皇室に思うこと

代替わりの一連の行事が、無事に終わった。皇后不在が心配されたが、えっと驚くほど元気なご様子だ。長く上皇夫妻に慣れ親しんできたので、みなが新天皇にどういう反応を示すのかいささか案じていたが、杞憂だった。とにかく何であれ、順応性に優れているというか、新しもの好きな国民である(熱しやすく冷めやすい?)と改めて認識させられた。

反面、上皇夫妻には実のところ、大変落胆させられている。自ら退位を願い出ること自体が象徴天皇として許されることではなかったことはこの際おくとして、まずは民意を味方につけて、前例のない生前退位を認めさせた以上、当然ながら、綺麗に身を引くべきであった。今年の5月1日付けの代替わりは昨年以来の規定路線だったから、皇居の引っ越しもそれに併せて当然しておくべきことであった。であるのに、未だに遅々として進まず、結局、来年3月になるという(その期限がまたもや延びるなんてことは、ないのだろうか‥?) 皇居に住むべき天皇がそこに通うといった事態は異様でしかない。誰もそんなまともなことを進言する人もいないのだろうか(言っても聞く耳をもたないような気もする‥)。一般社会では、住居からの退去が遅れることは許されないし、膨大な損害金も発生する。自分たちがどれほど非常識なことをしているのか、少し考えれば分かることである。

遅れの理由は、120トンもある(?)荷物のより分けを人に任せられず自分でしないといけないのに、それが進まないからだという。まずは喫緊の課題である引っ越しを済ませたうえでの控えめなお出かけであれば一向に構わないが、それを放って、あちこちに積極的にお出ましして、相変わらずにこやかに手を振っておられる。これって違うのではないの‥? そもそも例のない生前退位の理由は、「体力が落ちて、象徴しての務めを果たせない」ことだったと記憶する。古来、引退して家督を譲れば、まさに隠居生活を送るのである。ついでに言うならば、災害が起こる度にあちこちに出かけ、海外に慰霊の旅に出かけるといったことは、憲法のどこにも規定されておらず、平成天皇夫妻が築き上げた独自のやり方であった。次代以降はそのやり方を踏襲する必要はないのである。

ネットには今や、上皇夫妻(というより上皇后)の悪口が満ち溢れている。無私無欲の姿だと信じ、畏敬の念を抱いていたのに、今ようやく真の姿が見えてきて、裏切られたような思いがある。振り返って、眞子さんの結婚を裁可したのも平成天皇である。本来きちんと対処すべき父親が役割を果たせないのであれば、祖父母がその代わりに機能しなければならなかった。婚約は延期されたまま、小室母子の無駄なセキュリティ費用も嵩む一方で、国民の皇室への尊敬の念は今や風前の灯火のように感じる。嬉々としてお出かけしてお手振りをされるのは、やるべきことをきちんとしてからになさってほしいと切に願う。

次の天皇は悠仁親王か愛子内親王か。女性天皇を認めるべきか否か(法律である皇室典範には「男系の男子」とあるが、それらを改正すれば法的にはよいのである)。そうした論調ないし書き込みが多いが、女性天皇を認めるということは、愛子さんが天皇になることを認めるだけではなく、その子孫が続かなければ傍系に戻って、眞子天皇、佳子天皇、その子孫は男女を問わず天皇になることを認めるということである。小室問題がなければそれでもよかったのかもしれないが、今や国民感情として許されないのではないか。女性天皇を認めないとすれば悠仁さん1人ではまさに風前の灯火であり、戦後に皇室を離脱させられた方々に戻ってもらうことも真剣に考えなければならないであろう。それも早急に。2000年以上続く世界一の旧家はやはり日本国のために存続してもらわねばならないと思うこと自体は変わらない。

カテゴリー: 最近思うこと   パーマリンク

コメントは受け付けていません。