生殖医療・裁判について考える

今年もいろいろな裁判がメディアで報道された。大きなところでは,非嫡出子の相続分を嫡出子の半分とする民法の規定を違憲とする最高裁判断によって民法の改正がなされた(自民党内部で改正に異議を唱える声が多かったとも聞くが,個人の信条はともあれ,違憲立法審査権ないしは司法権の優越といった,憲法ないし近代法の原則を知らないというべきだ)。また,衆参選挙の定数不均衡が各裁判所において違憲状態ないし違憲と判断されている。

珍しい判決もある。性同一性障害の女性が性を変更(戸籍を変更できる法律は10年以上も前に出来ている),女性と結婚,女性は人工授精で子を産んだ。夫婦の嫡出子として出生届を出したが役所は拒否,夫婦が裁判に訴えたところ,地裁高裁はこれを認めなかった。それを最高裁が覆したのである。5人の裁判官のうち賛成は3人,反対2人,実に際どい判定である。おそらくは別の部で審理をしていたら棄却のままであった可能性も高い。

これはまさに個々の裁判官が有する価値観による。民法上,戸籍上の夫婦の間に産まれた子供は広く嫡出子の推定を受ける。子供の福祉を考慮しているのである。故に,他人の精子を人工授精した子供だったり妻が不倫をして出来た子供でも,夫婦の嫡出子として戸籍に載る。性同一性障害夫婦についても戸籍上の夫婦であることを大前提にすれば,子供は嫡出子の推定を受けるということになる。しかし,である。民法はそんな夫婦を予期していなかった。人工授精にしても同じだが,しかしこの場合夫に生殖能力がないかどうかは他からは分からない。夫婦ないし家族の秘密に属する事柄なのである。だが性同一性障害の場合には,絶対に夫の子供ではありえない。そして子供もいずれはその事実を知ることになる。お決まりの,私の父親は誰??ということになるのである。そのことを考えると,答えは否定になると思われる。

私の考え方も後者である。しかし,もっと考えてみれば,性同一性障害の戸籍変更を認めた時点でこんなケースも想定されていたのではなかったか。それについてはどうする予定だったのだろうか。裁判所の判断(というのはいつもその性質上後からくるものである)に任せるというのではあまりに無責任なように思われる。夫婦別姓審議の合間を縫って,こちらの法律はするっと通ってしまった。あまりに少数派に属することは国会は案外簡単に通すのよねという声も当時聞かれた。問題を積み残して拙速に事を進めたようにも思われる。

もっと考えると生殖医療が民法よりもはるかに進みすぎて,どうにもならなくてなっているような気がしてならない。人工授精もそうだけれど,体外受精・いわゆる借り腹出産だって始まっている。子宮をなくして自分では産めないが,自らの卵子を使って夫婦の子供を他人に産んでもらった向井さんは子供の母親とは認められず(養子縁組をしなければならない),明らかに他人の卵子を使って自分で産んだ野田聖子議員は何の問題もなく母親と認められている。

父親については認知を定めながら,母親については出産で一義的に定まると考えていた民法の規定はもう実態に合わなくなっているのである。その判断を医療現場なり裁判に委ねるのではなく,抜本的に立法で考えなくてはいけない時代に入ってきているように思われる。

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