分かっていたであろう。だから、見つからないようにとは考えていたのだろうが、やり方があまりに稚拙で、当然ながら逮捕されたのである。

キリスト教では、神から与えられた命を自ら絶つのは、罪である(もちろん自殺に失敗したからといってそれを未遂罪に問うかは別問題である)。日本では自殺は罪ではない。年に自殺者が3万人もいるというのがよく問題になるくらいなのだ。治癒の見込みのない難病で苦しみ、前途を悲観して自ら命を絶つこと自体は、誰も止めることはできないのである。死んでは駄目ですよ、生きなくてはと言うことは簡単だが、その人の苦悩を他人が代わってやることは出来ないので、それもまた無責任なように思われる。問題は、この事件の被害者のように、もはや体を動かすことが出来ず、薬を飲むことさえ自ら出来なくなったとき、自殺をするのに他人の力を借りざるをえなくなった場合である。そうした判断を裁判所に委ねている国もあるが、日本ではどうすればよいのだろうか。見て見ぬ振りというのは一番良くないようにも思うのである。被疑者は特異な人格のようだが、今後諸外国の実情はじめいろいろな報道がなされることを期待したい。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク