木嶋被告死刑判決、取調べ可視化は時代の流れ

 あっという間に1か月半が経っていた。この間、桜が咲いて散って、そして卒業者と新入者が入れ換わった。先週(12日)から大学に行き始めた。毎木曜、1時間半授業3コマは気力体力の勝負でもある。

 世間をお騒がせした木嶋被告に13日、死刑判決が出た。3人殺害なので、有罪であれば死刑である。殺害の直接的な証拠はないが、3人には自殺する理由がない。どの人も睡眠薬を多量に飲んだうえでの練炭中毒死であり、どの人も彼女と関わっていて直前に会っているなどなど、状況証拠からだけでも犯人性には誤りがない事案だと思う。しかもこれといった反証なり弁解も挙げられていない。裁判員の方々の御苦労には頭が下がるが、それはその判断のほうではなく、むしろ100日という多大の日数を要したことのほうであろう。本来裁判員裁判は、素人の方々に入っていただくため、3?4日の設計で成り立っているが、もちろん、事案によってはそんなに簡単には終わらない。これが裁判員裁判を見直す際でのなんといっても一番大きな問題となるはずである。

 当時、山陰地方で木嶋被告と似たような女性の似たような事件がマスコミを賑わせた記憶があるのだが、そちらはどうなったのだろうか。同じように結婚詐欺、そして睡眠薬と練炭死。だから殺害方法はネットで出回っているのだろうと思う。もちろん今後は警察も、こうした死亡を、事故死や自殺として死体解剖しないまま処理するということもなくなるであろう。犯罪者は時代の先を行き、警察はそれを追う形になるのは常である。合掌。

 さて、先般弁護士会で、取調べ可視化についての研修を受けた。イギリス、アメリカ、オーストラリア、韓国といった捜査官の現状報告によれば、取調べはすでに録画されるようになっている。日本のような密室での取り調べでは、言った言わない、自白は任意である任意でないといった争いになるが、すべて録画済みであれば法廷で証人をよんでの、長い不毛な争いはありえない。このシステムは被疑者側に有利なだけではなく、捜査官にも有利なのだ。被疑者が捜査官に脅されたから喋ったと嘘を言っても通らないからだ(通らないと分かっていれば嘘の弁解もしないから審理は迅速化される)。

 当局が取り調べの可視化に消極的な理由は、録画されている所では(つまり人が見ている所では)人は本当のことを喋らないということにある。しかし、裁判所で尋問中速記を取られていることが最初気になるがだんだんと気にならなくなるように、最初のうちでこそ緊張してもすぐに人は状況に慣れてくる(とイリノイ州のサリバン弁護士が言うがその通りである)。法廷でのかしこまった被告人だけではなく、逮捕当初の様子や取り調べ時の対応がリアルに分かるということも、裁判所にはいい判断材料になるであろう。

 いずれにしても可視化は避けられない。大阪特捜部の村木事件や各種冤罪事件、最近では小沢事件において、密室での強引な取り調べ状況が明らかになっている。密室で心理的に追い詰め、捜査官の描いたストーリー通りに自白させるなんていう手法は前近代的である。むしろ可視化は捜査官の質を高めることになる。検察でいえば、被疑者を前に警察の調書を見ながら読みながら、といった体裁の悪いことはできないからである。録画されても恥じない取り調べには相当な準備が必要である。捜査官の取り調べ技術なりコミュニケーション能力も白日の下にさらけ出される。録画があれば、新任捜査官の研修にも大いに役立つはずだ。今はまだ徒弟奉公みたいな古い習得方法しかないのだから、捜査官の質を高め、捜査を公正にするためにも、可視化は時代の要請として不可欠であると見た。 

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