フランス紙襲撃事件について思うこと

今年に入って世界を騒がせたフランス紙襲撃事件は,結局,死者12人(負傷者11人)に上り,イスラム系の犯人3人は警察に射殺され,一応の事件終結を見た。死傷者及びその遺族の方々には心よりの弔意を捧げる次第である。

犯人の現場射殺,サマリーエクセキューション。欧米ではよく見られ(あるいは他の国々でもそうかもしれない),それによって即時に社会の危険分子は除去されるが,一方,捜査も公判もなされないが故に,犯行の組織的背景や意図などは決して明らかにならない。もちろんその犯人が後に犯行を悔い改めて更生するなど論外である。つまり,日本の警察は,こんなに簡単に犯人射殺には踏み切れない。犯人は生け捕りする,そして事案の真相を明らかにする,死刑にしないのなら更生させる…日本の刑事司法が当然の理としていることである。

死刑に賛成か反対かという議論がある。日本の場合,上記事実を前提にしての議論である。そうではなく,凶悪事犯については即時射殺で構わないのだとなれば,多くの死刑相当事案は,一切の刑事司法手続に乗ることなく,終わる。昨年までの2年来,所属する第一東京弁護士会の委員会で議論を重ね,私が担当するサマリーエクセキューションについて,論考をまとめたものを本ブログに掲載しているので,目を通して頂ければ幸いだ。

今回の事件後,フランス市民の反応も外国の反応も,即時射殺への不満や抗議などなかったように思えた。この後フランスはアメリカと同様,テロとの戦争を宣言したので,本事件については敵は殺害して当然という論拠に立ったと考えられようが,しかし,そうではない一般事件についても即時射殺は通常なされ,さしたる批判は起こっていないのが現実である。このところアメリカで,白人警察が黒人を安易に射殺する事件が相次ぎ,その警察官が不起訴になって各地で暴動が起きているが,そのほうがむしろ例外と言えるのだ。アメリカにおける警察の犯人射殺は年400件程度起きているとのことだ。日本であれば,マスコミは大いに警察をパッシングし,弁護士は国賠訴訟を起こし,警察は謝罪し,懲戒が続くはず。なんという文化の違いだろう。

いずれにしても今後,見えないテロとの戦争が続くことになる。事件が起きて犯人を殺害し,あるいは予防的に拘束その他どんな措置を講じたとしても,それはモグラ叩きにしかならない。平和とは戦争のないこと。人類は叡智をかけて進歩してきたはずだが,その実決して進歩などしていないように思えてならない。悲しいことである。

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