執筆「エレガンスな対応を念頭に。 その前提に必要なのは心の余裕。」

 座右の銘が幾つかある。
 その1「案ずるより産むが易し」。
 気の重い案件の前に唱えるだけで、ずいぶんと気が楽になる魔法の言葉である。
 その2「人事を尽くして天命を待つ」。
 自分なりに出来ることを、とにかくする。その結果思ったようにはいかなくても、一生懸命やったのだから仕方がないと思えれば、これまたずいぶんと気休めになる。
 ところで、以前書いたように、私は生来短気な性分で、いつもの私からは想像できないほど(?)突然に切れることがある。ことに、タクシー乗車時。道を知らない、そのくせに横柄な運転手が多すぎるのだ。不愉快なので、できるだけ公共機関を利用する。どうしてもタクシーに乗る時は、初めての道であれば地図を持参するほどである。
 ところが、だ。先日、その私より前に同乗者が突然に切れたのである。半端な切れ方ではなかった。普段にこやかで穏和な人だけによけいびっくりした。思わず口をついた言葉が、
「まあ、そう怒らなくてもいいじゃないの。悪気があって間違えたわけじゃないのだから」。
 格好いいことではないと、端で見ていて、初めて気がついた。理由がどうであれ、少なくとも美しくはない。
 突如、エレガンスという言葉が頭をよぎった。優雅+知性+美しさを併せ持つ、最高の称賛である。そう、イギリスの紳士淑女は決して怒ったりはしないはずである。使用人に対しても、どんな不条理に対しても、常に丁寧に、微笑みをもって対処するはずである。
 頭に来たから、腹が立つから、と怒るのは誰もがすることである。人とは違うこと、普通の人にはなかなか出来ないことをして初めて、人は尊敬される。怒るのであれば、それは自分の憂さ晴らしではなく、相手や人のためであるべきだし、その時にも怒られる側の立場になるべきなのだ。でなければ、謝罪はその場凌ぎのものとなり、自分も決して良くは思われない。
「人の振り見て我が振り直せ」。
以来、これも座右の銘になった。できるだけ怒らない。怒っても、抑える。そのためには心に余裕が必要なのだと気がついた。そう言えば、イギリスでは古来、ユーモア精神もまた、非常に尊ばれている。人を笑わせることは、自分に余裕がないとできないと言う。そう、エレガンスの前提には余裕があるのである。
 幾つになっても、学ぶべきことは多い。

自由民主党月刊女性誌
『りぶる』

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