執筆『兄の事故保険金を騙し取られました・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる6月号」

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小沢事件の控訴について

 9日(水)朝検察庁の前を通ったら,マスコミの車がたむろしていた。後で,指定代理人が小沢被告を控訴し,記者会見を開いたのだと知った。控訴期限は10日。そのころ,虚偽の捜査報告書数通がネットに流出されている。発信元は不明だが,ロシア経由でばれないようになっているらしい。

 実は,控訴はないと思っていた。裁判所は検察(指定代理人)による法的構成を認めたうえで無罪と認定したのだ。疑わしきは罰せず,つまりは検察の立証では不十分だとの判断である。通常の事件であれば,裁判所のその判断は誤っている,他の同種事件に波及するおそれがあるとして控訴をするという選択肢は当然にありうる。しかし,本件は事情が異なる。

 もとはといえば,検察が不起訴にした事案である。しかも虚偽報告書問題が絡んでいる。現場は起訴したがったが,上層部は不起訴を指示,これに反旗を翻す形で,虚偽報告書を作成したうえ検察審査会に起訴相当の議決をさせたとの疑いが濃厚だ。この点を判決も指摘し,明確に検察を批判している。つまりは起訴自体が違法であり,無罪以前の公訴棄却という判断もありえた事案だからである。

 捜査報告書がそもそもなぜ作成されたのかおかしいと以前書いてきたが,それは私の勘違いだと,はたと気がついた。検察審査会の「起訴相当」の議決を受けて検察は再捜査をしなければならず,その結果を検察審査会に報告するのは当然なのである(ただ,その後の公判には通常出ない)。だから問題は,再捜査の結果やはり「不起訴相当」として検察審査会に送り返した時に,その趣旨の反対である,起訴を相当とする趣旨で作られた(しかも虚偽内容で)ということの問題なのである。

 虚偽であることは,再捜査で取り調べられた石川被告が隠し取りをしていなければ明るみにはならなかった。ばれないと,当事者らは考えていたはずである。そこに,小沢はけしからん,上層部が不起訴だというのなら,自分たちで別途検察審査会を使って起訴させてやろうじゃないか,そんな意思が働いたと見るのは容易である。肥大化された自己,誤った万能感は,大阪地検特捜部の証拠捏造事件に流れるものと共通である。

 検察での控訴は勝手には決められない。控訴審査会を開き,資料を作成し討議し,原判決が覆るか否か,何重にも審査する。刑事事件における控訴審は事後審である。一審判決のどこにどんな不備があるのか丁寧に吟味される。逆に言うと,よほどのことがなければ一審判決は覆らない。覆せるだけの資料なり新証拠がなければ,たとえ判決に不満はあっても控訴は断念せざるをえないのである。検察は公益の代表者だから,単なる義侠心や不満だけで,被告をその地位に長く留まらせてはいけない。

 ところが,新たに設けられた強制起訴制度では,控訴に関する規定がない。控訴が出来ないとも書いてはおらず,3人の指定代理人だけで控訴の是非を決めたのだ(もちろん誰かのアドバイスなり意見なりは相当程度あったと思われるが)。それほどの強大な権限を,たまたま弁護士会が選任した2?3人の指定代理人だけで決めてよいのか,甚だ疑問である。

 いずれにしても,この控訴によって政治が停滞するのは与野党ともに避けてほしいと,つくづく願わずにはおられない。

  

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小沢被告に無罪判決

 あるいは有罪判決が出るかと思っていたが,無罪であった。ただし判決内容を読むと,限りなく黒に近い。秘書から報告を受けて了承をした,までは認定しているので,従来の判例の立場では「共謀」を認めてよいし,実際起訴もその立場であった。政治資金規正法という,限りなく形式的な法律の趣旨からして,もっと積極的な関与がなければ違法性の意識がなかったかもしれない,つまりは疑わしきは罰せず。結論としてはまあこれでよかったかなと思っている。

 問題は検察である。検察審査会の「起訴相当」議決を受けて,検察が石川被告(元秘書。一審有罪で控訴中)を再度調べたとき,彼が供述しなかった事実が捜査報告書に盛られた。今話題になり,この度判決でも厳しく非難をされた虚偽報告書問題である。なぜそれが虚偽であるとばれたかと言えば,石川被告が録音をしていたからである。それがなければ,水かけ論であったかと思うだけに恐ろしい。とにかくこの虚偽報告書が検察審査会に送られ,再度「起訴相当」議決がなされ,強制起訴になったとされる。

 捜査報告書というのはあくまで内部資料であって,表向きに出ることはない。そもそも本人が本当にそう供述したのであれば,その内容は供述調書(本人に確認させて署名押印を貰うからこそ証拠能力が与えられる)になっていなければならない。実際に喋らなかったから供述調書には盛られなかった。だがそれをあえて捜査報告書として残し,検察審査会に提出する必要があった。なぜか?

 特捜の現場は小沢を起訴したかった。だが上層部が止めたと聞いている。4億円がダーティマネーであると立証できればともかく,政治資金規正法は金の出入りを明らかにする趣旨の形式的な法律にすぎず議員の作成文書ともされていないから,記載に誤りがあるというだけでは起訴できないと考えたのである。そこで現場は,検察審査会を使って強制起訴をさせようとした。その結果がこの虚偽報告書だと考えられている。市民団体の告発を受けて,取り調べ担当の検事が調べられたが,混同をしていたと弁解をし,故意が認めがたいとして不起訴になるという。

 身内に甘いと言われるであろう。第一,混同のしようがない。捜査報告書はそのときに作ったものだからである。作成の意図は何か? それがなぜ検察審査会にわざわざ送られたのか? 市民団体は当時の特捜部長をも告発したというが,組織ぐるみでないと出来ないことである。トカゲのしっぽ切りでは,検察は出直せない。洗いざらいに非を認めて,国民のために公明正大な検察に生まれ変わらなければならない。自分たちの栄誉のため立身出世のために,名の知れた政治家を挙げ,あるいは大きな事件をやってやろうといったさもしい魂胆にすり替わってきている。実に恐ろしいことだと言わなければならない。

 一方,無罪判決は免責ではない。秘書は有罪なのだ。秘書が勝手にやったで済まないことは明らかだ。少なくとも政治責任,道義的責任は免れえないのだから,履き違えてもらっては困る。自民党も無罪が出たからといって(?)国会に喚問をと急に声高に言いだしたのも滑稽である。2人の大臣の問責決議案を可決したのに大臣が辞めないから一切の審議拒否を貫くと言っていたのが,消費税反対の小沢を切れないのなら審議に応じないと,結局,どんな理由であれ応じないわけで,子供が駄々をこねているのに等しい。国民が与野党に対して呆れ返っているのが,どうやら見えないらしい。国民の負託を受けての国会議員である原点を忘れて貰っては,困るのだ。

 

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木嶋被告死刑判決、取調べ可視化は時代の流れ

 あっという間に1か月半が経っていた。この間、桜が咲いて散って、そして卒業者と新入者が入れ換わった。先週(12日)から大学に行き始めた。毎木曜、1時間半授業3コマは気力体力の勝負でもある。

 世間をお騒がせした木嶋被告に13日、死刑判決が出た。3人殺害なので、有罪であれば死刑である。殺害の直接的な証拠はないが、3人には自殺する理由がない。どの人も睡眠薬を多量に飲んだうえでの練炭中毒死であり、どの人も彼女と関わっていて直前に会っているなどなど、状況証拠からだけでも犯人性には誤りがない事案だと思う。しかもこれといった反証なり弁解も挙げられていない。裁判員の方々の御苦労には頭が下がるが、それはその判断のほうではなく、むしろ100日という多大の日数を要したことのほうであろう。本来裁判員裁判は、素人の方々に入っていただくため、3?4日の設計で成り立っているが、もちろん、事案によってはそんなに簡単には終わらない。これが裁判員裁判を見直す際でのなんといっても一番大きな問題となるはずである。

 当時、山陰地方で木嶋被告と似たような女性の似たような事件がマスコミを賑わせた記憶があるのだが、そちらはどうなったのだろうか。同じように結婚詐欺、そして睡眠薬と練炭死。だから殺害方法はネットで出回っているのだろうと思う。もちろん今後は警察も、こうした死亡を、事故死や自殺として死体解剖しないまま処理するということもなくなるであろう。犯罪者は時代の先を行き、警察はそれを追う形になるのは常である。合掌。

 さて、先般弁護士会で、取調べ可視化についての研修を受けた。イギリス、アメリカ、オーストラリア、韓国といった捜査官の現状報告によれば、取調べはすでに録画されるようになっている。日本のような密室での取り調べでは、言った言わない、自白は任意である任意でないといった争いになるが、すべて録画済みであれば法廷で証人をよんでの、長い不毛な争いはありえない。このシステムは被疑者側に有利なだけではなく、捜査官にも有利なのだ。被疑者が捜査官に脅されたから喋ったと嘘を言っても通らないからだ(通らないと分かっていれば嘘の弁解もしないから審理は迅速化される)。

 当局が取り調べの可視化に消極的な理由は、録画されている所では(つまり人が見ている所では)人は本当のことを喋らないということにある。しかし、裁判所で尋問中速記を取られていることが最初気になるがだんだんと気にならなくなるように、最初のうちでこそ緊張してもすぐに人は状況に慣れてくる(とイリノイ州のサリバン弁護士が言うがその通りである)。法廷でのかしこまった被告人だけではなく、逮捕当初の様子や取り調べ時の対応がリアルに分かるということも、裁判所にはいい判断材料になるであろう。

 いずれにしても可視化は避けられない。大阪特捜部の村木事件や各種冤罪事件、最近では小沢事件において、密室での強引な取り調べ状況が明らかになっている。密室で心理的に追い詰め、捜査官の描いたストーリー通りに自白させるなんていう手法は前近代的である。むしろ可視化は捜査官の質を高めることになる。検察でいえば、被疑者を前に警察の調書を見ながら読みながら、といった体裁の悪いことはできないからである。録画されても恥じない取り調べには相当な準備が必要である。捜査官の取り調べ技術なりコミュニケーション能力も白日の下にさらけ出される。録画があれば、新任捜査官の研修にも大いに役立つはずだ。今はまだ徒弟奉公みたいな古い習得方法しかないのだから、捜査官の質を高め、捜査を公正にするためにも、可視化は時代の要請として不可欠であると見た。 

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執筆『携帯でやり取りした人に騙されたようなのですが・・・』

自由民主党月刊女性誌「りぶる5月号」

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