テレーザ・メイ首相誕生に思うこと

結局あの後、失言のレッドサム氏が撤退し、保守党党員の選挙を行うことなく、メイ首相が誕生した。四半世紀前のサッチャー首相誕生に続いて2人目の女性である。イギリスのEU離脱を進めるメイ首相は直ちにドイツに飛び、EUの中心人物であるメルケル首相と会談、共同記者会見に臨んだ。英独、あれまあ、こんな大国のトップがどちらも女性なのだ…。

共にとても感じの良い人である。しゃべり方も落ち着いている。熟考したうえでの発言、冷静で無駄口を叩かず、使命感に溢れた姿に好感が持てる。同年代の2人の共通点は、父親が聖職者であること。そして山歩きが趣味であること(夫はいるが子供はいないことも共通だ)。

どちらも極めて頭脳優秀である。メルケル氏は物理学でメイ氏は地理学、で思いついた。サッチャー氏は化学であった。理系(地理学は理系と文系両方に跨がるかもしれない)は基本的に頭が良いと、完全に文系の私はかねて思っている。専門分野をとことん極め、論理的な思考で、冷静に客観的に物事を対処できる特殊な頭脳。惜しむらくはその関心と関わる世界が狭きに止まることが多いが、もしその人が文系的センスも合わせ持ち、その関心を大きく社会や世界に向けることができれば、鬼に金棒であろうと思う。

加えて、気がついたことがある。父親が聖職者であることの意味である。父親の滅私奉公の精神を、遺伝と環境両方で受けついでいるのだ。サッチャー氏の父親は聖職者ではないが地元の名士であり、氏は父親を大変尊敬し、大事なことはすべて父親から学んだと言っていたそうである。誰からも尊敬される立派な父親の娘であることは、強烈なアイデンティティーとなり、不屈の精神力の源となるであろうと思える。男性的職業の最たるものである政治において、理想とする男性モデルを身近に見て育ったことは大きな背骨になると思うのだ。

メイ氏がおしゃれで有名であることも、おしゃれ大好き人間の私としてはとても嬉しいことである。ヒョウ柄靴がトレードマークだとか、実にたくさんの派手目な靴を持っている(イメルダを思い出した(笑))。公の場にふさわしい靴ではないように思うし、胸の谷間を見せる服などもどうかと思うのだが、イギリスではそれはセクシーさであり、歓迎されるという(本当?)。ともあれ、メイ氏は大柄で(メルケル氏と並んで10センチは高く感じられた)、腰の位置が高く、脚がすらりと長いので、膝上丈のスカートも綺麗に着こなしている。サッチャー氏は非常な美人であり、とにかくエレガントだったので、着る物にいちいち関心を持ったことはないのだが、メイ氏はこれから楽しみである。

好感度抜群の両氏に対して、思い浮かんだのがヒラリーである。大統領夫人だった頃はなかなか魅力的だと思っていたが、今は残念ながらそうは感じない。年を取ったということもあるのだろうが、自己顕示欲とあくの強さが顔に滲み出ているようだし、しゃべり方もヒステリックのように感じる。全女性の代表として「ガラスの天井」を突き破るかのように言うが、本心では、自分が特別の存在だときっと思っているのだろう。「今テレビを見ている少女たち、次はあなたの番かもよ」って、次は実に50年後になるの? 今40代・50代の女性が続くようでないといけないのでは? 人前で泣いたこともあるし、英独の、自然体で冷静沈着な女性とは残念ながら器が違うと感じてしまう。ヒラリーは…弁護士でした。

能力と適性があれば今や女性でも国のトップになれる時代である。ヒラリーがもしトランプに負けるようなことがあれば、それは女性故に負けたのではなく、ヒラリーという個人が負けたのである。女性を国政に、様々な分野のトップにと、かけ声を出すのは簡単だが、だからといって女性であればいいはずはなく、私は女性だから票を入れてよ、というのは違うと思う。しかるべく地位には、男女に限らず、器の備わった人を充てなければ、本人はともかく周りが不幸である。

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