清原騒動に思うこと

昨日11日は家にいて、宮崎議員の去就目当てでテレビを見ていた。なんとまあ各局、朝も昼もワイドショー花盛り。よくまあ毎日、これだけやることがあるものだ。清原の例の事件も格好のネタになっている‥。

同僚だったという元投手によると、清原は現役時代最後オリックスの頃にはすでに覚せい剤をやっていたという。覚せい剤をやる動機はずばり、セックスの快感が極め付けによくなるからだと言われる。なので、一度やると、もうやめられない。覚せい剤はヘロインなどの麻薬とは違って身体的依存はなく、従って禁断症状もないのだが、しかし精神的依存が格段に強いという。みな捕まって裁判となり、最後被告人質問で弁護士に聞かれて「やめます」とは答えるが(「やめません」と答え、弁護士が大慌てしたことが一度だけある。)本当にやめた人はほとんど見ない。再犯率が極めて高いのが薬物犯罪の特徴でもあるのだ。

清原は有名人であり、何より甲子園の英雄で、プロでも非凡な成績を残した。それがこんな末路になって、家族や関係者はもちろん、一般国民まで残念である。「覚せい剤ってよく言うけど、そんなものどこで買えるの?」と聞いてきた人がいたが、銃器と同様禁制品なのでもちろんどこにも売ってはおらず、暴力団はじめそれ相応のルートがなければ手には入らない。いわゆる密売人はやむくもに勧めたら捕まってしまうので、欲しい人、買ってくれる人の当たりをつける(賄賂を提供する際、金に困っていて貰ってくれそうな公務員に当たりをつけるのと同じである)。一度手をつけたらあとはたいてい常習者になり、良いお客さんになる。どちらも罪になるのでばれることはない。そうやってもちつもたれつの関係が出来上がるのだ。

長い間犯罪を扱っていてよく思ったのだが、例えば、万引きをしたとしよう。それだけを見ると軽い態様の窃盗でしかないが(刑法235条。懲役10年以下の懲役又は50万円以下の罰金)、問題は万引きをするに至った背景である。生活の乱れなのか規律を軽く見る性格なのか、はたまた環境が悪いのか。そうした点が改善できなければ、再犯は必至である。それは例えば風邪を引いた時、原因は免疫抵抗が弱っていることの徴表と考えると、結局は体質改善をしなければ本来の治療にならないのと似ている。清原の場合、あまりにお金がありすぎ、寄ってくる人が多すぎ、生活の基盤となる金銭感覚が狂って自分を見失い、生活が乱れ切ってしまったことが背景としてあるような気がする。お金があっても人が寄ってきても、自らを律することができる人は、分を弁え、道を外すことはない。まして普通の生活をしている普通の人が自ら犯罪に手を染め、あるいは犯罪に巻き込まれることは(通り魔殺人などは別として)まずもってないと私は思っている。

清原報道と同時に、上村遼太君殺害主犯少年の刑が懲役9年以上13年以下(一審)となったことについての関係者のコメントもあった。犯罪少年らは規律正しい生活が出来ておらず、親から暴力も振るわれていたという。また被害少年もシングルマザーの母親が5人も育てるのに必死で、子供が一晩帰ってこなくても捜索願も出さず、ほぼほったらかしの状況であったという。父親の暴力で離婚し、島根の島を出て実家近くに引っ越したという一家。そもそもの原因になるはずの父親が「とても許せない」とコメントしていたのに違和感を覚えた。犯罪の背景にあるのはそれを導いた生活態度であることは、どの事件でも変わらないと思っている。

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