広島原爆70周年に思うこと

私は広島市生まれである(現在も本籍は広島県)。亡父や親類からキノコ雲の話はよく聞かされた。父は当時若い陸軍中尉で、一面焼け野原の中を両親や弟妹らを探し回ったという。8人きょうだい(父は姉3人が続いた後の長男)のうち弟妹3人は死亡。父ももちろん被爆者手帳を持っていた。20年以上前に60代半ばで亡くなったが、原爆病と認められて医療費は無料だったように聞いている。

子供の頃、原爆乙女の話をよく聞いた。被爆者の子供が白血病で亡くなる話も聞かされた。私も危ないなと憂えていたのが、今は昔。幸いとても元気で、病気らしい病気もなく、無事還暦を迎えている。心身共に健康であることほど人生で価値の高いことはないと常々思っている。昨夜中野の宝仙寺まで知人の通夜に行ってきた。68歳、膵臓癌だっだという。周囲には60代で亡くなる方が結構おられ、たいてい癌である。癌は早期発見さえできればもはや怖い病気ではないはずだが、出来る部位によっては自覚症状がないことがある。ご本人や家族も無念この上ないが、有能かつ親しい大切な人を亡くすのは周囲の人たちにとっても大きな損失だとつくづく思わされる。

困ったことには、政治が瞬く間に右傾化している。かつてはマスコミや世情に煽られて(なにせ大日本帝国憲法時代であり、帝国主義時代であった)、社会全体に右傾化傾向が強かったが、今はそういう時代ではまるでない。社会も国民もちっとも望んでおらず、それどころか強く反対をしているのに、ひとり政治の中枢だけがなぜだか急激に右傾化をしている感がある。実に不思議なのだが、この方たちは、戦争の悲惨さを、周囲の誰からも聞かされずに育ったのではなかろうか。戦争に行く人はもちろんだが、銃後の市民たちも餓えに苦しみ、自由を剥奪され、親しい家族・友人を亡くし、空襲に逃げ惑い、様々に悲惨な目に遭っていた。そういう話を母や祖父母らからどれほど聞かされたか分からない。戦争は間違いなく市民を不幸にする。

かつて外交官から直接「集団的自衛権は存在するが行使できない」なんてふざけている、そんな先進国は他にないと聞かされたことがある。そんな状態では国連常任理事国にもなれないと。そしてそれこそが今回安保法制を推し進めている外務官僚たちの本心ではないかと思う。でも、いいじゃないですか、二流国で十分です。アニメその他の文化や技術で一流国であればよいのです。人と同じで、国もまた、みなが同じで横並びでなくてもいいのではないですか。それぞれの個性・持ち味を生かした形で世界に貢献できれば。

先の大戦がそうだったように、実際戦争に狩り出され、命を落とし負傷し、餓えに苦しみ、親しい人の喪失に嘆くのは民衆であり、為政者ではない。そして民衆の幸福のためにこそ政治はある。その基本が忘れ去られているように思えてならない。

カテゴリー: 最近思うこと パーマリンク