新潟女児遺棄殺害犯人検挙に思うこと

連休明けの7日(月)、新潟で小学2年女児が猥褻目的で誘拐・殺害され、線路上に置かれて轢断されるという痛ましい事件が起きた。単線の電車通過わずか10分の間を縫って死体を置くのは土地鑑がなくては出来ず、目撃情報も様々寄せられていたので、早晩逮捕に至るとは思っていた。果たして、1週間後の昨日(14日)逮捕された23歳は、近所に住む男だった。少女に対する条例違反で書類送検された前科があるという。

この種犯人はほぼ例外なく、小児性愛者(ペドフェリア)である。新潟と言えば、去る28年前、9歳少女が誘拐された後、犯人の家の2階に監禁されたまま、9年余の後に発見された。犯行時28歳の犯人は、親に溺愛されて育った引きこもりで、事件当時は別の少女への強制猥褻未遂で執行猶予中の身だった。同種前科前歴者を洗うのがこの種捜査の常道なのに、全くの捜査対象外だったのは信じられないミスである。最高裁で懲役14年の刑が確定して、刑に服した彼は、すでに釈放済みのはずである。

奈良の、毎日新聞販売店員による小学1年女児誘拐殺害事件も記憶に残る。14年前、当時36歳だった男には強制猥褻の前科があった。死刑判決を受けた後控訴権を放棄し、死刑は執行された。昨年には千葉で、よりにもよってPTA会長がベトナム女児(小学3年)を殺害し、死体を遺棄した。逮捕後完全黙秘のまま、来月からようやく裁判員裁判が始まる。争点はただ一つ、犯人性だそうである。だが、真犯人を示す証拠はいくつもあり、犯人性が揺らぐことはない(彼でないのならば、他の一体誰が、女児を殺して死体を捨てたというのだ!?)。

やっていないのであれば、アリバイを上げるなりなんなり、その旨きちんと弁明すべきである。弁明することがない故の黙秘だとしか思えない。公判廷でも依然黙秘は続くはずで反省などまるでなく、裁判員の心証もさぞや悪かろう。真犯人たるもの、自分が犯した罪を心より反省して洗いざらい真実をしゃべり、遺族に対して心からの謝罪をすべきなのである。被害者が1人だとかにこだわらず、この種事犯にはどうか死刑判決をと心より願うものである。

こういった性癖は──誤解を恐れずに言えば──およそ治らないだろうと思っている。大体において、原因の分からない「病気」に治療法はないだろう。「病気」は自ら好んでなった訳ではなかろうし、遺伝その他未だに解明されていない原因があるのだろうとは思うが、無期懲役には仮釈放がつきまとう。小児性愛者については再犯のおそれが消えないとしてなかなか仮釈放が認められないと言われるが、いつまでも釈放しないわけにもいかない。性癖が治らない以上、釈放されればまた被害者を生むおそれがあるということだ。

被害者をいかにして作らないようにするか、アメリカでは小児性愛殺人者である隣人に娘を殺されたミーガン夫妻の運動により、性犯罪者の居場所を公開する法律が出来ている。犯人の人権というが、それをはるかに超えて、被害者の人権こそ尊いものである。自らを自力で守れない児童の場合はなおさらだ。電子監視装置をつけるなど、なんらかの方策を考えてもよいのではないだろうか。

今回の犯人は、近所に住む被害女児を物色済みだったと思われる。その日の決行を決めこみ、会社を休み、車で出かけた。女児が友達と別れて一人になった時に無理矢理車に乗せる。その後の行動は分からないが、女児を黙らせるなどの用意はしてあったと思われる。車内でわいせつ行為をし、殺害した。よくある弁解として、殺す気はなかったが抵抗されたので咄嗟に殺したというのがあるが、知らない場所であればともかく、近所なので、顔を見られたが最後発覚は必至であり、最初から殺す気だったと思われる。自分の欲望のためには人の命など歯牙にもかけない、人間の顔をした野獣が近所にいたのである。女児のご家族はもちろん、近所の方々の衝撃も計り知れず、慰めの言葉もない。

この後の死体遺棄行動はよく分からない。遺棄するのであれば、普通はすぐには見つからない所にするだろう。山に埋めるか海に捨てるか。死体がなければ、行方不明にしかならない。それをなぜ、すぐに見つかる場所に遺棄したのか。電車による轢断が死因だとごまかしたかったのか? であればあまりに稚拙である。酔っ払いでなし、自殺祈念もなし、線路に寝そべっているはずもない。当然ながら、死体解剖によって絞殺が死因だとばれてしまった。事件後、彼は会社に行かず自宅にも帰らず、車内で寝泊まりしていたようである。いつまでもそんな生活が出来ようはずもなく、逮捕された時にはおそらくほっとしたのではないか。素直に供述しているという。願わくば、本当のことを供述してほしい。それがせめてもの仏様への供養である。

最愛の奥様を、逆恨みした顧客によって理不尽にも殺害された岡村勲弁護士は、この20年来、全国犯罪被害者の会(あすの会)を作り、被害者の地位向上のために様々に尽力をされた。その結果、蚊帳の外だった被害者に法廷参加が認められ、質問及び独自の論告求刑ができるようになった。損害賠償請求も同じ手続きの中ですることができる。殺人などの時効も撤廃された。およそ隔世の感のある改革を果たした岡村先生も90歳になり、会も解散の運びになった。来月3日(日)午後1時、アルカディア市ヶ谷にて最終大会が開催される。一般人の参加も歓迎だそうである。

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