急に初夏…大谷騒動の結末

 一昨日から日中は半袖で良い気温になった。今日も26度になるとか、今頃からまさかの鍔広帽子を被り(もちろん素材的には夏っぽくないものにしているが)、初夏用の薄手のスーツを着て、中は半袖のインナーにした。事務所の窓を開け放し、暖房をようやく仕舞って、代わりに扇風機を出す。まだ4月もようやく半ばでしかないのに…。昨年10月末に和服を着てちょうどよい気温にやっとなり、1月~3月の行事には重宝していたが、雨がよく降るし風も強い日が多いし、しばらく着ないでいたら一気にこの暑さである。袷から単衣への衣替えは暦上は6月だが(7~8月は夏物)、前倒しで5月連休目処でよいとかねて言われるものの、この暑さでは、単衣でも汗だくになりそうだ。着物は冬は暖かくて重宝するが夏は大変である。下着、長襦袢、着物と3枚重ねるうえ帯でお腹を締める故である。絹の着物は自分では洗えないし、私はポリエステル製は持っていないし(ポリは洗えるが風通しが悪く、絹より暑い)、悪くするとこのまま秋まで着られないなんてことが、ある…?(ショック)

 大河ドラマ『光る君へ』は紫式部を主人公にした創作ドラマで、あまりに現代的な脚色が過ぎることもあり、ただピアノ協奏曲をメインにした音楽が出色で(脚本家・音楽家共に女性)見るというより聴いている。ベートーベンのピアノソナタ17番「テンペスト」3楽章のモチーフもゆっくりしたテンポで使われ、雅楽でなくても合うものだと感心したりする。しかし、いくら当時が今ほど暑くないとはいえ、十二単(実際はもっと枚数は少ないが)を着たら、どれほどか重いし(10キロ以上あったという)、また暑かったことだろう。素材はやはり絹ではあったらしいので、洗濯はどうしたのだろう。水でじゃぶじゃぶ洗うわけにはいかないからきっと洗わないままだったのだろうと思うのだが(現代でも洗いに出すと大変な作業となる)、汗まみれになれば匂うし、傷むし、どうしていたのだろうと関心がある。おまけにあの長い髪! くくって上げることもできないのでは、どんなにか暑かろう。

 ところで、大谷事件。私の推理は完全に外れ、大谷は全く関与せず(本人の声明通りである)、水原ひとりが勝手に送金をしていたということで、連邦裁判所に銀行詐欺容疑で起訴されたとのことである。金額は7億円どころか、24億円! なぜ大谷に知られることなくそんな勝手なことが出来たかといえば、当初の口座設定に水原が関わり、途中から勝手にパスワードなどを変更して、送金通知が大谷には行かないようにしていたとのことである。根っからの悪だなあとつくづく思わされる。報道によれば、大谷に成り代わって銀行に電話をしたともいうが、そんなことで銀行を信用させることなど、少なくとも日本では考えられない。日本の銀行の本人確認は大変ハードルが高く、老齢の親のために子供が金を引き出すことさえ委任状を出させたりその他大変な手続きが必要でる(もちろんキャッシュカードを使えば日に50万円限度で引き出すことは出来る)。大学の先輩が長年取引のある銀行で皆自分を知っているのに(彼はその銀行の役員で退職した)、電話で依頼をしても断られたと、嘆いておられたくらいである。

 なぜそんなにハードルが高いかといえば、損害賠償請求を恐れているからである。アメリカではその恐れがないのだろうか。24億円の被害は、水原本人からは取り返せない。本人に支払い能力がないからである。あとは違法な胴元(送金先)か銀行相手か。胴元は水原が違法賭博の主体でそれを大谷の口座から送金していることは分かっていたので、取り戻せるはずだが、実際にお金があるのかどうか(どこかに隠していると思われるが、その追及は捜査機関のやることである)。また、銀行は送金先が違法賭博胴元であることが分かっていたというから、そこに大谷口座から1万回以上とも言われる回数送金があるのに、怪しいと思ってストップをかけなかったのでは、請求されても仕方がないように思われる。銀行は保険に入っているので、賠償するとしても実害はないはずだ。銀行詐欺罪の構成において被害者である銀行が、過失がある以上民事としては損害賠償の責めを負うというのもありえる話と思われる。

 決着が早かったのは、いわゆる司法取引のせいである。アメリカでは9割の刑事事件が司法取引で決着する。アメリカの司法取引のほとんどは、被告人が罪を認めたり捜査当局に強力したりする見返りに検察官が求刑を軽くするなどの減軽措置をとる「自己負罪型」司法取引であり、これが成立すれば公判審理は行われず速やかに量刑の検討に入る。本来の刑罰よりも30~40%減軽されることが多いと言われる。銀行詐欺罪の罰則は「100万ドル以下の罰金もしくは30年以下の禁錮、またはその併科」とのこと。水原にお金はないので(保釈金400万円弱及び弁護士費用はどうやって払っているのだろう)、罰金の求刑はしないと思われるから、禁錮刑になるのではないか。金額は多額に上るし、犯行態様は悪質だし、いくらなんでも禁錮10年位はいくのではないか。

 ちなみに日本でも数年前司法取引を導入したが、アメリカで多用されている「自己負罪型」ではなく、非常に少ない「捜査公判協力型」のみである。法廷を開かず、当事者の取引で減軽するというのは日本人の正義感(メンタリティ)に合わないというのが理由である。捜査公判協力型というのは、基本的に組織犯罪において雑魚の協力を得て供述を引き出すために不起訴にするなどの特典を与えるというものだが、それでさえ、まだようやく4件の実施例のみである。どうやら、自分が助かりたいために捜査に協力する者(の供述)を信用できるか?という思いがあるようである。

 日本では不起訴は検察の裁量権として広範に認められ、刑事事件の約3分の2が不起訴となる(その以前に1万円以下の自転車盗など微罪処分も多い)。起訴のうち7割は略式請求(100万円以下の罰金)で公判を開くこともなく、その残りのみが正式な公判請求事案である。公判では被告人が有罪を認めても証拠調べは省けない。その理由だが、日本の法定刑は幅が広いので、起訴状記載の公訴事実だけでは適正な量刑が決められないということが大きいと思われる。犯罪なり犯罪者なり、あるいはその周りの環境なり、いろいろなことを知ってからでないと決められないのである。もちろん日本は幸いアメリカのように刑事事件が多くはなく、ベルトコンベヤーに乗ったような処理をしなくても済むということも大きいだろうと思われる。

 

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