新年にあたって

 とはいえ、あっという間に10日。こんなときかつては、まだお屠蘇気分が消えないなどと言っていたが、昨今は新年を迎える凛とした佇まいそのものを感じなくなっている。
  食糧を買いこむ必要はまるでないし、デパートは2日に開く(もっとも昨今すっかり服装への関心をなくした私は、セールにもまだ足を運んでいない)。
  家ではテレビを見ない私だが、実家に帰省した折り、かかっているのをなにげなく見たら、あまりに低俗なので、「NHKにしてよ」と文句を言ったら、「これがNHKよ」ときた! まさか、前はもっと良心的なドキュメントなんかやってたんじゃないの? それに今は正月よ、特別番組とかやってないの? 民放で出がらしの感あるタレントを総動員しての芸能番組や、大河ドラマの宣伝なんかやっている……なるほどね、これじゃダメなはずだ、受信料を不払いにするかな。
  放送局は公共の電波を使っているのだ。それでもって低俗な番組を流していいのか。これじゃ、国民が馬鹿になるはずだ。そして、国民が馬鹿であるほうが、為政者に都合がいいのはもっともな話である。

  国会議員の時、生まれて初めて真剣に歴史を勉強した反動だろうが、当時の私はかなり右翼ぽかったと、今は思う。
  1つは、靖国参拝。
  当時の私は、当然参るべきであると考えていた。理由は、東京裁判(A級戦犯を裁いた)は事後法(平和に対する罪)を設けてまで戦勝国が敗戦国を一方的に裁いた国際法違反の裁判であり、また戦犯といえど日本にとっては愛国者にすぎないこと、中国・韓国がこれにクレームをつけるのは彼ら自身の政治的都合故であり、内政干渉にあたる、等々。
  だが、日本は裁判結果をサンフランシスコ講和条約において受諾した。国際法違反云々といくら国内で言っても始まらず、主張するのであれば正々堂々と国際的な場においてすべきである。その上で正々堂々と参拝するのは格別、いやしくも国家の指導者がただ「心の問題」と言うばかりでは情けなさすぎる。

  ・・もう1つは、戦争に対する考え方だ。
  国民には国防の義務がある。防衛のためには戦争も辞さずの心構えが必要なのに、日本は戦争を放棄し、以来平和ボケして、これほどにも軟弱な国家・国民になってしまったと考えていた。
  だが、平和ほど素晴らしいことはないのだ。戦争で死ぬのは、決断した為政者ではなく、名もなき国民だ。第二次大戦時、赤紙一枚で計画性もなく世界各地に送りこまれ、結局は飢えと寒さで「玉砕」した兵士たち。それぞれに愛し愛された家族がいて、その誰もが掛け替えのない存在であった。決して、兵力という数や量で捉えられるべきではない存在。戦争を起こさないこと。それが為政者のなすべきことである。

  『国家の品格』(藤原正彦著)を読んだ。内容はどれもが当たり前のことだったが、それが妙に新鮮に思えることが、この国の病理ではないのだろうか。

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