一年を振り返って

 あっという間に今年もあと半月を残すばかり。だんだん年を取るのが早くなるが(これまでの年齢を分母として、その1なので)、今年は格段に早かった。記録的な猛暑、古巣の大不祥事、政界の混迷…とジェットコースターのように続いたからではないか。
民主党に変わって1年余、その幼稚さ、政権担当能力の欠如は早や誰の目にも明らかである。管さんがダメ、では誰かといえば、誰もいない。自民党の誰がいいかと聞かれても、答えが出ない。
 根源的な問題は教育にあると思う。
 政界は縮図であり、日本中どこにも人物がいなくなって久しい(芸術や科学分野は才能次第なので別)。高い志を持ち、私心がなく、教養に溢れた人たち。先日講談を聞きに行き、赤穂浪士の話でつい涙腺が緩んだのは(講談師の話がうまかったからももちろんあるが)浪士たちがただ忠義のために命を賭けたからである。政界を見渡して、そんな人は見当たらない。現在放送中の「坂の上の雲」を見ていても、悲しくなってくる。赤穂浪士も明治の彼らも、こんな国にするために命を賭けたはずがない。今の日本を見たら、どんなに絶望するだろうと。
 確固とした宗教のない日本で、人々の規律が保たれている理由を問われ、新渡戸稲造が英語で「武士道」を著わしたのは有名な話である。武士道は武士以外にはなかったと思うが、代わりに世間様お天道様の他人様があった。戦後、アメリカの敗戦処理がまたとなく功を奏した結果?責任のない自由、義務のない権利が跋扈し、それが個人主義やら民主主義やらとはき違えられたのだと思っている。
 教育は百年の大計だ。もう取り返しがつかないのだろうなあ、と思う。若者が可哀そうである。

 日本の将来を大きく憂えながらも、私自身は人生、今が一番幸せである。この幸せを得るために今まで健康で生きてこられてよかったなとつくづく思う。感謝である。 朝気持ちよく目覚めた時、爽やかな気候の中街を歩く時、寝しなにテレビの舞台や音楽、映画を何の憂いもなく見れる時、ああなんて幸せなんだろうと思う。健康あればこそ、仕事もうまくいっているからこそ。自分や家族に病人がいたり、資金繰りが苦しかったりしたらとうてい得られない安らぎだ。幸福は決して非凡なことにあるのではなく、日々の些細な日常にあるのだと実感する。年を取ると、幸せのハードルが下がるのかもしれない。今のマイブームはミュージカルと演劇。一人だと当日券でも必ず取れる。時間がたまたま空いたからと観に行く気楽さ。それも昨今非常に幸せに感じることの一つである。

 生まれつき変わらない自分がようやく分かってきた。それを踏まえて、変わらないといけない自分がある。例えば、親譲りで短気なのは変わらないが、いったんは飲み込み、すぐさま爆発させないように心がけるとか、正直で無愛想な面は変わらないができるだけ笑顔でいるように心がけるとか。
 弁護士になって6年余。先日ふと気がついて驚いた。検事時代は2~3年毎に異動、参院議員は6年だから最長になったのだと。事務所は立地・執務環境とともに気に入っているので(大家側の都合でもないかぎり)変わるつもりはなく、記録は更新するだろう。この毎日がつつがなく続くことを心から願っている。
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