稀勢の里引退、に思うこと

いつも両国国技館に一度は行っているのだが、今場所は、2人に声をかけて貰ったのに、どれも都合が合わず、断念した。専らテレビ観戦だ。稀勢の里の復活を祈っていたがその期待虚しく、4日目には引退となった。「一片の悔いもない」と言いながら涙が流れ、本当はどんなにか悔しいことかと、切なかった。

振り返って、初優勝が2年前の初場所。横綱に昇進して初めて迎えた春場所13日目、日馬富士に突き落とされ、左大胸筋断裂の大けがを負った。それでも出場を強行、一差で追う照ノ富士に本割り、優勝決定戦と続けて奇跡的に勝ち、感動的な優勝を決めた。熱狂するそばで、解説の北の富士が、後のことを考えると休むべきだった、と冷静に語っていたのが耳に残る。そして、結果はその通りになった。

最近知ったのだが、井上康生も同じ大けがを負ったそうだ。彼の場合は手術し、長期間休養に充て、そして復活した。稀勢の里に適切なアドバイスをしてやれなかったことを悔やんでいるという。しかし、アドバイスをしていたら稀勢の里がそれに従った、とも思えない。長年日本中がその誕生を願っていた和製横綱は、期待の重さをひしひしと感じるが故に、決して弱音を吐かず、休むこともしなかったのだろう。中学を出てから相撲一筋、厳しい稽古で知られる鳴門親方の下必死の稽古に励み、18歳、貴乃花に次ぐ最短記録で新入幕を果たした。怪我とは無縁で休場も僅か1日。それ故に、怪我との付き合い方も分からなかったのかもしれない。実力はありながら、何度も何度も、ここぞというときにあっけなく負けて目の前の優勝を逃してきた。その度にメンタルの弱さを指摘され続けたが、モンゴル包囲陣というこの時代の特殊な要素も手伝ったのであろう。

せっかく苦労して、30歳で遅咲きの横綱になったのだから、思う存分活躍してほしかった。どれほどかそうしたかっただろう。しかし、何をどう言ってみても、稀勢の里の相撲を見ることはもうできない。悲しいことだが、仕方がない。あとは年寄荒磯として後進の指導に励み、ゆくゆくは協会の理事長になってほしい。人生の良き伴侶も見つけてほしい。長年力士の手本のようだった稀勢の里に、どうぞ幸あれと願わずにはおれない。

今場所は稀勢の里が引退、鶴竜は休場して白鵬が一人横綱である。大関はといえば、栃ノ心は休場(来場所がまたカド番だ)、豪栄道と高安は勝ち越しができるのかどうかという体たらくだ。番付の重みはどうなっているのだろう。唯一の救いは関脇が好調なことである。昨日11日目で玉鷲2敗、貴景勝3敗。全勝だった白鵬が小結御嶽海に負けて1敗に後退し、今日玉鷲戦である。もし玉鷲が勝てば(これまでは全敗だが)、2敗二人となり、貴景勝にも勝機が巡ってくる。ここにきてようやく、低調の今場所が面白くなってきた。

しかし、強行出場に踏み切った御嶽海は大丈夫だろうか? 昨日も白鵬に圧勝した後、脚を引きずっていた。無理をしなければよいのだが。せっかく好調だったのに怪我をして休場、昨日再出場に踏み切ったのは、今場所勝ち越さないと、12場所連続の三役在位が途切れ来場所平幕落ちが確実だからであろう。今場所、3横綱すべてに勝った御嶽海。有望株だから、怪我はきちんと治さないとせっかくの将来が台無しになる。あっという間に大関にはなると思われた遠藤は28歳で、依然平幕にいる。短期間で大関に上り詰めて横綱候補の筆頭だった照ノ富士は、両膝を傷めて負け越し・休場が続き、番付を大関経験者としては記録的に下げ続け、来場所序二段にまで番付が落ちる。

今場所もまた怪我人が続出し、休場者が続出している。結果、割を組むのも難しいくらいである。協会は、怪我をさせない体作り、怪我をしたときには無理なく休ませて復帰させる態勢に全力を挙げてもらいたいと思う。照ノ富士は、両膝をぴんと伸ばして踏ん張る姿勢のときがあり、あんな姿勢をしていたら膝を傷めて体を壊すと、素人の私にも分かるくらいだったのだ。各部屋に任せっきりではなく、もちろん力士各人に任せるのでもなく、是非、一丸となって科学的な体作りに取り組んでほしいと思うのだ。でなくても、有望な子弟はサッカーや野球に行かせ、相撲界に行かせたい親は少なくなる一方ではないのか。

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ゴーン事件に思うこと

年が替わって,早や10日。昨今は感慨も湧かず,新たな決意もなく,淡々と日を重ねている感じである。2年連続正月にひどい風邪を引いていたのが今年は元気で,それだけで生活の質が天と地ほどに違うと実感する。単に加齢のせいなのかどうか,このところ夜10時頃には眠くなり朝5時頃目が覚めるという,いたって健康的な生活スタイルになっている。睡眠がよく取れていさえすれば,風邪を引かなくて済みそうである。

さて,昨年から続くゴーン事件。実質犯たる特別背任罪での10日間の勾留期限は1月1日(裁判所も拘置所もお疲れ様です!)。勾留延長期限の今日,追起訴がなされる。8日には珍しい勾留理由開示手続が行われた。かつて過激派華やかなりしころ,仲間が大勢傍聴に来て容疑者を元気づけるために?頻繁に行われたものだが(30年以上前に経験した),今ではとんと聞かない。これをしたから勾留が取り消されるというものではないからだろうが,ゴーン氏の場合は,自ら裁判所に無実を訴えることによって,来る保釈に繋げようとの意図に加え,国内外のメディアに訴えることで,今後の裁判を有利に働かせることを企図したのであろう。

起訴状を見ていないが,報道されるところによれば,特捜部の捜査はどれもこれも無理筋のように思われる。

当初の金融証券取引法違反については前回も少し述べたが,有価証券報告書の提出義務を負うのは,再逮捕した2016年?18年の,ことに直近2年についてはCEO である西川氏だが,その西川氏の処分をどうするのだろうか。まさか,司法取引で刑の免除だなんてありえないだろうに(2011年?2015年の5年間で逮捕したときには,西川氏を不問に付すためにあとの3年は不問にする趣旨なのかと思っていた)。投資家の信頼を損なう虚偽記載は「重要な事実」に限られるが,売上高10兆円単位の世界規模の大会社で,年10億円程度の虚偽記載が一体どうやったら「重要」に格上げされるのか? はたまた,世間体を考えてあえて記載から漏らしたという年10億円の報酬は,将来の支出が確約された性質のものといえるのか?(確約された金銭債権というのならば,不履行の場合,裁判に訴えてでも取れるものでなければならない。)

次に特別背任罪である。私的取引の際,多額の評価損が生じたために銀行から追加担保を要求され,その方策として,日産に担保を提供してもらったというものであり,サウジの大変な実力者である知人に約16億円(後注:公訴事実は起訴時の為替レートにより、12億8000万円になっている)を日産から支払ったというものである(この2つの関係はよく分からない)。前者についてはすぐに返済され,日産に損失は生じていないが(この点の争いはない),特捜部は一時的にでも日産に損失が生じた時点で背任は既遂になったと考えているようだ(すなわち,弁済は事後の情状にしかすぎない)。しかし‥これはゴーン氏が勝手にやったものではなく,取締役会の議決を経ているのだ! それでも特別背任罪になるのだとしたら,賛成した取締役はすべて共犯ではないか。おまけに背任罪は業務上横領罪とは異なり,全体財産への損害なので,会社に損失が生じないと実質的には既遂とはいえない。

そして,サウジの有力者への支払い!! その人の事情聴取を行わずに,どうやって事件をやれるのか? ゴーン氏の言う通り,日産のためにいろいろとロビーイングなどをしてやった謝礼と答えるのではないか(実際,弁護人にはそう答えているという)。有力者の口添えを得なければビジネスが何も進まない国は世の中にたくさんある。16億円が多額だというのは庶民の感覚であり,サウジの大富豪にとってはどうということはない金額である。

そもそも背任罪(刑法247条。会社役員など一定の立場があれば会社法の特別背任罪となる。)は非常に立件が難しい犯罪である。尊敬する上司は常々,「(業務上)横領でやれず背任にしかならなければ,検察の負けだ」と言っておられた。背任の構成要件は複雑である。?他人のためにその事務を処理する者が,?自己若しくは第三者の利益を図り又は本人に損害を加える目的(=図利(とり)加害目的)で,?その任務に違背する行為をし,?本人に財産上の損害を加えた(=全体財産に対する犯罪)。その典型は,不良貸付けだ。銀行の融資担当者が親類に頼まれ,その経営する会社の資金繰りが苦しく,回収の見込みがないことを知りながら,内容虚偽の稟議書を作り,融資を実行したといった事案を考えてもらえば分かりやすい(学生にはいつも,例えばと具体例を挙げられなければ,理解はしていないとと言っている)。

背任罪はいわゆる目的犯であり,自己若しくは第三者の利益を図る「利得目的」又は,本人に損害を加える「加害目的」が必要である(とはいえ,必ずしも意欲ないし積極的な認容までは要しないとされる)。後者は損害を与える故意と重なるのでそれを強化する役割を果たすだけだが,前者は故意を超えた主観的要素であり,本来の目的犯ということができる。これが意味を持つのは,一見任務違背行為によって本人(日産)に財産上の損害を与えた場合であっても,それが「本人の利益を図る目的」であったときには背任罪は成立しないし,両目的が併存する場合はどちらが主であるかによって決せられることになる。つまり,ゴーン氏の支払いが日産のためであれば,あるいはそれが主であれば背任罪は成立しない。ともあれ,「第三者」である当該サウジ人の裏付け供述なくして,とうてい立件など出来るはずはない。

この事件は,まず先にゴーン氏の逮捕ありき,だった。本来は任意で呼び出してその弁解を聞くのが筋である。ゴーン氏を追い出したい一心の,日産側から提出された証拠は,日産にとって不利なもの(すなわちゴーン氏にとって有利なもの)は提出されえない。逮捕→勾留という国家の最大の権力を使う以上,その権力は限りなく抑制的に行使されなければならない。村木さんも大阪地検に呼び出され,弁解などあろうことか,直ちに逮捕された。その後,検事による証拠偽造まで発覚して無罪になったのだが,その一件にもどうやら懲りていないと見える。

西川さんがテレビに登場して何かを言う度にとても不快な気分にさせられるが,周囲も同意見が多い。ゴーン氏を冗長させ,まるで日産を自分の財布のように様々な公私混同をさせたこと自体は事実であるらしいが(ただ,それがイコール犯罪となるわけではない),そうなるまでに至った自分たちの力不足を,まずもって真摯に謝罪すべき立場にあるはずだ。それをまるで自分たちが被害者であるかのように喋るので大きな違和感が伴う。経営陣は日産ブランドを著しく傷つけたことについて,株主や従業員,消費者にまずもって詫びるのが筋である。本来は会社内で処理すべきことを検察を利用してやってのけたのだが,検察は国家予算,つまり税金で動いている公的機関であり,一企業のものではない。それまた公私混同ではないのか。

そもそもゴーン追い出しは何のためか‥?日産のためか‥?と聞けば,本人らは当然だと答えるのだろう。だが,その認識自体が大きな誤りである。日産=現経営陣か? ルノーは日産の43%強の株式を持つ。大株主というより親会社といってもよいくらいである。これに外部の7%の株主の支持を得て過半数を取れば,現経営陣はすべて解任される。現経営陣はそもそもルノーによって選ばれている立場なのである。

ルノーが自分たちの言うことを聞く経営陣に一新し,新経営陣が検察に対して「訴えには根拠がない。取り下げてほしい」と言えば,検察はそれでも裁判で有罪を取れるだろうか。背任罪は親告罪ではないが財産犯であるから,その被害者が処罰意思を欠けば,処罰をする意味がない。ゴーン憎しの現経営陣が変わらないことを前提に,この裁判は続けられることになる。そもそもがすでに述べた通り,相当に筋の悪い事件である。起訴までは出来たとしても,これを有罪に持ち込むのは至難の業であろう。起訴後直ちに弁護人らは保釈を請求するが,裁判所はどう判断するだろうか。

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『参風 第165号』会員登壇

一般社団法人参議院協会所収

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『亡き父に隠し子がいました。遺産分割をやり直す必要がありますか?』

自由民主党月刊女性誌「りぶる1月号」

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東名あおり死傷事故、懲役18年判決について思うこと

難しい判断だったろう。いわゆるあおり運転は「自動車の運転により人を死傷させる行為等の処罰に関する法律」(平成25年制定)の第2条「危険運転致死傷罪」第4号に該たる。負傷で15年以下の懲役、死亡させた場合は「1年以上の有期懲役(=20年以下)」である。最大で20年なのに求刑23年??と思ったら、余罪があり、それらとの併合罪での懲役23年の求刑だったのである。判決結果は18年。最大の争点は、本件態様に危険運転致死傷罪が認められるか、であったから、認める以上、量刑自体はまずは妥当な線であったといえよう(求刑の2割減が一般的な判決相場である)。

本件は法がもともと意図していた、あおり運転による死傷ではない。駐車場での駐車の仕方を注意された被告人が激高し、被害者の車両を追い、時速100キロに及ぶ速度で4度の進行妨害を加え、やむなく追い越し車線で停止した被害車両の所に行き、後部座席にいた父親に対し、「殺すぞ」などと脅迫し胸ぐらを掴んで引きだそうとしていたときに(つまり停止時であり「重大な交通の危険を生じさせる速度」はその前に終わっている)、後方車両が追突、被害車両に乗っていた親2人が死亡、娘2人が負傷した事案である。

逮捕容疑は、上記法律第5条「過失致死傷罪」(懲役7年以下)だったのを、検察が危険運転致死傷罪として起訴をした。裁判員裁判なので公判前整理手続になったが、その際、同罪の適用に難色を示した裁判官に対し、同罪が認められなかった場合に備えて「監禁致死傷罪」(懲役3年以上20年以下)を予備的に追加したという。この罪名はちょっと苦しい。監禁の態様には当たらないだろう。

検察の主張は「一連の危険な運転が事故を招いた」とし、弁護側は「停車後に誘発した事故に同罪を適用するのは法律の拡大解釈」と主張した(監禁というほど時間が経っておらず、成立するのは暴行罪に過ぎない‥)。判決がどうなるのか注目されていたが、「停車行為は危険運転に当たらないが、4回の妨害は危険運転に当たり、停車行為、暴行とともに密接に関連し死亡事故が発生した」として、同罪の成立を認めたのである。罪刑法定主義は類推解釈を許さないが拡大解釈は可とする。結果は妥当と思うが、念のために、強制停止も含めるよう法改正をすべきであろう。危険運転致死傷罪が刑法内に新設された当時には予定されていなかった事故態様である。

この被告人には余罪がある。いずれも似たような事案であり、激昂してあおり行為をした挙げ句に停車させた被害者に対して「殺すぞ」などと叫んで車外に引きずりだそうとした強要未遂事件が2件、車のドアを蹴飛ばした器物損壊が1件。福岡在住の被告人が逮捕に至ったのは、負傷した娘さんらの証言が大きかったが、こんな大事件を引き起こした2ヶ月後にも同じようなことを山口県でやっているのだから、何をかいわんや。反省の色などあろうはずがない。要するに、激高して我を忘れる危険な性格であり、常習性が顕著である。長く刑務所に入ったからといってそうした性格が治るとも思えないが、罪に見合った刑罰は必要である。また、他の同じように危険なあおり行為を抑制するためにも、厳罰は必要である。

発端は被害者が被告人の駐車方法について注意をしたことだという。とんでもない停め方をしていたらしいが、人に注意をするのは何であれ、危険を伴う。ことに知らない人に対しては。世の中は「話して分かる」人ばかりではない。そうした人ならばそもそもルールを守っているはずだ。そうではない人は大体はとんでもない人だと考えてそうは誤らないと思っている。私も若い頃は電車内などで人に注意をしたりしていたが、事件が起こることを見聞きするにつれ、見て見ぬ振りをして行き過ぎるようになった。ナイフを持っていて刺されるかもしれないのである。正義感を持つのは大事なことだが、危険から身を守ることはもっと大事だからである。どんな大義があっても、死んでしまっては元も子もない。そんな奴に殺されては犬死になる。ことに車はスピードが出るわ、密室で匿名性があるわ(逃げるのも容易である)、運転者を違う人格にさせる、まさに走る凶器なのである。もともと危険な性格者に車を加えれば、二重の恐怖である。

本件では、何の関係もないのに、巻き込まれて追突事故を起こした後続車がいる。その運転者もどれほど傷ついていることかと気の毒で仕方がない。追突はどういう理由であれ追突車の責任とされているので、おそらく過失運転致傷罪の立件もされたであろう。自らの責任であろうがなかろうが、人を死傷させるのは大きなトラウマである。直接の被害者はもちろんのこと、被告人は、自らの短慮によってどれほどの大きな、取り返しの付かない被害を引き起こしたか、反省をしてほしいと願う。そして一罰百戒、こうした悲劇が二度と繰り返されないことを切に願う。

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