ポスト小泉・教育基本法改正

 国会の会期延長なし,と首相が明言――。
 三権分立違反のはずだが,マスコミは批判していない。その言葉通り,多くの法案を積み残した形で国会はまもなく閉会となり,あとは9月の総裁選である。
 おそらくは安倍総裁・首相が誕生するであろう。首相が彼を,自身の改革路線の継承者と見ているし,実際,永田町のムードもすでにそうなっているように感じられる。
 新首相には,冷静に,広い目をもって,国の舵取りをしてくれることを望む。以前にも書いたが,国会を離れて後の私は,首相の靖国神社参拝に懐疑的だ。国際法違反の裁判といくら言ってはみても,負け犬の遠吠え,国際的には日本はそれを主張できていないままである。靖国神社は私的な組織であり,A級戦犯合祀は不明瞭な手続きでなされた。中国韓国の反対が内政向けの方便であったとしても,行きたいから行く,ではなく,相応の説明責任を尽くし,現に起きている経済などへの効果を最小限にすべきだと思うのである。

 教育基本法改正についても,国会議員時代の私は大賛成だった。愛国心,当然。国のために戦う,当然。そう信じたのは,それまで多分に国家というものに無関心で生きてきたことへの反省ないし反動であったと思う。
 教育の問題は,基本法の文言・規定云々のレベルの問題ではない。
 家庭教育で,挨拶や規則正しい生活を教えられているか。あるいは学校教育で,国語と算数がどれだけ身についているのか。そうした基本レベルの問題なのである。
 一昨日,大学からの帰り,バスに乗ったら,2人の女子学生の会話が聞こえてきた。
「日本人だったら,ナンパされたらシカトするじゃん。でも外人だったら,つい」
「だよね。英話できるもんね」
「うまくなりたいね」
「外人,ナンパしたら」
「どう言ってナンパするの!? 言葉出てこないじゃん」ハハ。
「ね,韓国語の講座,出てる?」
「ううん。まずは英語したいじゃん」
「ホント。日本語もロクにできないんだから」
 その通りだ。
 英語は道具にすぎない。まず日本語で何を言うのか,その中身がなくて,何を喋るのだ。バスの終点で,会話の主のひとりは,お腹を出して素足に10センチのサンダル,ホットパンツスタイルで,お尻を振りながら,私の前を歩いて行った。
 まことに,教育がなってないのだ。教育基本法を変えれば,教育レベルが上がるのであれば変えたらいいと思うが,残念ながらそんなことはないはずである。

 見送りになった共謀罪も国際法・英米法概念との絡みで難しいが,村上世彰氏のインサイダー取引疑惑も,いわゆる通常のインサイダー取引とは趣を異にし,証券取引法を見たらすぐに分かるという代物ではない。勉強することが,実に多い。講義の生きた教材に事欠かないという意味では嬉しいはずなのだが。

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