トランプ狙撃事件、アメリカ大統領選の行方

 バイデン大統領への撤退圧力が高まっていた(?)折も折、7月13日(土)午後6時過ぎ(日本時間14日午前7時過ぎ)ペンシルベニア州野外選挙集会においてトランプ銃撃事件が発生。暗殺未遂の敢行者20歳は、シークレットサービスに撃たれて死亡した(聴衆1人が死亡、1人が重傷とのこと)。トランプ氏は右耳を撃たれて(ガラスの破片だとの報道もあったが)血だらけになりながら、拳を突き上げて暴力に屈しない姿を誇示し、拍手喝采を浴びることになった。何しろバイデン氏ときたら、最近でもウクライナのゼレンスキー大統領にプーチンと呼びかけ、ハリス副大統領をトランプ副大統領と言うなど、認知機能に明らかに衰えが見られるのである。今でこの状態なのだからこの後ますます悪くなるのは疑いがない。演説を聴いていても、呂律が回っていないというのか、この人に大統領は任せられないだろうと思ってしまう。

 副大統領ハリス氏は59歳。法律家かつカリフォルニア州選出上院議員出身の有色(アフリカ系・インド系)女性だが、残念ながら、至って不人気だそうだ。この4年間もさしたる功績がないという。11月の大統領選挙を間近に控え、ハリス氏に人気があれば大統領候補者を彼女に差し替える緊急避難も可能だったかもしれないが、それが無理となれば、複数名前が挙がっている候補者のうち誰を、どうやって選ぶのか。とにかく時間がなさ過ぎである。未だに不動の人気を誇るミシェル・オバマ氏(オバマ元大統領夫人)を出せればそれが一番だったらしいが、そもそも彼女は固持をしている(やはり賢い人である!)。次の候補が出せないまま、ただバイデンを撤退させることは出来ないはずだ。引退を説得できるジルジル夫人などの家族だけらしいが、その家族としても、次の候補が決まって民主党が勝てると踏めない限り、ただ撤退だけを勧められないのはよく分かる。

 民主党のかつてない大変な状況を背景に、トランプ氏は副大統領に39歳バンス氏を指名した。まさに電光石火の所為である。副大統領候補に何人かが挙がっていたが、その誰でもなかった。白人は同じだが、裕福なトランプ氏とは真逆の労働者出身。高校を卒業後米海兵隊に入りイラクに駐留。退役後に大学に進み、エール大学ロースクールで博士号を取得、投資会社での勤務などを経てオハイオ州選出の上院議員を務めた。経歴を見ても、その上昇志向は度外れていると思われる。トランプ氏が次期大統領になれば、その4年の在任期間中トランプ氏に何かあれば、彼は大統領になる。トランプ氏に大いに気に入られての指名は間違いないので、政策的にもアメリカ第一主義のトランプ氏に追随しているはずである。片や民主党は81歳大統領と60歳副大統領(ハリスさんは10月に誕生日を迎える)。ピチピチの共和党候補に比べて、民主党はなんとなく冴えない感が拭えない。

 嬉しいことだとは思わないが、もしトラ(もしかしてトランプ)はほぼトラになったように感じている。アメリカも人材がいない、2人とも老齢すぎる大統領候補だわ、と思っていたら、俄に、恐ろしいほどの若返りが仕組まれていた。日本も40代のリーダーを渇望しているが、もちろん若ければいいというものではない。私の出身である兵庫県の知事はまさに40代だが、コミュニケーション能力不足と言われ、言葉の使い方からしても、政治家以前に人として未熟の感が否めない。そんなレベルの人であることは短い選挙の時には分からないので、やはり党は責任を持って候補者を立てるべきだとつくづく思わされる。東京都知事候補として躍進した石丸さんも、あとでいろいろと出てきたし、また実際、市長の時に市議会とうまくやれなかった(やらなかった?)ことからして、もっとずっと大きな規模になる都議会とうまくやれたとも思えない。職員ともただ対立するのではなく、上に立つ以上、うまく使えるだけの人格なり度量が必要である。まあそれでも、久しぶりに都知事選を面白くしてもらったし、出馬してくれたことには感謝している。

 さて、死亡した狙撃者は、共和党員として選挙登録があるという(アメリカは登録しないと選挙権がない)。民主党員かと最初思ったが、6月末実施の討論会で大きなケチをつけたバイデン氏に今更こういう形で加勢をしても意味がないといえば、そうかもしれない。被疑者死亡でももちろん捜査は続けられ、犯行の背景なり動機もそれなりに解明されるだろうが、本人が死亡した以上、それはもちろんある程度のものでしかない。日本の警察は、なかなか容疑者射殺には踏み切らないので、職務遂行は大変な負担だと常々感じている。2年前に起こった安倍元首相狙撃事件。背後が完全な無警戒であったことに驚いたが、1発目と2発目との間に時間があったので、シークレットサービスなり県警がきっちり対処していれば既遂にはならなかったと今でも思っている。アメリカでは(というより日本以外のどの国も)危険排除が最優先なので、山上容疑者もその場で射殺されていたはずである。であれば、彼を犯行に駆り立てたと言われる統一教会の問題も一体どの程度明るみになっていただろうか。彼の公判はまだ始まらない。

 面白い記事を見つけた(7月13日付け日経新聞)。イギリスは、受刑者数千人を早期出所させるというのである(刑期4年以上の重大犯罪受刑者や性犯罪、家庭内暴力加害者は除く)。受刑者の増加に刑務所の建設が追いつかずパンク寸前になっているためだという。同月12日時点で計8万7505人服役(収容能力は8万8956人)。イギリスの人口は約6700万人で日本の約半分だが、日本の服役者は2022年末時点で約4万2000人しかいない(収容率はわずかに50%程度)。単純に人口比で計算して、イギリスには日本の4倍もの服役者がいることになる。イギリスで服役者が増えるのは犯罪の厳罰化で刑期が長期化する一方、地元の反対で刑務所の新設が進まないからだという。日本も2004年の刑法改正で多くの犯罪を重罰化した結果刑期も延びたが、幸い受刑者は増えていない。もともと犯罪の発生が少ないうえ、微罪処分とか交通反則切符導入で非犯罪化を進めているし20歳未満の少年は家裁送致で保護処分が主体であるところに、検察庁の処分も起訴猶予が大部を占める不起訴処分が全体の3分の2と多く、起訴してもその7割強は略式請求(100万円以下の罰金)である。起訴処分の2割強しか裁判が開かれる正式起訴にならず、しかもその6割に執行猶予がつくので、新入所者は1万4000人程度にしかならない(2022年)。司法制度の仕組みとして起訴猶予や執行猶予が多いのは、社会内更生を主体として、前科者というレッテル貼りを極力避けているからである。背景にはムラ社会という日本の文化があるとは考えているのだが。

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都知事選の結果、砂原浩太朗作歴史小説に思うこと

 週末は猛暑だったので(静岡では40度を超えたとか)期日前投票に行っておいて良かったと思った。新人石丸さんの参戦で盛り上がり、投票率は60%に達したという(それでも60%…70%は欲しいところである)。小池さんの当確は午後8時早々に出(最終291万8015票)、2位は石丸さん(同165万8363票)、3位が蓮舫だった(同128万3262票)。

 蓮舫にすればまさかの3位だっただろう。「2位ではダメなんですか」で一躍知られるようになった彼女にしてみれば2位がせいぜいで、知名度ほぼゼロの新人(しかも広島の人である!)に大敗を喫するなどよもや予想の外だったはずだ。大敗の原因について、共産党と組んだからと言う人も結構いるようだが、組まなかったとしても、石丸さんに負けていたと思う。結局のところ、蓮舫は一言で言って、「感じが悪い」のだ。顔も表情も品がないし、知性と性格がもろに出る発言もとうてい聞くに値しない。女性に嫌われる女性はダメである。女性票の5割は小池さんに、蓮舫・石丸は2割ずつの得票とのこと。石丸さんは20~40代の男性票をかなり取ったと思われる。

 炎天下の中実際に出向かなくても、スマホを検索して再生することにより、何度でも、またどの討論会でも演説会でも心ゆくまで聞くことが出来る。短期間に無名の新人がこれだけ広く厚く支持を得られたのは、この文明の利器を活用したことによる。人に訴えるだけの内容を持つ人にすれば、これからの選挙戦、これを大いに活用しない手はない。近くある自民党総裁選の選挙民は自民党党員であり、国会議員であるが、それでも一般市民である党員の意向は大きく国会議員にも影響すると思われる。49歳イケメン長身、キャリア出身、スポーツマン、閣僚経験者…という申し分のない国会議員がいるのだから、彼を一気に総裁に立てるのも良いのではないか。もちろん(石丸さんのように)口を開いて、一気に人を引きつけるだけのものを持っているというのが前提ではあるのだが。

 たまたま、砂原浩太朗さんの『いのちがけ(加賀百万石の礎)』を知り、読んだ。前田利家の側近であった村井長頼という人の話が、連作の形で綴られている。ちょっとこの構成はあざといなと思うところもあったが、文章に品格があり、最後まで飽きずに読むことができた。利家はもちろん、周囲の小さな役どころまで手抜きをせずに血肉を与えられている。歴史小説は好きなのだが、なかなか良いと思うのに巡り合わなかったところ、気に入ったので、『高瀬庄左衛門御留書』を手に取ったら、止まらない止まらない…で一気に読み切ってしまった。かつて耽読した藤沢周平に似たところがある。主人公は名もない武士だがその清廉さで人を惹きつけていく。何気ない台詞が哲学めいていて、ふと立ち止まる。これがこの作者の第1作、第2作だそうだ。時として、すごい新人が現れるものである。

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出でよ、40代リーダーたち

都知事選挙はまもなく実施される。7月7日。こんなに楽しみな選挙はかつてなかった。都知事選は圧倒的に現職が有利らしいのだが、そこに石丸伸二という全くの新人が登場し、話題だけかと思っていたら、今や2位につける勢いなのだという。現職有利は揺らがないだろうが、世襲でもない彼がぽっと出てきて、一体どこまでの人を巻き込んで、やってくれるのか。

彼は41歳。広島の西北、安芸高田に生まれて地元の高校を卒業後、一浪して京都大学に入学して経済学部を卒業。三菱UFJ銀行に就職後、4年半ニューヨークに派遣されて広いアメリカ大陸の経済アナリストをやっていたという。経済を知っている、それが自身の売りだという。政治が良くなければ経済も良くならないことを実感し、4年前、地元の市長選に立候補するために銀行を退職し、1期弱市長を務めた。この間議会での様子をユーチューブにアップして名前を売ったようである。都知事選に立候補することはニュースで知ったが、たくさんいる候補の一人くらいに思っていた。

注目したのは、候補者4人による公開討論会の様子をたまたまネットで見たことによる。理知的な喋り方、冷静な佇まい。いわゆる地頭が良いのであろう。失礼ながら、永田町で実際ないしテレビで接する方々とは質的に違うと感じたのである(接する機会がなくて、その頭及び人柄の素晴らしさを知らないままの方ももちろんおられるであろうが)。ネットは大変便利である。討論会に行かなくても演説会場に行かなくても、本人に接することができる。話を聞き、人柄を察することができる。先般は、応援弁士としてはるばる富山・高岡からやって来られたという角田市長41歳の応援演説を聴いて、いたく感激した。もちろん紙など見ることはなく、心の籠もった熱弁を、同級生(年が同じで、地方政治に携わった者同士という意味)である石丸さんのためにとうとうと述べておられた。こんなに素晴らしい応援演説は初めてである。心から石丸さんを尊敬し、応援しているのだということが伝わってくる。

いろいろ言われているが、日本でも若い有望な人が続々育っているのである。自分を振り返っても、40代こそが知力に満ち、体力もあり、何でも前向きに取り組める年代ではなかったか。都知事選の後にくる自民党総裁選は9月。候補者がいろいろ取りざたされているが、昔の名前で出ています、ではない新鮮な方を切に望む。願わくば若い方を。できれば40代を。頭と人柄と、ビジョンに優れた方を。加えて、ルックスも良い方を。日本の代表として世界に出ていかれる方なのだから。G7その他で端っこに目立たなくいるのではなく、故中曽根総理のように、堂々と真ん中に立てる方を。日本の代表として、恥ずかしくないのは当然として、限りなく誇れる方を切に望んでいる。

11月にアメリカ大統領選は行われるが、バイデン現大統領はすでに81歳。以前から認知機能の衰えを度々指摘されていたが、先般の討論会では如実にその弱みがさらされて、選挙戦からの撤退まで声高に叫ばれていた。対するトランプは78歳。まさに高齢者同士の戦いである。刑事事件を抱えるトランプか高齢のバイデンか。消去法の選択になる。アメリカはかつてケネディ、クリントン、オバマと、いずれも40代の大統領を送り出した国である。どの方もセクシーであり、奥様もまたそれぞれに魅力的で、アメリカの理想的なカップルを描き出していた。それがなぜ、いつからか、どういう理由で、若い候補者が出なくなったのであろうか。

話を都知事選に戻す。世襲ではなく、政党も組織票もなく、マスコミによる知名度もなく、ユーチューブという新しい手段により、短期間に人に知られ、それを投票行動に繋げることが出来るのである。5000人とも言われるボランティアの数、2億円と言われる献金額、そしてすでに有名選挙プランナーや多くの支援者がつき、一大ムーブメントを巻き起こすことが実際にできるのである。要はそれだけのやる気を持ち、力強く人に訴え、言葉と行動で人を味方につけることができるかどうか。石丸さんの本心が実のところは都知事ではなく、知名度を上げて国政選挙に出たいのかも、あるいは他の何かにあるのかも、それは分からない。しかしながら、彼が今回行動してくれたことにより、ただ諦めるのではなく、それぞれ行動を起こすべきだと教えてくれたことは、それにより政治を変えていけるかもしれないと思わせてくれたことは、本当に有り難いことだと思う。7日夜が待ち遠しい。

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法曹養成の失敗について思うこと

6月28日(金)、ああこれで今年も半分経過である。レインコートが必携の朝から大雨の今日だが、行事会合に忙殺された先週が終わり、今週は一息ついている。

先週いくつかあった懇親会の中に、現職検事が出席したものがあった。検事総長や検事長で辞めた方も何人かいて、いろいろ話を聞けた。司法試験合格者は(長い間年500人弱だったが)近年約1500人で推移している。検事任官者も以前より多いのは当然だが(私が任官した40年前は53人。その数年前、30人を下回る危機的状況だった)、今や毎年何十人単位で辞めていくという。異動の希望に「東京。それ以外なら辞める」と書いてくるって、本当!? もちろん全員を東京で働かせることはできないので、希望が通らないことが多いが、その場合は本当に辞めて弁護士になるという。弁護士って、今は増えすぎて、そんなに儲からないじゃないですか、ごく一部を除いて。「まあ、本人は自分はやれると思っているんだろうなあ」。たしかに、大手弁護士事務所の伝があれば、少なくとも検事の給料よりは多いだろうが、その人はなんのために検事になったのだろう。そもそもなんのために司法試験を選んだのだろう。社会正義の全うとまでは言わないにしても、法曹=お金儲けではありえないし、そもそもお金を儲けたいのであればビジネスをやればいいと思うのだ。

振り返って、私は異動の希望に「寒い所は嫌」と書いた(他に書きようがあるだろうに、正直なものだ…)。その結果?新任明け(昭和59年)は松山に、3年後横浜に、2年後(A庁明けという)津に赴任した(平成元年)。その2年後名古屋(法務局)、その2年後東京に異動して5年経過後国会議員に転身した。以後は職住共にずっと東京なので、検事時代の異動でのみ地方勤務を味わうことができた。おかげで松山を起点に四国全体を回れたし、全国の美味しいものも味わえたし、松山も津も当時の交遊が今も続いていて、本当に有り難いと思っている。ただ正直な話、異動は若いからこそ出来たのだろうと思う。だんだん年を取ってくると、引っ越しはしんどいし、親の介護や子供の教育のことなどでやむなく定住を選んで異動を断り、弁護士に転身する人も出てくる。だがしかし、最初から東京しかダメなどという人はいなかった。世の中、というか法曹の質が変わったのだろう。

私が国会議員だったとき(1998年~2004年)に、司法制度改革が始まった。中坊公平さんの「2割司法」が跋扈し、弁護士が足りないから司法が2割しか機能していないという大嘘が声高に叫ばれた。助けを求めようにも弁護士がいないので、結局政治家やらその他のルートを頼らざるをえないというのである。実業界からも弁護士増員の掛け声があり、こちらは、弁護士が増えれば会社でサラリーマンとして雇うことができるというのである(これを「インハウスローヤー」という)。司法試験合格者数は2000年当時1000人前後だったのを(それでも私が合格した当時の倍である)、2010年頃には3000人にしようと言っていた(数字の根拠は、ない)。徐々に増やして2012年に2100人になったのをピークに、弁護士会が増えすぎだ、1500人に減員をと言い出し、以後大体それくらいの数で推移している。

人数を増やすのだから、教育をきちんとしなければならない、という論理で、ロースクールが始まったのである。本家本元アメリカでは大学に法学部はなく、心理学や社会学などを学んだ者のうち成績の良い者などが選ばれてロースクールに進み、法律家になるシステムである(医者の養成と同じである)。故に、日本でも法学部を廃止するのかとの議論がなされたが、サラリーマンを養成するためにも法学部は必須であり廃止するわけにはいかないとの結論が当然のように支配的であった。その結果の「日本版ロースクール」の誕生であった。どの大学もロースクールを作らなければ学生が他に逃げていくと恐れて手を挙げ(ヒアリングをしたが、小さな地方大学もすべて法律家養成にローカル色が必要だ云々、述べていた)、2004年、68校が設立された。当初は、上記のとおり3000人が合格するので、ロースクール卒業者の7割は合格するとの試算だったのである!

ところがどっこい。弁護士が増えすぎて、上記のとおり、司法試験合格者は1500人の頭打ちになった。つまるところ、ロースクール卒業者の3~4割しか合格せず、中には一人も合格しない所も相次いで、2023年時点で半数の34校に減った(もっと減るのではないか)。高いお金をかけてロースクールに2年通い、借金を抱えて弁護士になると、あと下手なことに手を出すことにもなりかねない。日本はもともとアメリカのような訴訟社会ではなく、現に刑事事件も民事事件も長らく減少傾向にある(増えているのは家事事件のみ)。弁護士が足りないどころか、もはや余っているのである。かつての弁護士2万人時代から今や5万人時代である。過払い金返還請求事件はとうの昔に終わっているし、一般の弁護士は一体どうやって食べていくのだろうと思わされる。

実際のところ、高いお金と厖大な時間を掛けて法曹資格を得たところで、それほどバラ色の人生が待っているわけではないのである。需要と供給のバランスからして、弁護士を雇おうという事務所も増えないし、その給料たるや我々が司法修習生だったときの年4~500万円程度から全く増えていないらしいのである(もちろん大手の弁護士事務所であれば年1000万円を保障するだろうが)。給料を出さずに机だけを貸すという形態があり(軒弁ノキベンという)、それもなければ自分で最初から独立して弁護士をやり(独弁という)、携帯しか持ち合わせず(携弁という)、あるいは弁護士会会費も払えないので弁護士登録しない者まで普通にいる時代なのである。そもそもが高度に専門的な知識を必要とする職業なのであるから、真っ当な事務所に勤めてオンザジョブトレイニングを受けられないのでは上達しないし、一般の市民が被害を被ることにもなるのである。大企業に勤めたほうがよくない…?進路の相談を受ければ私は実情を教えている。それでも、これこれをしたいから弁護士になりたい、あるいは検事になりたい、裁判官になりたい、確固たる意思を持ち合わしているのであれば別であるが、そうでない場合には決して勧めない。

国家的詐欺ともいえる法曹増員計画にのっかって、会社を辞めてロースクールに入った人も結構いるだろう。7割が合格するのであればと思っただろうが、実際は7割が不合格なのである。医学部を卒業しながら医師国家試験に合格しない人の将来が暗いように、ロースクールを卒業して司法試験に合格しない人の将来もまた暗かろう。実は司法試験に合格するノウハウは、ロースクールよりもむしろその専門の予備校のほうがずっとか進んでいて、予備校に通いながらロースクールに行くのは時間と金の無駄でしかないという側面も否めないらしい。そもそも学部での法律履修(3~4年間)+ロースクール2年(法学部履修者以外の場合はロースクール3年)は、実務家以前の法律を学ぶのに長すぎてダレるというのが私の感覚である。法曹になるのであれば、文学や歴史、哲学といった一般教養こそが必要なのに、それが得られないまま法律だけを勉強するというのは薄っぺらな法律家を作り上げるだけで、大変に危険なことというべきである。検事しかり裁判官しかり。やはり一般教養を基礎にした立派な法曹を誕生させなければ、それこそ数だけ増やして、国民にとっては害にしかならないのではないだろうか。

ロースクールはおろか大学卒業さえ必要でなかった旧司法試験制度が懐かしい。

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『母の遺言の内容に納得できません。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2024年7月号

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