喫緊の大問題──東京高検検事長の違法な定年延長について

この件では今発売中のサンデー毎日(3月1日号)に、写真実名を出して取材に応じている。4頁にわたる紙面には、検察担当が長く貴重な著書のある渡邊文幸氏(古くからの知り合い)の精緻なコメントも載っているので、是非お読み戴きたいと思う。私自身、元検察官として、また法治国家の法律家として、この件は「桜を見る会」問題などを遥かに超えて、大変に憂うべき事態と捉えている。

今年に入ってのこと、某元国会議員から「黒川さん、検事総長になるの?」と何気に聞かれたとき、言下に否定した。「それは無理ですよ。黒川さんは2月8日に63歳の定年になるので辞めなくちゃいけない。稲田検事総長はまだ辞めないし、4月の京都コングレスで挨拶をすると張り切っておられる。総長が自分で辞めないのを無理に辞めさせることはできませんよ」と。検察官の定年は63歳だが、総長の定年だけはひとり長くて、65歳。司法試験に現役合格した稲田氏が65歳になるのは来年8月のこと。もちろん歴代の検事総長は大体2年を目途に勇退し後進に道を譲ってきたが、それにしたって今夏の話である。私としてはしごく当たり前のことを言っただけだが、相手は何だか微妙な顔をした。今となっては、その意味が分かる。稲田氏が官邸から要請された早期辞任に応じないので、黒川氏の定年延長という、まさに禁じ手(脱法行為)に踏み切ることを、彼は裏情報で知っていたのだろうと。その案が練られ始めたのは昨年11月頃からであるらしい。

検察庁法は国家公務員法の特別法である。その22条に「検事総長は、年齢が65年に達した時に、その他の検察官は年齢が63歳に達した時に退官する。」とある。至ってシンプルな規定である。もちろん定年延長の規定などないし、延長された例は皆無である。そもそも官僚組織で、この人がこの地位にいないと組織が回らないというようなことはありえない。誰がそのポストについても組織はつつがなく回る…そういう形が出来ていることが官僚組織の組織たるゆえんである。

ところが1月31日、東京高検検事長黒川氏の定年延長が閣議決定されたのである! 2月7日の定年を半年延ばして今年8月7日までにすると。親しい記者から速報が入ったとき(彼は噂では聞いていたが、まさかと思っていたという。)軽い眩暈を覚えた。その理屈は…検察官も国家公務員であるから、定年規定がないところは一般法である国家公務員法を適用することができる…もうむちゃくちゃだ。法治国家とはとうていいえない。

国家公務員法を見てみよう。定年についてはその81条の2?6に規定がある(枝番なのは、成立後の改正で加わったということだ)。81条の2の1・2項は一般の国家公務員を対象とし、定年を60歳とする(例外として、医師・歯科医師65歳、庁舎の監視職63歳などが挙げられるが、検察官は続く3項で「その他の法律により任期を定めて任用される職員」に当たり、そもそも除外される)。続く81条の3は前条81条の2の「退職の特例」であり、「その職員の職務の特殊性又はその職員の職務の遂行上の特別の事情からみてその退職により公務の運営に著しい支障が生ずると認められる十分な理由があるときは、…一年を超えない範囲内で期限を定め、その職員を当該職務に従事させるため引き続いて勤務させることができる」となっている。もちろん81条の2の特例なのであり、もともと除外済みの検察官が例外規定に登場するというのは、論理の破たんである。反対の理由はそれだけで十分だが、当該東京高検検事長にそのような個別事情がないこともまた明らかである。高検は捜査をしないし、公判は控訴審だけである。要するに、「官邸の代理人」として長きにわたって活躍した彼の功績に報いるためにか、いえ、おそらくは検事総長になってもらって議員捜査に圧力をかけてもらうためであろう、就任させたいのは見え見えであり、明らかに脱法行為(違法行為)と言わねばならない。

加えて、上記の国家公務員法を改正する際、国会審議において「検察官に定年延長の適用はあるのか」の質問に対して「適用されない」との政府側答弁がなされているのである(こんな答弁がなかったとしても駄目なのは明らかだから、だめ押しである)。どうやら官邸はもちろん、当の法務省も(まさか!)この事実を知らず、内閣法制局に諮ることもなかったようである。この度野党から指摘されて、1月に解釈を変更したと苦し紛れの答弁をするに至ったが、では、解釈変更をした理由は何なのか? 時の官邸が「そうしたいから」解釈を勝手に変更するようでは、法的安定性は保てない。法治国家ではありえないことである。

官邸の無理筋要望に応えて、法務省も表立っては全面的に(?)協力態勢を取っているのもまた情けないことである。法務大臣の答弁など、恥ずかしくて聞いてはおれない。検察は準司法機関であり、政治から独立しているとの矜持がなければ、検察官としてやっていく意味はない。官邸としては6年前、第2次安倍政権で発足させた内閣人事局で官僚の幹部人事を掌握し、忖度政治にさせたことの延長として、同じく国家公務員に過ぎない(!)検察もまた同じようにしよう、できると考えているのではないか。それを、法に従って毅然と拒否できない法務検察とはいったい何なのだろうか。法務大臣は(自身法律家でもあるのだし)毅然と拒否し、辞めればいいのである。

長く官邸の代理人と称され、挙げ句は違法な手段で成り上がった検事総長の下、果たして検察は、正々堂々と、国民から負託された仕事が出来るだろうか。検察官として何より大切なのは正義感である。そうでなくても司法試験の人気が落ちる一方の中、まともな優秀な人間は検察には入らなくなるだろう。この暴挙だけは絶対に阻止しなければならないと強く思っている。

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