人生について考える──70歳引退を実現、耕作に勤しむ元弁護士

先週末、伊東に2泊してきた。初めての踊り子号は、東京・伊東間を約1時間40分で結ぶ。

知り合いの弁護士が70歳で引退すると言っていたのを、2年前、本当に実践した。引退するとかしたいとか言う人は多いが、実際に実行した人は私の周囲ではたぶん初めてである。なにせ定年のない職業だ。引退したいが、なかなかやめられない、やめさせてくれないと皆言うのである。

「偉いですね」と言うと、「どこかでは踏ん切りつけないといけないから」との淡々とした答え。裁判官の言うことが聞きづらくなったことも決心を強めたという。引退の1年半前から新件は受けず、事務所の経営は大変だったという。その頃伊東に土地400坪を購入、家を造り、時々出かけては耕作をしていたという。東京から出るのを渋る奥様にはゴルフ会員権を買ってやると言い、どうにか承諾させたとのこと。もともと仲のよい夫婦なのである。そして70歳、弁護士登録を抹消。

高台にある自宅は見晴らしがよく、遮るものがないので風が通り、夏でも冷房要らずである。時に扇風機をつければ十分だ。蝉の声、鳥の声、そして木々たちのそよぐ中で、風鈴がちりんと、なんとも風流な音を立てる。こんな音は何年も聞いたことがない。専ら自作の野菜を奥様や自らが調理し、来客と和気藹々歓談しながら酒を楽しむ。夜は早く床につき、朝は早くに起きて犬と散歩、農作業に勤しむ。都会の喧噪を離れたスローライフでは、時がゆっくりと過ぎていく。そう、英語では人生も生活も共にlifeだった。生活を楽しむこと、それが人生を楽しむこと。

この話をすると、ほぼ例外なく羨ましいと言う答えが返ってくる。それは理想の生活(人生)だけど、でも経済力がいるよね、妻はついてこないしと(笑)。対極の生き方は生涯現役である。その中には体調が悪いにもかかわらず仕事で死ぬのが本望とばかりに続け、周りに迷惑をかけた人も何人か知っている。経済的に仕事をやめられないのでなければ、仕事を続けるか否かは本人の生き方の問題であろう。残りの人生、仕事以外にしたいことがあるのか否か。やっておかないと後悔することがあるのか否か。もしそれがnoであれば、健康である限り、仕事は続けることになるだろう。

もし答えがyesであれば、いつかそのうち、ではなく、体力気力のまだあるうちに自発的に切り替えるべきであろう。それが一体、あるのかないのか。自分は何がしたいのか。人生やり残しがあったと死ぬ間際に悔いないか。そろそろそれを真剣に考えなければならないのではと思わされた週末であった。

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