「無知の無恥」内閣を憂慮する

いろいろばたばたしていて、しばらく書いていないと思っていたら(テーマはいくつもあったのだが)アクセス数がみるみるうちに減っていった。

7日付け東京新聞朝刊「こちら特報部」の記事はとてもよかった。「知らないことを恥じるな」の前提に「謙虚に学ぶ」という姿勢がなければただの恥知らず、そうした「無知の無恥」が権力の中枢、周辺で横行している。これは「反知性主義」のさらに一歩先を進んでいないか、というものだ。

記事は4つのケースを挙げる。その1は、首相も含め複数の国会議員の名前が挙がっている、補助金企業からの例の不正政治資金供与問題である。補助金交付を知らなかったら罪に問われない「法の不備」をついて、首相も「違法行為ではないことは明らか」と問題視しない姿勢を示している。だがもちろん政治家としての道義的責任は残るし、補助金企業では寄付金の原資は税金であるかもしれないのだ。由々しき問題といわねばならない。

その2は首相側近の曾野綾子氏が、産経新聞コラムで「(移民はよいけれど?)居住区は人種別にすべき」との持論を展開した件である。南アフリカ大使などからアパルトヘイト擁護だとの非難が上がり、それらに対して「アパルトヘイトの問題点は知らない」と無知を決め込んだ。私自身数年前、某シンポジウムでこの人がパネリストとして、まったくピント外れ、支離滅裂な話を展開したのには唖然とした。もちろんそういう人をよぶほうもよぶほうだし、今回は活字になっているものをそのまま載せる新聞社もアウトであろう(ちなみにこの新聞社には最近、私ごとながら非常識な目に遭っている)。

その3は、改憲を巡る動きの中での「無知」である。自民党憲法改正推進本部の礒崎陽輔事務局長(参院議員だが、私は面識がない)が12年、憲法によって権力を縛る「立憲主義」について、「この言葉は憲法講義では聴いたことがない。昔からある学説なのか」とツイッターに書き込んだそうだ(東大法学部卒である)。首相自身、憲法は権力を縛るものだとの質問に答えて、それは絶対王制時代(=というきっちりした言葉ではなかったと思うが、その趣旨のこと)のものではないのか、という無知丸出しの答弁をしていた。もちろんそんな頃に憲法などあろうはずはない。憲法は、近代の幕が開け、市民の啓蒙が進み、人はみな平等との人権意識と共に出来した産物であることは、少しでも歴史を学んだ者は大学など行かなくても、もちろん法学部なぞ無縁でも知っていることである。

その4は、6日閣議決定された「文官統制」を廃止する防衛省設置法改正案に絡む。文官統制は文民統制(シビリアンコントロール)の一形態で、防衛省で大臣を支える背広組(文官)が自衛隊の制服組より優位にあることを意味する。中谷元防衛相(制服組出身)は、先月27日の会見で、これが軍部が暴走した戦前の反省から作られたのかと問われ、「その辺は私、その後生まれたわけで、当時どういう趣旨かは分からない」と発言した。もちろんこれは上記と同様、当然に知っていることだし、立場上知っていなければならないことである。

かように、無知を恥じない発言が横行している。プラトンは「知識がない人間の統治は不正義」と言ったそうだ。源流は小泉首相に遡る。「どこが戦闘地域か、私に聞かれたって分かるわけがない」と開き直った暴言は、通常ならば辞任に追い込まれたはずだ。しかしあの独特のキャラクター故か、そうした発言が幾度も、難なくまかり通ってきたことを私は目の前で実感してきた。あれから安倍→福田→麻生→民主党政権→安倍と来れば、やはりたしかに今の事態の源流はそれからといえるであろう。

法律(違法性)の無知は故意を阻却しないのは、刑法の鉄則である(38条3項)。つまりそんな法律・条文があることは知らない、だから悪いとは知らなかった、という言い訳は通らないのである。知っている者だけが馬鹿を見るのでは不正義だ。社会のトップにある者は最も襟を正し、範たるべき存在である。このままでいくと、社会の隅々にまで無知で何が悪いという無恥がますますはびこる。その行き先は国の崩壊ではないか。

5日「週刊新潮」トップ記事は、農水大臣辞任の日(2月23日)にこともあろうに同省政務官(ナンバー3)が同僚議員とデートして路上でキスをしている写真が報道された。いい年で路上キス自体も恥ずかしいし、男性議員には妻子がいるので許されないことだが(姦通罪はないが、妻から不法行為で損害賠償を請求されれば支払わなければならない立場にある)、そもそもが自分が公人だとの自覚が決定的にないのである。しかも、この人は、元農水大臣だった夫が落選後亡くなり、その弔い合戦と称して立候補し、昨年12月には2度目の当選。その際も「夫が…夫が…」を連呼していたというし、もちろん未亡人だからこその支援・当選なのであって、それをどうしたらこんな風に勘違いができるのか、不思議でならない。これすらお咎めなしの内閣は、もはや何でもありと見える。

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