安倍元首相襲撃事件及び認知症について考えること

7月終わり、と書いた前回から1ヶ月近くが経っている。例年の盆休みと同じく、尾道の実家に帰省していた。その前日には本社が広島にある顧問先の計らいで、マツダスタジアムで初めて観戦した。カープ(九里投手)対ヤクルトは、4対1の完勝。クローザー栗林投手の完璧なピッチングも間近に見ることができ、大満足だった。ちなみに先月のマリーンズ観戦も対西武8対4の良い試合であった。

安倍元首相襲撃事件について、彼の統一教会との関わり自体は犯人の動機と大きな関係はないのだろうと書いたが、どうやらそれは誤りで、安倍さんの祖父との深い関係に始まり、ことに安倍派議員は深い関係であったことが日々明らかになっている。そもそも私自身の理解としては統一教会=合同結婚式どまりで、霊感商法やら壺を高く売りつけるという悪徳商法はもちろん一般論として知っていたが、それがすなわち統一教会とも思っていなかったし、少なくともそれら商法自体は犯罪ではないとの認識であった。その点オウム真理教とはまるで違うのだが、今回、分不相応の多額の寄付やら家庭崩壊やら破産やら自殺やらの問題が出てきて、それが犯人の強固な殺意・殺害行為に至ったことが明らかになってしまえば、もはや国民の代表たる国会議員が関わることが許されないのは間違いがないことと思える。警察庁長官の引責辞任はさることながら、奈良県警本部長まで引責辞任となり(キャリアだからまだ50歳と若い)、今後の警備体制を抜本的に見直すといったとんでもなく大きな社会的影響をもたらしたことについて、犯人は自分の復讐は報われたと思うだろうか。

さて私の母は91歳(昭和6年生)。最近白内障の手術を受けて成功、緑内障の心配はないと言われ、新聞を眼鏡なしで読めるようになったと喜んでいる。私がいたときも午前5時には起きて畑仕事、8時に家に戻って以後、洗濯・料理その他、常に動いている。最後2日は、穴子と海老粉で、尾道名物巻き寿司を作ってもくれた。パソコンを開いて検索しゲームをし、テレビも見るけれど、読書にも勤しむ。とにかく「勤勉」である。私もこの資質を受け継いだと思うし、食べても太らない体質(=基礎代謝率が高い)も有り難いことに遺伝しているようである。私はこれまで手術をしたことはないし、願わくばうんと年を取って白内障の手術くらいで済めばと思っている。

母に要支援1でも取ればヘルパーさんに来てもらえるのでは?と投げたところ、「要らない」の一言。他人が来ると気を遣うからとのこと。たしかに。母のように元気で自立した老人ばかりであれば医療費も介護費も要らないのだから、健康で長生きをしてもらうことが国がいちばん目指すべきことだと思われる。ところが、びっくり。日本女性の健康年齢(平均)は75歳なのだとか。とすると、平均寿命が88歳なので13年間は何らかの介助が要ることになる。認知症なり体が不自由にならないよう、できるだけ気をつけたいものである。

読書癖はずっと続いていて、主に図書館で借りて、いろいろな本を読んでいる。「母さん、ごめん」という介護本が良かった。著者の松浦晋也さんという人は科学系のノンフィクションライターで50代独身。80歳の母親の「預金通帳がない」に始まる認知症の発覚からの奮闘記を、読みやすい筆致で生き生きと描いている。法律などもよく調べている。この母親は昭和9年生まれ。日本女子大学英文科を卒業後三菱電機でOLをしていたという、当時珍しいエリート女性である。それが認知症になり、どんどんと症状が進む。体も弱っていく。筆者も追い詰められ、結局2年半後にはグループホームに入所させる。こちらはパート2で、ここでは、後で入所してきたダンディな男性と恋に落ち、結婚すると言い出すなど、まるで小説のような展開だ。何度か病気になり骨折もして手術もし、要介護5になり、施設長から「みとりに入ります」と言われても、しぶとく生きて、今月88歳の誕生日を迎えたらしい(平均寿命)。胃腸が強く体が強いと、どれだけ頭がぼけようが歩けなかろうが、生命は続くのである。

インテリ女性だったのに、コロナで窓越しに面会すると「あんた、誰?」「息子だよ」「子供産んだことない」と否定される。亡くなった父親の写真を見せても「知らない」と言うばかり。それを施設の職員に言うと、「最近よく、「妹が待っているから帰らないと」と言っていて、子供時代に戻っている」と(妹は実際にいる)。それでも母親が生きていることは素晴らしいことだと著者は言う。「今は母親が死と自分の間に立ってくれているが、母親が死ねば自分自身で死に向かわねばならない」と。よく分かる。「認知症の者を生きさせておく必要はないという意見には大反対」というのも当然である。役に立つかどうかで生きている意味を問うならば、もともと重大な障害を持って生まれた者は最初から生きている意味はないということになる。家族にとっては、同じ記憶を持った者は(それを忘れてしまったとしても)存在しているだけで意義があるのである。

「母さん、ごめん」と謝罪になっているのは、母親は自分の実態をばらされることを、認知症になっていなければ反対したことは間違いがないからだろう。誇りを持って生きてきた人だから、下の処理の失敗その他、ばらされたくないことばかりのはずだからだ。著者もきっと躊躇したのではないか。だが、同じく介護に困っている人、これから困るかもしれない人のために、著作をものにしたのは大きな意義があることだと思える。

「東大教授、若年性アルツハイマーになる」(若井克子)も一気に読んだ。認知症の内訳の半分はアルツハイマー。65歳未満で発病したのを若年性という。定年前に辞職し、結局75歳で亡くなった。もともと自分が若年性アルツハイマーになったことを明らかにしていたので、これを出すこともご本人が承知のうえということで奥様名で出されたのであろう(ご夫妻は共にクリスチャンである)。老人の認知症は普通にいるが、若年性の人はいないよねえと考えていて、ひとり思い当たった。弁護士の方である。自分がどこにいるか分からなくなり、奥さんの付き添いが要るようになったと同じ事務所の方が言っていたが、その後どうされたのだろう。

認知症を治すことはできないが、進行を遅らせる薬はかなり開発されていると思う。原因が分からないと根治薬は出来ないはずだが、今後この分野の医学も進んでいくことと思われる。長生きについて回る症状でもあるので、生活の質を減殺させないためにも、そうなるよう心より願う。

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