歴史教育の必要性を思う

 今年は12日から21日までの10日間を夏休みとした(たぶんその間にも事務所に出てくるとは思うが)。昨夏は公職選挙法違反(参院選)を抱えていて、被疑者に会えるのは私だけ(接見禁止がつくと、本の差し入れも弁護士しか出来ない)、なので猛暑の中、竹下通りを歩いて原宿署に通いつめた。休みはほぼなかったので、今年休めるのは嬉しい。

 暑いといえば、今、インド系イギリス人作家サーマン・ラシュディ(「悪魔の詩」で知られる)著「ムーア人の最後のため息」を読んでいる。大学時代の読書家の友人(時々、彼の作をこのコラムにも載せている)がオランダの空港で買ったと言って、送ってくれたペーパーバックは450頁近くあり、活字もとても小さい。インドが舞台の近代史で、ネールやガンジーはじめ様々な歴史上の人物まで登場して、実に面白いのだが、紀元前まで遡って宗教や人種間の複雑な歴史的事実が様々に出てくるので、時々さっぱり分からない。英語以前に歴史の知識が不足していると痛感する。欧米の知識人(あるいは普通レベルでも?)には常識的なことなのであろうが。

 しかし日本人だから、世界史は無理でも日本の歴史は知っているのだろうとなると、実はこれが怪しいのである。日本人は日本のことを知らない(世界のことも知らない)。最近たまたま人から頂戴したので、藤原正彦著「日本人の誇り」を一読した。以前ベストセラーになった「国家の品格」と路線は似ているが、これは明治維新以降の近代日本史を主に扱っており、歴史本といってもよい。

 私たちは悲しいかな、世界史はおろか日本史をさえろくに学んではいないのである。私の場合は偶然にも国会議員になったことで、無知を悟ることとなり、衝撃を受けて多読したので、普通の日本人よりは知っているだけである。侵略の日本、謝罪の日本としか学んでいない多くの人々には是非この本、あるいはそうした本はたくさんあるので是非読んでほしいと思う。歴史や文学、哲学といった基礎素養が日本の知識層に欠けるのは、戦後日本の教育のまさに最も大きな弊害の一つであると思っている。政治家の資質がどうというより、日本に知識層が育たなくなっているのである。

 

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