スポーツ界暴力問題に思うこと

 このところスポーツ界での暴力問題が続発している。大阪市立桜宮高校のバスケットボール部主将の自殺に続いて(トップである橋下市長がすべきことはまずは謝罪であって,予算や人事権を人質にとっての受験停止はお門違いである。),今度は日本のお家芸である柔道,しかもトップのオリンピック女子代表選手である。

 15人が全柔連に続いてIOCに必死の覚悟で訴え出たことによると,監督から殴る蹴るはもちろん,「死ね」とか「お前はいらない」といった暴言を日常茶飯に受けていたという。生殺与奪の権を握る監督に逆らえない選手らがこの訴えをするまでにはどれほどの勇気がいったことだろう。情けない話である。トップレベルでこれである。スポーツの目的は,単に体を鍛えることだけではなく,それを通して精神を鍛え,豊かな人間を作り上げることにあるはずなのだ。フランスでは柔道が最も親しまれるスポーツでどこの町にも柔道場があり,スペインではそれが空手だというが,スポーツをすることが特別な種類の人のものではなく等しく誰にもあるのは,それがリベラルアーツ,つまり教養の一環だからである。

 一日の全時間を勉強だけに打ち込んでいたら,どうなるだろうか。マニュアル的な試験には合格するかもしれないが,その先は真っ暗である。応用は効かないし,そもそも人間としては使い物にはならないだろう。同様に,一日の全時間を運動だけに集中させていたら,今度は頭でっかち人間の反対人間ができるだけである。人はバランスで成り立っている。昔から言う文武両道。山中教授も高校では柔道,大学ではラグビーをやっておられた。だからこそ試練に耐え,逆境にめげず,ユーモア精神に溢れ,他者には寛容な素晴らしい人間性が作られたのだと思う。

 今日内柴被告に懲役5年の実刑判決が下された。知る人ぞ知るオリンピック柔道の金メダリストが,あろうことか準強姦罪(相手が飲酒酩酊状態。法定刑は強姦罪と同じ,3年以上の有期懲役)で逮捕された事件である。合宿中に教え子とセックスをした事実は認めながら,合意の上だったと一貫して否認,無罪を主張していた。こういうのをまさにスポーツ馬鹿というのであろう。まず,自分の立場が分かっていない。教え子を守るべき立場であり,酒を飲ますことすらよくないことである。もちろん交際をしていたわけでもなし,そもそも妻子持ちなのだからその資格もない。報道によると,その日被告は別の教え子ともセックスをしたという。誰もが訴え出ないから闇の中に葬られていたのを,勇を奮って訴え出た女性がいたために明るみになった。この種事件では被害者は世間の好奇の目にさらされ,非常に傷つくのだが,教え子を追いこんだことへの配慮も反省も一切ない。それが求刑通りの判決に表われている。

 スポーツ界は選手も指導者も,本を読むこと,勉強することが奨励されるようにならなければならないと思う。スポーツしかしてこなかったいわゆるスポーツ馬鹿がトップにも上りつめ,それを当然のように下にも強いるとしたら,スポーツの位置づけも非常にネガティブなものとなってしまう。国際的にも遅れを取っていると言われても仕方がない。

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