やり切れない訪問診療医殺害事件について思うこと

小堀鴎一郎(森鴎外の孫)という医師の、NHKドキュメンタリー番組を見たことがある。東大卒後、東大などで食道癌の専門外科医として40年間、医療に携わっていたが、65歳で定年退官し、知人病院方で訪問診療に携わるようになった。そして13年…そのとき80歳。自ら車を運転し、あちこちに気軽に出かけていく。いたく感動したので、その著書『死を生きた人びと──訪問診療医と355人の患者』も読んだ。

高齢者の訪問診療・在宅医療というのは、普通の医療と違い、治せない医療である。死なせる医療。いずれは避けられない死に対して、本人及びその家族にいかに同伴してやれるか。そこに最も求められるのは、共感できる人間性であろう。優しさだけではとうてい務まらない、果てしない責任感とエネルギー、強靱な精神力が必要とされるはずである。その意味で、理想というべき44歳の優秀な医師が、理不尽に命を落とされた。昨年12月に亡くなられた大阪の医師といい、やり切れない事件が続く。

もともとトラブルメーカーであった犯人66歳は、92歳母親をひとりで介護していた。母親はずっと寝たきりで意思の疎通もままならなかったという。実際よくある話だが、親の年金が生活の糧では、とにかく生きさせることが死活問題となる。もちろん92歳はいずれは終焉を迎えるが、怒りの矛先を病院関係者に向け、線香を上げに来いと呼び出し、最初から医師らを殺害予定で、猟銃を準備し、催涙スプレーも用意したうえで、心臓蘇生をして生き返らせろと無理難題を吹っかけた。医師はほぼ即死で、他1名は重態。

場所は密室であり、対象にしているのはまっとうな人ばかりではないから、暴力沙汰は数多く起こっていると思われる。病院も従来の経緯からして、暴力くらいは承知の上で出向いたのであろうが(だからこそ7人で大挙したのではないか?)、猟銃を持っていたのは想定外であった。しかも2つ。狩猟免許をいずれかの時点で手に入れたはずだが(私の祖父も猟をしていたので、猟銃を許可されていた)、許可は更新されるので、いずれかの時点で取り消されて然るべきであったと思われる。今後にも繋がることなので、この点の捜査が待たれる。

この事件の背景にあるのは、いわゆる8050問題。この男が引きこもりであったのかどうかは分からないが、50歳代の子供と80歳代の親。それが10年経つと6090問題となる。自らの家族も仕事もなく、親の介護しかすることのない子供。その親が死んでこの先いいことがない、自殺しようと考え、医師らを道連れにしようと思ったと供述しているらしいが、言っているだけで、自殺するつもりなどなかったと思う。きちんと捜査を尽くして起訴してもらい、裁判員裁判が開かれるのは2年後位になるだろう。犯人はできるだけ厳しく処罰されるべきだが、背景にあるこの重大な社会問題はそれとは別に考えなければいけない。

あまり注目されなかったが、池袋のホテルで、82歳男性が24歳女性に刺殺された事件も闇が深い。そんな形で殺されたのでは、被害者家族は恥ずかしくて…と思っていたが、現役の土木作業員で身寄りはないという。女性のほうは知的障害があり(障害者手帳もある)、知り合いの20代兄弟にうまく操られ、売春をさせられ、その金をほぼ貢いでいたという。女性には盗癖があり、男性がシャワーを浴びていたときに財布から金を盗もうとしてトラブルになり、持っていたカッターナイフで切りつけてそのまま逃走したようだ。兄弟に連絡して一緒に逃げようとして捕まった。兄弟の家は生活保護を受けているとのこと。いわば社会の低層にいる人たちが何かのきっかけで一緒になり、ある時間場所を共有し、それがこんな形で先鋭的な事件となった。実は事件にならないだけで、そうしたことはたくさんあるのではないか。社会・家庭から孤立し、それぞれ誰からも本当には必要とされていない。誰にも救いがなさそうだが、手を差し伸べることは出来ないだろうか。是枝監督あたり、映画の脚本でも書いてくれないだろうか。

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