名古屋主婦殺人事件に思うこと

26年前の1999年11月13日白昼に起きた殺人事件である。高羽奈美子さん(32歳)が自宅アパート(2階)の玄関付近で何者かに首などを刃物で何度も刺され、廊下で倒れて死亡したのである。奥のリビングには当時2歳の航平君がいたが、無事だった。「知らない女の人と喧嘩して、ママが死んじゃった」と1年後に喋っていたが、もちろん事件の記憶はない。夫悟さん(当時43歳。被害者の11歳上)は犯行現場であるアパートを借り続け、その総額は2200万円近くに上るという。

犯人は自分もその刃物で手に怪我をし、タオルかハンカチで手を覆って500メートルほど先の公園まで逃走した。その際に何人かから目撃され、似顔絵も描かれている(ただし警察が公開したのは、2020年以後である)。160センチ位、40~50才の女性、血液型はB型、足は24センチまで特定されているにかかわらず、犯人は杳として知れなかった。2010年、殺人の時効が撤廃される(従前25年。2004年まではわずかに15年であった)。昨春着任した刑事によって捜査は急展開し、今年8月来何度も犯人安福久美子(69歳。悟さんの高校の同級生)は調べられ、DNAの提出を求められて(口内をしゅっと擦るだけで簡単である)断り切れず、観念して10月31日に出頭した(自首ではない)。送検は11月1日だから今日10日で勾留満期である。もちろん勾留はさらに10日延長されて20日が満期となり、その日に公判請求されると思われる。

事件後逃亡するには、男と女、どちらがやりやすいかと学生によく質問していた。答えは女である。なぜか。男が働くには日雇い労働など表に出ることになるが、女は夜の世界で働けるし、化粧や服装、髪型で容易に印象を変えられるからである。整形という手もある。しかし、安福は逃亡などしていない。整形も変装もせず、ずっと被害者宅から近い所にいたのである。殺人を犯しながら、夫(彼女の旧姓は山口)と男児2人と堅実な暮らしを送り、パートアルバイトもしていたというのだ。なんということだろう。

なんで26年もかかったのかという人も多いが、この捜査は難しかっただろうと思う。普通の殺人(強盗殺人は別)は、被害者と犯人に面識がある。それが殺人になる動機は、怨恨、男女関係のもつれ、金銭関係のもつれが3本柱であり、何かトラブルがなかったか、からターゲットを絞っていく。だが、本件ではそれが全くなかったのである。面識があったのは、被害者ではなく被害者の夫。犯人は高校の同級生で同じテニスサークルに属し、バレンタインチョコやラブレターを送ったりしていた。違う大学に入ったが、1時間もかけて悟さんの大学に赴き、テニスをしている姿をじっと眺めたりしていたので、悟さんは近くの喫茶店に誘い、「気持ちには応えられない」と応じたところ、泣き出したことがあったという。しかし、それから20年以上も経ったのである。まさかそれが動機になることはあるまい。おそらくは事件5ヶ月前にそのサークルの同窓会で再会した際に、何かのスイッチが入ったのだろうが、それだったって、自分も結婚して子供もおり、普通の生活を送っている女が、嫉妬に駆られて?見ず知らずの女性を殺害するというのは、予想を遙かに超える。もしこんな小説があれば、馬鹿馬鹿しいと誰も読んでくれないと思う。

まさに「事実は小説よりも奇なり」。その特異な心理状態を知るために鑑定留置をして精神科医の所見を聞きたいところだが(簡易鑑定は実施しているかもしれない)、知的レベルには問題がないし、統合失調症(旧精神分裂病)などの精神病でもない。人格障害(パーソナリティ障害)や発達障害はあったと思うが、そうであっても刑事上の責任能力には問題がないことは実務で確立しているので、あえて鑑定留置を実施することはないだろう(安倍元総理殺害事件では実施したので、えっなんでと思ったが、やはり責任能力には何の問題もなかった)。取調べにおいては、捜査官に聞かれるがままに「反省している」「被害者に申し訳なかった」のような一般的な答え方はするだろうが、本当にそう思っているかは疑わしい。そういう人であれば、そもそもこんな大それたことはしていないからである。事件後もその前と変わりなく普通に生活し、被害者の命を理不尽に奪ったことや、その子供から永久に母親を奪ったことについて、なんらの良心の呵責など感じもしなかったと思う。まして被害者の夫に対して悪いことをしたなど、微塵も思いはしなかったであろう。

凶器を持参したのは、確固たる殺意の顕れである。首を狙って刺したときに返り血を浴びているはずだが、その姿を逃走時に目撃されていないのは、上着(レインコートのような、血を弾くもの?)を犯行現場で脱いで、凶器と共に、携行したバッグに仕舞ったからだと思われる。もちろんどれもこれもとうの昔に処分済みである。500メートルほどの血痕後に跡が途切れているのは(警察犬でも追えなかった)、公園に車を置いていたからではないかと私は思っている。当時の安福の自宅(夫名義の分譲マンション)と被害者宅との間の距離は約10キロだったというから、歩ける距離ではないし、タクシーなどを使えば足がつく。完全犯罪にすべく入念に下調べもしているはずである(刃物で怪我をしたのは誤算だったと思われるが)。逃走経路は、あえて自宅とは違う方向を選んでいたのではないか。

日本の犯罪史上、特異な事案であると思う。動機が今もって分からないだけに、犯人特定が長引いたのもむべなるかな。しかし最後には逮捕されて本当に良かった。訳も分からず殺害されしまった被害者の無念さは察するに余りあり、安らかにお眠り下さいとただ祈るほかはない。未解決の殺人事件は他にもたくさんあり、それを一つ一つ詰めていくことが、被害者及び遺族の方々の何よりもの供養になると思うのである。

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