死刑廃止、大王製紙・オリンパス事件について

 先般、神奈川ロージャーナルという雑誌(神奈川法科大学院の雑誌)が送られてきた。その中の論文「法科大学院教育と死刑存廃論」の著者荻原金美名誉教授(弁護士)の贈呈である。面識はないが、論文に私のホームページから引用した部分があったので送って下さったようだ。この方は死刑廃止反対の立場である(もちろん私もそうである)。

 諸外国では、summary executionは警察官による現場執行として普通になされている。要は犯人射殺である。これを私が「簡易死刑執行」と訳していたのを引用されたのである。正しく訳せば略式執行であろうが、略式という以上は正式なものがあるはずなので(例えば罰金徴収の際の略式手続というのは正式起訴の対概念である)、あえてそうは訳さなかった。つまり死刑を廃止しても現場で簡単に犯人を殺害してしまうのであれば、死刑存置と変わらない。それ以上に、戦争による殺害を容認しながら、死刑廃止を言うのはバランスを失し過ぎている。ビンラディン殺害が正式な司法手続きを踏まない簡単な死刑執行でなくて何だというのであろう。この疑問はずっと頭から離れない。

 さて、このところ続けて起こった大王製紙事件もオリンパス事件も、公私混同という根っこは同じだと感じる。会社は自分のもの、会社の金は自分の自由にできるものだとの勘違いだ。後者の罪がより大きいと感じるのは、前者はあくまで個人の犯罪で容疑を認めてもいるが、後者は組織的なうえに、イギリス人社長に問われて首にし、記者会見までして開き直った経緯があるからだ。物づくりの会社は本来、より良い物を作り出していくことにこそ存在意義がある。技術者たちの日夜の努力で国際的企業になったのに、勘違いの一部経営陣によってこんな不名誉なことになってと、同情に耐えない。きっちりと捜査を尽くしてほしいと願う。前者にしても、ひとりラスベガス賭博に使ったのではなくその背後に甘い汁を吸った有象無象の輩がいるのだから、それをきっちりあぶりだしてもらいたいと思う。

 同時期に発生した巨人の内紛は、この2つとは次元が違う。いくらナベツネの横暴が目に余るとはいえ、所詮は人事の問題であり法規違反でも何でもないのだから、内部で処理をすべきことである。代表取締役にさえ伏せて、一挙に記者会見に打って出る手法はまさに暴挙であり、解任されても仕方がないと思う。また、場所を提供した文部科学省も見識を問われる。文科省の会見だからと記者も大勢集まったのだから。

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