委員会審議について

 予算委員会の審議が放映されるので,テレビを見ることがある。
 民主党政権になって最も変わったことは,官僚答弁の廃止である。
 法制局長官の答弁も廃止,細かいことまで各省庁の大臣・副大臣・政務官に答弁させ,もたもたしている。官房長官の答弁に至っては笑止千万なことがある。憲法も何も知らないということが一目瞭然だ。そもそも政治家にそれほどの力量があるはずもなく,反対に,官僚はその役所で何十年も同じことをやってきた専門家なのだから,これを使わない,使えないというのは不合理に過ぎる。
 政治主導という理念は,主導する政治家に相応の力量があって初めて可能となる。加えて,政治主導は官僚を排除することとは別物である。官僚は手足となる永続的な組織であり,それに比して政治家は,選挙によって代わるべき非永続的な存在であり,また組織として微小である。
 官僚をうまく使うことこそが上手な政治手法であることは今も昔も変わらない。ただ政治家に力量がないために官僚に使われてきた過去があり,その過去を払拭する方策は,官僚を排除することではなく,自らの力量を高め,官僚を使いうる主体にすることなのである。

 そのこと以前に,委員会審議には大いなる疑問がある。たぶん多くの国民が気づいていることと思うが,今回も「なぜスキャンダルばかりやって,肝心の予算をやらないの?」。
 以前国会にいたとき,某女性議員がカナダ在住の日本人領事のDVについて質問をしていて驚き,なぜこんな質問がありうるのか傍にいた先輩議員に聞いてみたところ,「予算委員会だから何でもある」との答え。実際,何でもあるどころか,肝心の予算についての審議がまるでないにも等しいのである。
何にいくら使うか,それが税金の正しい使い方なのか,それを逐一審議していくのが本来の予算委員会であろうと思うが,それはほとんど出ない。そしてスキャンダルなり何なりやったあとは採決するかどうかだけ。これは数の論理で決まるから,予算案は審議する以前に決まっているということである。つまり委員会はある意味,見世物だ。各党ないし各議員の選挙区向けアピールである。注目される予算委員会は花形だから質問をしたい議員は山ほどいる。私も一度テレビ放映の際の質問に立ったが,その反響たるやすごかった。

 予算委員会に限らず,どの委員会でも逐条審議をやればいいのだが,条文にのっとって質問をする人は極めて少ない(当然ながら私はそうしていた)。質問といっても感想程度の,あまりにお粗末すぎて聞いているほうが恥ずかしくなるような質問も珍しくない。
 ちなみに欧米各国では逐条審議をするという(『国会学入門』大山礼子著 三省堂)。法律制定・改正である以上当然であろう。逐条審議をやれば法律の解釈も残るし,さらに重要なことは質問のネタは尽きてしまい,審議を引き延ばしては廃案に持ち込むことができないということである。
 国会において改善すべきことは多い。
  国会改革を,といっても,それ相応の識見のある議員がそろわないことには無理なのであろうが。

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