で思ったのだ。人というのは、こんなちょっとしたことで嬉しくなるものなのだと。みながもし優しく、温かく、明るく、職務に忠実に一生懸命だったら、どれほど世の中が素晴らしくなるだろう。少なくとも自分はそうありたいものだと。
話は変わるが、今月初め銀座を歩いていて、回りが中国人だらけなのに気がついた。大型バスで次々に乗り込んでくる。と思ったら、ワイドショーなどでしきりに「爆買」を流している。100万円とか平気で使っていくという。春節(旧正月)で1週間の休みに入る18日からはもっとすごい観光客になるはずだ。電化製品、化粧品、日常品、お菓子なんでも買い込んでいくという。電化製品のうち、ことに人気が炊飯器とウォッシュレット。お菓子ならば、東京ばな菜と白い恋人。日本に行くと分かるや、同僚や親戚たちにあれこれ買ってきてくれるよう頼まれるらしい。
意外な売れ筋では、爪切りと包丁。壊れずにちゃんと切れるのは当たり前かと思っていたが、当たり前でないのだという。日本では何もかもが便利にできているので、日頃恩恵を感じないけれど、たしかに海外に行くといろいろなものが不便である。
昨日、とある世界の料理の店(それなりに知られている)に行ったのだが、出てきたスープはなまぬるく、カレーはルーもご飯も生温かった。マトンは限りなく硬い。考えれば、日本では熱い物を熱く、冷たい物は冷たく出して当たり前だが、でもそのほうがきっと稀なのだ。
おりしも新幹線の発車が8分遅れたのは運転手が忘れ物を取りに行ったからなのに(着はわずかに3分遅れ)、それを黙っていたというのがニュースになっている。そんなことがニュースになること自体、世界では驚くべきことであろう。電車の遅れはどこでも当たり前だ。昔、フランスのTGVに乗った時など、途中の停車駅でいつまでも発車しないし、アナウンスもまったくない。我々はざわざわしたが、回りの乗客みなが落ち着いている。あとで同僚が現認したところでは、その駅で交替予定の運転手が30分以上遅刻して乗り込んできて着替え、それから発車になったそうである。
そう、日本では当たり前のことが決して当たり前ではない。そういうことにもきっと本来感謝してしかるべきことだと思うのだ。