裁判員裁判を傍聴して

以前より裁判員裁判を知らなくてはと思っていた。普通の刑事事件はもちろんよく知っているが裁判員裁判だけは21年の施行なので携わったことがない。刑事事件もたまには頼まれてやるけれど、殺人や強盗致傷などの裁判員裁判対象事件を頼まれることはほとんど望めない。そのために法テラス登録をして受任をと考えたこともあったが、裁判員裁判は(報酬も高いらしく)志望者が殺到してとても回ってこないという。

しかし学生に刑事訴訟法を教える手前、やはり公判の進め方・雰囲気くらいは知っておかないとと思い、仕事の合間を縫って3度、それぞれ短い時間だけども傍聴に行ってみた。行くと行かないとでは大違い。とりどりの私服を着た男女の裁判員がずらっと並ぶ法廷、スクリーンがあり裁判官・裁判員の前にモニターもある法廷を目前にするのは初めてである。もちろん公判前準備手続は非公開なので知ることはできないのだが、その結果報告は右陪席からなされたし、様子は想像できた。

結局のところ、素人裁判官にいかにうまく訴えることができるか、ひとえに検察官も弁護士もその出来にかかっているといってよい。パワーポイントを使ったりの工夫もしているし、お金も手間もかかっているが、要はいかに熱意をもって分かりやすく素人に伝えることができるか、つまりは裁判員のハートに訴えることができるか、なのだと思った。声が小さすぎてよく分からない弁護士がいたが、これなどは論外だ。若くて普通の刑事事件の経験もあまりないなという弁護士に弁護をされる被告人も気の毒である(とは裁判員傍聴経験多数の某新聞記者が言っていたことだが、納得した)。

裁判員は裁判官と共に事実認定にも量刑にも携わる。誰であっても慣れないことだし、とはいえ他人の人生に真剣に関わることなので、ほとんどの人は真面目に取り組み非常に悩むであろうから、本当にご苦労様である。陪審の先進国アメリカでは事実認定は陪審(たいてい12人)の専権だ。面倒なので忌避する人も多いとはいうものの、陪審は民主主義には欠かせない制度であり、自分たちから奪うことのできない権利だという社会のコンセンサスがあるから決してなくなることはない。

アメリカでは約9割の刑事事件が司法取引で終わる。それが裏だとすると、表は民主主義の砦である陪審であり、陪審制度があるからこそ司法取引が出来るのだという。この点『入門・アメリカの司法制度』(丸山徹著)に詳しく、目から鱗だった。著者は共同通信記者でアメリカに長く法廷傍聴を重ね、事件の当事者らにもインタビューをしているから中身が濃い。刑事事件では無罪だったのに民事事件では賠償命令が出たOJシンプソン事件と服部君事件の詳細も分かり、非常に面白かった。

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