執筆「過ちを犯したのは・・・」

 亡き父は広島市の出身だ。原爆投下の日、両親やきょうだいを探して街中を駆け回ったという。学生だった弟妹三人は死亡。灼熱の生き地獄を、私は何度か聞かされた。

 怖くて平和記念館には行けなかったのだが、検事時代にアジア極東防止研修所という国連機関の教官になり、各国の研修生を同行する立場となった。入口にある「過ちは繰り返しません」。何の疑問も抱かなかった。

 その後国会議員になり、アジアの要人から指摘された。「なぜあの言葉なのですか。過ちを犯したのは日本ではなく、アメリカでしょう」。

 原爆投下及び東京大空襲。民間人や捕虜の虐待・殺害こそが古来通例の戦争犯罪である。戦勝国であるが故、彼らは自らの罪を不問に付した。

 国連憲章が禁ずるまで、人類の長い歴史において、戦争は外交の延長であり、紛争解決の手段であった。故にありえなかった、勝った国が負けた国を裁く裁判。それが東京で行われた。A級戦犯「平和に対する罪<侵略戦争を共謀・遂行した罪>」。近代法の禁じ手である事後法を設けての裁判であった。

 インドのパール博士らが無罪を主張したが、二十五名全員が有罪。うち東条英機ら七名が絞首刑となる。一方、通例の戦争犯罪(B級戦犯)では、東京外の内地・外地で五千人以上が裁かれ、絞首刑約千人。

  知れば知るほど己の無知に愕然とした。各国の研修生にあって、なぜか我々にはなかった、国への誇り。人の背骨をなす歴史。知らずして誇りは持てないと、ようやくに知った。

東京新聞 夕刊 『放射線』
(中日新聞 夕刊 『紙つぶて』)

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