『中世ヨーロッパ全史 上』(ダン・ジョーンズ著)を読んで

読書家の知人から勧められていた本に、この連休ざっと目を通した。ヨーロッパの中世とは一般に西ローマ帝国滅亡(476年)から東ローマ帝国滅亡(1453年)までの間の1000年程度とされている(ルネサンスで近世が始まる)。ちなみに上巻の副題は「王と権力」で、今予約中の下巻は「創造と革命」である。ベストセラーであるらしいが、結論から言うと、通り一遍の話が綴られていて、あまり面白いものではなかった。
ただ、あっと思うことが最後の頁にあった。「十字軍は続行し、中世を超え、現代ではオルタナ右翼、ネオナチ、イスラムテロリストが好んで比喩として使っている。こうした人々が一様に固執する貧弱な概念は、1000年にわたってキリスト教徒とイスラム教徒の関係を定義してきた。彼らが正しいわけではないが、こうした誤りを犯すのは彼らに限らない。十字軍は宗教と暴力が混じり合った異形であり、教皇の野心を実現する道具として歪められ、最終的にはあらゆる場所であらゆる相手を標的に暴走した。十字軍は中世が生み出した毒を含む概念のうち、もっとも大きな成功を収め、長く続いたものの一つである……」。

そうなのだ、十字軍は綿々と今に至るも続いているのである。『異教徒は間違っており、キリスト教徒は正しい』(ローランの歌)故に、イスラム教徒が信仰を曲げない限り虐殺するのは全くの善だし、同じように、イスラム原理主義者から見れば、イスラムの自分たちの信仰こそが正しいのだから、その考えを実現するために暴力が必然となり、どこまでも暴走し、とめどなく広がっていく。絶対に自分たちが正しいと微動だにせず、相手も同じ論理に立つ以上、和解や譲歩などありえず、憎悪と虐殺、破壊のみが延々と続いていく。

作者も指摘するが、中世の傑物と言われた神聖ローマ皇帝フリードリッヒ(イタリア名フェデリコ)2世は、3歳でシチリア王に就き(母がシチリア女王だった)敬虔なキリスト教徒ながらアラビア語やイスラム文化に深く傾倒した。教皇の命令を拒みきれずに十字軍遠征に携わり、指揮官としてイエルサレム王国を訪れてスルタン、アル=カミールと友好関係を築いたうえ、聖都へのキリスト教徒帰還という、これまで誰も達成し得なかった偉業を成し遂げたのである。2人は個人的に外交関係を結び、互いに平和裏に交流できることになったのだが(現代であればノーベル平和賞ものであろう)、教皇はじめ多くは平和的解決法を尊ぶことなく、以後何度も彼は教皇に破門され、諸侯から目の敵にされて辛酸を舐めることになる。その数奇な人生は『皇帝フリードリッヒ2世の生涯』(塩野七生著)に詳しい。

あの時代、宗教にも人種にも文化にも偏見のない見方が出来るようになったのはとても不思議なことのように思う。両親は彼が生まれてすぐに亡くなったし、きょうだいもおらず、ある意味天涯孤独な境遇にあり、ただシチリアという開放的な風土の下、優秀な家庭教師らをつけてもらえて、その教えることをぐんぐん吸収していくだけの驚異的な頭脳が備わっていたのは事実であるが、それだけでその柔軟性が育つとも思えない。生まれてくる時代が早すぎたのは確かだが、しかし、以後800年を経た現代でも彼のような柔軟な考え方の出来る人はそれほどはいないのではないだろうか。

それどころか、十字軍さながら硬直した考えを持っている人が多いと思っている。民主主義こそが絶対善というのもそうである。そこに到達する前に封建主義や独裁制やその他、通過してきた過去がどこの国にも社会にも存在している。例えば、児童労働が許されない、というのは理念としては正しくても、先進国も以前はどこも児童を働かせてきたのだし、それどころか同じ人間であるのに、奴隷として売り買いし、平然と酷使してきたのである。しかもそれはわずか150~200年ほど前の話に過ぎない。それを忘れたように、今まだ貧しい国を間違っていると非難するのは違うのではないかとずっと思っている。そこに欠けているのは謙虚さであり、想像力であり、相手の立場への配慮であろう。

ウクライナ問題しかりだが、中東の根深い対立の背景にアメリカがある。バイデンはウクライナ支援を続けたいが、共和党は反対している。民主党の中にもそれに同調している人がちがいて、トランプがもし大統領に返り咲くことがあれば、早速にウクライナ支援を打ち切るだろう。そもそも彼はプーチンの強烈な支持者である。日本は悲しいかな、アメリカの言う通りに動くようだが、大統領選次第でアメリカは大きく変わる。トランプは起訴されていて、バイデンの息子も起訴されている。それでいて互いに高齢者同士が次もまた大統領候補だなんて、一体どういう国だろうと思ってしまう。

少なくとも本当の意味での先進国ではないと思うが、それでもただ追随するのだろうか。元外交官の国会議員が「外交とは要するに勝ち組になることですよ」と簡単に言っていたが、それはアメリカなりいわゆる先進国に歩調を合わせるということなのだろうか。であれば、完全に思考停止ではないだろうか。外交とは真の国益を全うすることであり、国際協調も必要であり、多角的な思考の賜であって、それがただ他の先進国?に委ねられているというのは独立国ですらありえないと思うのだ。

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