ようやく10月です…組閣について思うことなど

記録的な酷暑の夏であった。地球沸騰化とはよくぞ言ったものである。10月になっても結構暑く、でもさすがに昨日辺りから風が涼しくなっている。ほっ。
この間組閣があり、女性大臣が5人誕生した。自民党4役(いわゆる3役+選挙対策委員長)にも女性が就いた。うち世襲議員が4人。自らの力で議員になったのは高市さんと上川さん(現外務大臣)のみで、2人ともすでに大臣経験者である。国会答弁で安心できそうなのもこの2人だけと言われる(上川さんはたしかに優秀な方である)。あとは就任のとたんに待っていたとばかりに金銭問題などのスキャンダルが出て、いわゆる「身体検査」をせずに数合わせをしたのだと分かる。女性登用の数だけ増やすことを考えて、適材適所など考えもしていないのは、女性に限らず男性の場合にも言えることであろう。大臣に歴代最多タイの女性5人を登用しながら、遙かに数の多い副大臣と政務官に女性ゼロというのも珍しく、派閥などに丸投げしていた結果なのだろうと思わされる。

いずれにしても女性活躍というのは、ただ、女性の数を増やすことではないと思っている。何かをしたいというときに、ひとり女性であるが故にハンディを課されるのは不平等・不当であるが、能力や適性が欠けているが故に落とされるのは、男女を問わず、本来当然であろう。その点、女性が男性と比べて劣っているとすればそれは社会的に多くのハンディを負わされているが故であり、手っ取り早く男女平等をもたらすために、女性割合を一定数値にする(女性優遇になるが)クオータ制がまずはヨーロッパの各国で導入された。なんともまあ斬新なことをするなと思っていたが、実際に女性首相なども出ていて、対する日本では政治家における女性の割合が諸外国に比べて並外れて低いのを正すべきだと、3割を女性にするとの声が永田町で出始めている。

はてさて、他の職業であれば資格試験その他必要条件があるものだが、政治家の場合は学歴も資格もキャリアも不要である。要は、決められた選挙制度の下、立候補して当選できればよいのだ。有名人であれば無所属でも当選するかもしれないが、普通は党の公認を得ることが第一歩となる。この際、手を挙げる人が何人もいれば優劣比較になるだろうが、党の思惑次第では、女性であることを最優先にして、まともなキャリアがないことなど置いておくということもある。そもそも公認された者の中からしか選挙民には選択肢がないのだから、公認選びは大変な重責のはずなのだ。

そもそも国民の代表になってもらいたい人なのかどうか。選挙での発言を聞いていると、育児をしています、介護をしました、癌になってサバイバルしました…これらがほんの付け足しの話であればともかく、政治家になってしたいことがないのだとしたら、代表になってもらいたい人ではありえない。これといったキャリアも売りもなく、今育児中なのだとしたら、それにこそ専心すべきではないか。それは大事な仕事であり、子供にとって母親は貴女しかいないのである。政治家になって本当に何かをしたいのであれば、その意思を強く持ったまま勉強を重ね、キャリアを積んで、子供がある程度手を離れてから目指したって、長寿のこの時代、長い間政治家をやることができるだろう。私の尊敬する元政治家は、子供2人を大学院にやって結婚させた後、56歳で政治家になり、4期当選を重ね、80歳を超えた今も生き生きと地域活性化その他に取り組んでいる。公人でありながら、育児が…とすぐに言い訳をしたり、子供の話をする女性たちが我々は心底嫌いである。

今回の女性局フランス研修の顛末を見ても、女性の政治家を数だけを増やしても意味がなく、質こそが大事なことが分かるであろう。なぜフランスにしたのかしら?と言う人がいたが、実際フランスなど誰でもいつでも行けるのだ。行ったことのある人のほうがむしろ多いくらいではないか。そこをあえてフランスにするのであれば、今あの国で喫緊の課題である移民問題を(これは少子化に絡むことである)、移民が住む地区を、暴動の起こった場所を見てこなかったこと、関心さえなかったことを、本当に情けないと思う。そこを完全にスルーして、パリはいつ見ても綺麗です、なんて仮にも政治に携わる人の言葉ではありえない。研修と銘打ってわざわざ世界に出かけて行くのならば、自分たち個人ではめったには行けない貧困国の現状などを見に行こうとの声が、なぜ挙がらなかったのか。あれは自分の目で見れば、本当に人生観が変わるくらいの衝撃を受ける。貧困、差別に目を向けるのが政治であり、綺麗事や、まして上から目線はその対極にある。いい生活をしたいから政治家になりたいなど、仮にもあってはならないことなのである。

小選挙区のせいで世襲議員が男女ともに増え、生活苦など何も知らず、想像すらできない議員が普通にいる。世襲議員でなくても、恵まれた環境下に生まれ、高学歴から官僚等になって政治家に転身という人たちにもそういう人が結構いる。昔の政治家にも恵まれたバックグラウンドの人はいたが、人間社会が見えていたし謙虚であった。違いは何かと言えば、教養なのだろうと思う。入試方式に加えて近頃ではスマホ生活が、薄っぺらい人を増殖しているように思えてならない。

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『亡き妹の子供を引き取りたいと思うのですが…。』

自由民主党女性誌『りぶる』2023年10月

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話題の『102歳、一人暮らし。』(石井哲代・中国新聞社)を読んで

ここ数年、まめに図書館で本を借りている。話題の本はだいぶ待たないといけないが、半年もすれば大丈夫。私は子供がいないしスポーツジムも利用しないので、多額に?納めさせられている住民税の還元はこれだけかも…(笑)。
副題に「哲代おばあちゃんの心も体もさびない生き方」とある。かなり前から新聞などで話題になっていたが、尾道にある私の実家からさほど遠くない所にお住まいである。表紙に写真が載っているが、艶々としたほっぺたで、とても福々しく、可愛いおばあちゃんだ。年を取ると、人間、可愛げが大事である。可愛いおじいちゃん・おばあちゃんには人が寄ってくるが、むすっとした人、エラそうな人には誰も近づかない。

哲代さんは1920(大正9)年、広島県府中市上下町生まれ。20歳で小学校教員になり、26歳で同じく教員の夫と結婚、舅姑と同居。56歳で退職後は畑仕事に勤しむ。子供はおらず、2003年に夫が亡くなってからは一人暮らし。今103歳になる。これがとにかく元気なのだ! 布団は毎日上げる。お米は2合炊いて2日で食べる。つまり日に1合! すごい食欲だ。味噌汁はいりこで手作りするし、料理に手を抜かない。夜寝たら朝までぐっすり、毎日規則正しい生活を送る。畑仕事のほか、デイケアその他で周りの人々と積極的に携わる。本も読み、メモも取る。寝たきりはもちろん、認知症とも無縁である。

家は道路から坂を上がった所にあり、自分の足で上り下りをする(坂を下がる時は後ろ向き)。姿勢が良く、杖不要(すごい!)。離れた所に行くときは、ラッタッタを使用。初めての入院が100歳を超えてからで、服薬もそのときまでなしというのには、恐れ入る。体がとにかく柔軟だ。前屈姿勢で手のひらがほぼ地面につくのはすごすぎる。私なんて生まれてこの方、そこまでついたことはないし、どんどん堅くなる一方で、放っていたら大変なことになるなあと密かに心配をしている。体が硬いと怪我をしやすいし、大怪我の元にもなるからだ。哲代さんは当然歯も丈夫なのだと思っていたら、歯は60代から入れ歯なのだそうだ(総入れ歯なのかどうかは不明だが、不具合はないという)。

だいぶ前に100歳で元気な双子、金さん銀さんがお茶の間を賑わせたが、哲代さんも100歳で、健康的な一人暮らしを続けている。とにかく明るい。いつも周りに感謝の念を抱き、感謝の言葉を欠かさない。だから、自分の姪も、亡夫の姪はじめ周囲の人が何やかやと気を遣ってくれる。というよりむしろ、周りの人たちが哲代さんに元気を貰っているのかもしれない。これは努力して持ち得たというよりむしろ、彼女自身の持って生まれたバイタリティなのだろうと思う。だからきっと、真似をしたいと思っても、こうありたいと思っても、そうはできないのだろうと思うが、人生100年時代に、生きた見本があるというのは有り難いことである。

私の母はほぼ10歳下の92歳。朝早く起きて家事をし、畑に行って草抜きなどをし、8時を目処に家に戻る。畑がとにかく好きで、それこそ何時間でも居続けたりする。戻るとお八つ、正午前にはお昼。夕方また畑に行ったり家事をしたり、読書をしジグゾーパズルを解き、とにかくぼうっと休むことがない。勤勉なのは母も哲代さんと同じで、これは一つには時代背景もあるのかもしれない。だんだん年を取ると家事、ことに料理が面倒になり、施設に入る動機にもなったりするというが、有り難いことに母の料理好きはちっとも変わらない。新しいものにもよく挑戦をする。食欲も私などよりあるくらいで、施設に入って出されたものしか食べられない生活には耐えられないと言っている(よく分かる!)。そもそも狭い所にはおれないのだ(私も同じ)。これだけ畑が好きなのだから、母も哲代さんを見習って、あと10年、元気で家にいてほしいと願っている。

老後にお金がなければ困るが、もはや贅沢もしないのだから、普通の生活に必要なもの以上は要らない(すごい施設に入ることや高額医療のために残す場合は別として)。老後に必要なのは人間関係であり、人間関係こそが財産である。財産がありすぎた結果なのか、子供の相続争いになり、家族がばらばらになって孤独な老後になるのは本末転倒である。将来のある若い時には孤独も楽しいが、人の助けが必要になる老後に全くの一人というのは困ることだし寂しいことだと思われる。家族がいれば家族を大切に、家族がいなければそれ以外の交遊を、自ら働きかけて、感謝をして、続けていくことこそが大事なことだと思われる。

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松川るい氏案件、その後…

前回この「事件」についてアップしたまさにその日、女性局長辞任の報が流れた。炎上後20日経つ間本人は姿をくらませ、一言も喋っていない。それが突如の辞任に至ったのは、翌22日(火)開催の役員連絡会議に(毎火・金定例で、しばらく夏休みで開催されていなかったのであろう)女性局長も出席するため、マスコミが待ち構えるのを避けるためだったという。本人は悪いことをしたと思っていないし、今のところ唯一の大きな肩書きである自民党女性局長を自ら辞めるつもりはさらさらなかったと思われるが、騒ぎが収まらないので幹事長が引導を渡した、つまりは事実上更迭したのだろうと思われる。
子供じゃあるまいし、それどころか国民から政治を負託された立派な大人(であるべき)国会議員が、幹事長に反省謝罪・引責辞任を役員の前でさらっと代弁してもらうというのも、考えてみればおかしな話である。「有意義な研修旅行であった」「それなのに、不適切な写真アップで誤解を与えたことが軽率であった」と言うのであれば、その旨国民に理解してもらうべく、きちんと会見を開き、堂々と研修の成果を報告し、なんら疚しいことはないが、騒動を巻き起こした責任を取って辞任させてもらいますと、自らの言葉で語るべきである。子供を同伴させ、大使館で面倒を見てもらい、責任者でありながら途中から団員と別行動を取っていたことについても、悪いと思わないのであればその旨説明をするべきだし、悪いと思うのであればそれこそ心からの謝罪を尽くさなければならない。とても簡単な話である。

もし最初炎上した際に「国民の皆さんが大変な生活を強いられているときに、それへの配慮も欠き、ただ遊んでいるかのような写真をアップして皆さんに心から不愉快な思いをさせたことについて、心から謝罪をします」と涙ながらに言えば、あるいは許されたかもしれない。少なくとも国民感情はここまで悪くはなっていなかったはずである。だが、もう遅い。すでに1ヶ月近くトンズラして無言のまま、一体いつ出てくるのか? 禊ぎを済ませないまま、普通の顔をして、このまま議員活動を続けられると思っているのであれば、超絶甘すぎる…。誰も選挙応援にも講演にもよばないし、党も政府も役職を与えることはない。もちろんあと5年、何もしないまま、議員で居続けることはできるであろうし、議員報酬も貰えるから悪い話ではないのかもしれないが、「次」はない。

いろいろなことが明らかになってくる。「私はいじめられている…」「私を貶めたい人がいる…」とぼやいていると言うのは被害者意識の表れなのだが、旅行は自らいい顔をしたくてフランス旅行を組んだのだし、費用も党に出させたうえにありえない家族旅行をし、騒動になったのも、自分たちが勝手に浮かれた写真をアップしたからであり、被害者性のかけらもないのに、よくぞまあそこまで勘違いできるものである。男性でこんな発言をする人はおよそ思いつかないので、何かあると泣いて済ませるという、悪い女性の典型である。こういう人に代表顔をされるのは女性にとっても甚だ迷惑である。

彼女は参議院には飽き足らず、衆院への鞍替えを企図していたらしく(昨年参院に再選されたばかりなのに、大阪では補選をしなければならなくなる…)、まずは10増10減の東京に公募したが認められず、大阪10区(辻元清美が参院に転出した区)からの出馬を狙っていたという。折から茂木幹事長主導の下、維新に席巻される大阪では衆院の自民党候補をかなり大幅に入れ替えていて、いろいろな不協和音が聞こえていたが、鞍替え発表の前に今回の大炎上が起こり、それは流れてしまった(10区には15区の現候補が当てられることになった)。まあその点は不幸中の幸いである。

おまけに来月の内閣改造での入閣も「こんなしょうもないことで、ダメになってしまった」と大阪の自民党関係者にぼやいたそうである。もっとも彼女の期では普通であれば副大臣になるのさえ大出世なのだが、自分は特別に大臣として入閣が内定していたと言っているようである(大臣の人選は派閥の思惑その他で突如替わったりするので、今から内定はありえないと思われるが)。いずれにしても、家族や親しい人への発言であればこれほど漏れたりはしないが、漏れるような人に喋っているところがまた、危機管理能力の欠如を表していると思う。

今回の一連の経緯で明らかなように、自分の危機管理さえ出来ない人に、防衛や外交が出来るわけがない。人間としての真っ当な感覚が欠如しているのだから、危機管理能力などあるはずがないと言われれば、その通りなのかもしれないのだが。もし本当に反省謝罪をし、どうしても政治の世界に居続けたいと願うのであれば、いったん国会議員を辞職してまた出直すのが一番賢いやり方だった。そういう真っ当な助言をした人はいたと思うが、聞く耳を持たなかったのであろう。まあ、人の言うことを聞くような人であれば、こんな騒動には至っていないはず。天上天下唯我独尊がここでどこまで通用するのか、楽しみに見させて頂こうと思っている。

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『息子がマルチ商法の被害に遭ってしまいました。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2023年9月号

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