チュニジアテロ、そして大相撲春場所に思うこと

去る20日はチュニジア建国記念祝祭パーティ(於ホテルオークラ)によばれていたのだが、もちろん中止になった。テロによる多くの死傷者に対して、心より哀悼の意を表する。チュニジアにはぜひ一度行きたいとかねがね思っていた。被害に遭われた日本人被害者6名の方々も、どんなにかこの旅行を楽しみにされていたことだろう。天国から地獄への暗転にひときわ胸が痛む。

20年も前になるが、国際会議でカイロに出張した際ルクソールに出かけた。帰国して2週間ほどした時、ルクソールの、私たちも行った遺跡でテロがあり、日本人観光客も死傷するというニュースがトップ記事で出た。我々が被害に遭わなかったのはただ幸運だったからにすぎない。その数年後パキスタンに出張した際には、我々が宿泊しているホテルでテロがあったと聞いた。爆破を逃れたのは幸運だった。9.11が起こり、アフガン戦争・イラク戦争が起こり、もちろんその背景に複雑な中東の歴史があって、また貧富の差は拡大する一方だから、以後もテロは増えこそすれ減ることはないだろう。予防するといったって、死をすら覚悟している相手にどうやっても完全に防ぐことはできないはずだ。

さて大相撲は、大阪場所最後の3日間、しばらくぶりに熱狂させられた。ほとんど大相撲熱が醒めていたのは、このブログでも取り上げたが白鵬が嫌い、稀勢の里は期待外、遠藤も思いのほか期待外れ(のうえに今場所怪我で休場)と見るべきところがなかったからだ。だが、チュニジアパーティが中止となり、早めに帰宅してたまたまテレビをつけたら、照ノ富士対白鵬の取組があった。期待も手伝って照ノ富士が勝つと半ば信じ、半ば念じていたら、案の定というべきか圧倒的な内容で完勝した。歓声を挙げ、よほど座布団を投げようかと思うくらいに興奮した。足腰の強さ・重さ、決して慌てない冷静さ、はらはらどきどきせずに安心して見ていられるのはもうまさに王者の風格だ。白鵬30歳より6歳半若い。怪我さえなければ世代交代は時間の問題と思われる。14日目逸ノ城に、千秋楽は豪栄道にも圧勝、もし白鵬が日馬富士に負けて決定戦に持ち込まれればおそらく白鵬は負けたと思う。

問題は、白鵬を追い、越えられるのが照ノ富士だけだという点である。2横綱はもちろんのこと、日本人の3大関は何をやっているのか。2桁勝利も挙げられなくて、優勝戦線に絡まなくてなぜ大関といえるのだ。番付の意味が泣く。昇格の基準も、それを維持する基準も、協会は真剣に考えてほしいと思う。また相撲は単なる格闘技ではない。神事であり文化であるということを、親方の躾に(無責任に)委ねるだけでなく、協会が真剣に取り組まなければならないと切に思うのだ。

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