一息ついています。今、プロ野球交流戦が面白い…

検事が「請負業」だと言うのは、来た事件をこなせばよいからで(特捜部は別)、たまたま事件が起こらず暇でも、給料は同じ。対して弁護士は自由業なので、事件がなければ暇でいいよね、なわけは全くないのだけど、ずっと忙しくては(忙しい=収入が良い、ではない)心身がもたない。なにぶんストレスのかかる仕事ではあるので、一段落ついてほっとするときが、本当に嬉しい。今日がまさにその日。メールを書き、たまった法律雑誌などを読んでいる。ロケーションの良い、片付いた事務所でのんびりしているのは至福である。

青木幹雄氏が亡くなった。89歳。人間として筋の通った、とても気遣いの出来る立派な方であった。先日、前国会議員会(自民党本部)で座った席の、たまたま向かいが森元総理だったのだが(この方が出席されるのは珍しい)、「佐々木さんは変わらないねえ」「素敵な帽子だねえ(ドイツ製のグレイの帽子)」と滑らかな口は相変わらず。参議院を辞めてもう19年になるのに、いろいろと覚えて下さっているようだ。前より痩せておられたが(癌から生還されたのだ)元気であった。「国技館で時々お見受けします」と言ったら、「そんなに行ってないよ」と。私も一場所1?2回でそんなに行っているわけではないから、言われてみれば、ただ印象に残っているだけかもしれない。

土曜(10日)はロッテ・カープ戦(デイゲーム)を見に、千葉マリーンズまで行ってきた。セパ交流戦の同一カードは年3試合のみ。昨年も来年もマツダでの開催だから、今回は貴重な機会だった。2万8000人余で満員御礼。その半分が見事に赤に染まっている。はるばる広島から来る人もいるだろうが、大方は関東在住のカープファンではないのか。統率が取れて熱狂的なのはセリーグ応援団随一。ロッテ応援団もパリーグ随一なので、応援合戦も試合以上に見応えがあった。大相撲しかり、スポーツはやはり実物を見るに限る。

互いに点を取り合う面白い展開だったのだが、結局カープのサヨナラ負け。同点の9回に不調の栗林を出したらそりゃそうなるよね、と読めた結果だった。そもそも8回のターリーがロッテ打線に1点取られて同点にされたわけだし、それまでに何度もあった好機に点を取り損ねた当然の結果ともいえた。翌日曜(11日)に登板する佐々木朗希はこれまでホームでの失点ゼロだったが、カープはきっと打つよねと思っていた。テレビ観戦も出来ず、あとで知ったのだが、被5安打(阪神は1安打)。朗希はギアを上げて165キロの速球も投げたが、結局は167センチの羽月に粘られて9球目、ヒットを打たれてカープに2点が入った。応援団がどれほど盛り上がったか、現地を見ただけに、想像が容易だった。結局6対5の接戦でロッテが連勝したが、カープの粘り強さは、ロッテ関係者ばかりか全国に大きくアピール出来たことと思う。

カープはこの3年間、交流戦は最下位に甘んじている。18試合中、僅かに3勝だったりする。今年は12試合消化して6勝(日ハムに3連勝)。今日からホームマツダでの楽天・西武戦である。今年はセパ各球団の実力が拮抗して、抜け出している球団もなく、1位から最下位までさほど変わらない勝ち数なので、どこが優勝するか全く読めない。とはいえ、全体的に言えることは、打撃はセリーグのほうが上である(3割打者はセには何人もいるが、パにはほぼいない)。野球という競技は投手力(そしてもちろん守備力)がものを言うので、先発・中継ぎをどううまく回していくか、故障させないか。それが監督の腕の見せ所になるのであろう。カープとロッテの善戦を祈っている。

小川洋子さんの『ことり』を通勤途上に読んだ。鳥かごを抱えて死んだ「ことりの叔父さん」の一生。鳥語しか話せないその兄との2人の生活。変わらない、平々凡々とした毎日が、2人にはこのうえない幸せで、それ以上望むことは何もなかった。『博士の愛した数式』の著者が綴る静逸な文章はゆったりと流れて、美しい。時が止まって、涙が溢れた。そう、変わらない毎日ほど幸せなことはない。今日も帰って幸せなテレビ観戦である。夕食を何品か作る。最近はすっかり野菜主体だから、体重も増えず、体調も良い。

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解散は先送り…? 少子化に思うこと

広島開催サミットで存在感を示した首相は、その勢いで解散に踏み切ると言われていた。だが首相公邸でのハチャ、メチャ忘年会の模様が週刊文春で暴露された結果、支持率は当然のように下がり、首相は、秘書官に任命していた長男の更迭に踏み切った。しかしこの忘年会は息子が勝手にやったわけではなく、主である首相もいたし(夫人も)、となると息子に責任を被せるのもどうかと思うし、結局のところ公邸に招待する客を厳選していなかったことなど、危機管理態勢が問われるわけである(首相動静には「来客なし」となっているらしい!?)。写真などはスマホで簡単に撮れるし、、録音も出来るし、どうとでも編纂できるし、軽い人は軽い乗りで人に送るから、拡散は簡単である。その際、週刊誌がネタをすぐには出さず、何かの折を狙って出すのは常套手段である。

とにもかくにも、支持率が下がったことを受けて、今国会中(?今月21日)の解散はなくなったらしい。総裁選は来年だし、有力な対抗馬もいないし、前回総選挙からまだ2年も経たないし、やるとしても来年でいいだろうと思うが、わりとすぐ、秋の臨時国会時だとの憶測が流れている。首相の最大の権力は解散権(衆院議員の生殺与奪の権限)であり、それにいったんとりつかれるとどうしようもないのだとも聞く。

さて先般、少子高齢化について講演をする機会があったが、日本の出生率はついに1.3を切ったそうだ(一番低い韓国は、0.8!)。2.0を上回らなければ人口は減少するが、昔と違い、医療も経済状態も良くなって子どもは死ななくなったからさほど産む必要もないし、女性の高学歴が進めば女性はあまり子どもを産まない。故に、先進国はどこも軒並み少子化であり、2.0を超えているのは後発国ばかりである。男女平等、高福祉の北欧ですらその例外ではなく、事実婚にも同じ恩典を与えたフランスでは一時出生率が2.0を上回ったと喧伝していたが、最近はやはり1.8程度である(しかも移民の子どもが多い)。一人っ子政策を7年前に止めた中国も少子化は止まらず、今や人口ナンバー1はインドになっている。後発国でも医療や経済状況がよくなれば、そして女性の地位が上がれば少子化に転ずるだろうし、全世界的に今後少子化は止まらないと思っている。まずその現実をしっかりと受け止める必要がある。

特に日本の場合は、結婚しなければ子どもを産まないので、未婚化が少子化に拍車をかける。生涯未婚率(50歳時未婚率)は今や男性30%弱、女性20%弱という高率である。なんと男性の3分の1が未婚なのだ!(50歳以降に結婚したとしても含めない)正規労働でないと年収も低く、結婚できないので賃金を上げろ、という話ももちろん出るのだが、反対に女性は、正規労働者の未婚率は4分の1(非正規は10分の1)と上がるところを見ると、食べていけるし結婚しなくてもよいと思う女性が増えていると思われる。

とにかく社会の価値観が大きく変わっているのである。かつては結婚しなければ男女とも一人前ではないとの社会のプレッシャーがあったし、お見合いの世話を焼くおばさんがどこにでもいた。だが、今やそんな人はほぼ絶滅したらしく、学校か職場か、あるいはどこやらでとにかく知り合わないと結婚には結びつかない。かつて男性が単身赴任をすると食事に困ったが、今やコンビニがどこにでもあるし、ネットその他ひとりで楽しめることがたくさんあって、結婚しないと孤独に苛まれるということもない。どころか、結婚すると互いの両親親類との付き合いも面倒だし、家族に時間もお金も取られる。子どもの教育資金は恐ろしくかかるし、苦労して育てても、もちろん老後の面倒を見てもらえるはずもない。もともと結婚は若い時は苦労が多くても「老後のための保険」であったはずだが、3組に1組が離婚する時代では、そのメリットも少なくなっているであろう。

社会のプレッシャーもなく、経済的要因もないのだとしたら、結局のところ、よほど相手を好きにならなければ結婚しないのではないか? 結婚しなければ子どもは出来ない、となると少子化は必定である…。ちゃんと結婚している周囲の人たちを見ていると、その両親が幸せな結婚生活を送っていて、ロールモデルになっているケースが多いように思える。両親が不幸な結婚生活であれば、あえて結婚したいと思わなくても当然であろう。結婚が当たり前ではなくなったこの時代、離婚もせずに最後まで添い遂げるというのは、今はそれだけでなかなか立派なことであろうと思う。

とにかく、若い男女が結婚したいと望む世の中にしなければ、少子化は進む一方である。多様化の時代、選択肢はできるだけ多く…。夫婦選択的別姓はその一環であるのに、しかも単に形式のものであるのに(同性婚を認めるかどうかは実質的な問題である)未だに執拗な反対論があり、長年何も進んでいないのは、一体どういうことだろうか。先月、やたら寒かった日に、朝日新聞記者の取材を事務所で受けたのだが、この7日(水)リレーオピニオン欄に載るので、機会があれば、お目通し願えればと思う。

夫婦選択的別姓の趣旨についての説明がそこにないのは、朝日新聞では折りに触れて記事にしているからだという。私のホームページでもかつて書いたので、検索をかけてもらえればよい。夫婦同姓を強要しているのは、すでに世界で日本だけである。そもそも明治になるまで殆どの人には姓はなく、戦後は家制度も解体して個人同士の結婚になっているのに、本来個人のものでしかない姓をなぜ結婚を機に相手と同一にしなければならないのか。結婚しても名前は何も変わらないという法制も当然あるのに(韓国や中国はそうである)、愛する伴侶と同じ姓にしたい人にはその選択を認めるという自由な法制に何が不満があるのか、さっぱり分からない。

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『夫の暴力、暴言にこれ以上耐えられません。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2023年6月号

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5月になりました。国政補選・統一選挙に思うこと…

無事5月である。いろいろあったが先週中になんとか済み、今日はわりとのんびりしている。明日も事務所に出てきて、3日朝から尾道帰省である。天気が良いので嬉しい…。先ほど久しぶりに事務所から外に出たら、いつの間にか新しいコンビニが出来ている(初めて聞く名前だがイオン系だそうだ)。コンビニは同じ通りにすでに2つあるし、通りを挟んでも1つあるし(スーパーもある)、これで経営は大丈夫かと他人事ながら心配になる。自宅周りもコンビニはありすぎるほどあるうえ、大型スーパーも3つもあるのだ(まもなくもう1つ出来る)。

用事が溜まっていたので先週末29日(土)、新橋から銀座中央通りに出たら、交差点角のビルが壊されていて、前に何があったかとんと思い出せない(そういうことはしょっちゅうある)。5丁目のニューメルサがイグジットメルサに変わっていて(銀座1丁目のメルサは閉店になった)、ざっとビル内を探検した。そのあと有楽町まで歩く。JRに乗って東京駅に出たらいつもと違う所に出たらしく、見慣れない構内である。出口になかなかたどり着けず、かなりの運動になった。東京に一応は慣れた私でこれだから、地方から来る人などはきっと迷ってうろうろすることだろう。とにかく東京は歩くことが多い。

もうだいぶ前だったような気がするが、大型選挙の後半戦は先月23日(日)だった。区議選が行われ、私は前回までとは違う、知人に頼まれていた区議に投票した(どちらも当選)。いつも思うのだが、区議が我々選挙民の前に出てくるのは4年毎の選挙の時だけである。区長は見たことがない。4年の間に何をしているのか、さっぱり分からない。それはマスコミが関心をもって報道しないからだと言う人がいるが(地方ではもっと報道されているはずだ)、私はかねて、地方議員にそんなにやることがあるだろうかと懐疑的である。国会は法律を作るが、地方では作って条例で、その数たるや圧倒的に少ない。予算をどう使うかで議会は開くが(委員会もあるはずだが)、一体年にどれほどの期間開かれているのだろうか。どんな審議がなされているのかも分からない。

地方議員の数はその自治体の条例で定まっている。人口6万6000人しかない千代田区の議員定数は25人。獲得投票の一番少ない議員はなんと500票台である!一方、人口25万人の港区の議員定数は34人。こちらは1200票程度は必要である(もちろん世田谷区など人口の多い区ではもっと必要になる)。そして、議員年収は、大体1000万円と言われている。フルタイムで働いても高収入なのに、それほど働くべきことはないはずで、副業を持っている議員も多い。そして4年毎に必死に選挙運動をすればあと4年は安泰とくれば、なかなか良い話ではないだろうか。

もちろん、票数が少なくて済むのは、投票率が低いことと無縁ではない。大体40%程度である。行っても行かなくても変わりはしない…頼まれているから、知った人だから、選挙に行く、という人は多いと思われる。なにせ地方選挙である。誰が代表になったからといって暮らしがそう変わるとは思えない。

国政補選は全国で5つ。衆院が千葉、山口2区・4区、和歌山の4つ、参院が大分県選挙区。うち和歌山と大分は野党現職だったから、岸田政権としては現状維持の3つ取れればよく、結果としては僅差で大分も取れたから勝利である。広島でのサミットが今月開かれ、その成功を手土産に、岸田さんは今国会中の解散総選挙に踏み切ると言われているが、果たしてどうだろうか。いずれにしても前回の総選挙は一昨年10月だったから2年も満たず、あまりに早すぎると思われる。任期は本来4年なのに、平均して2年半?2年10ヶ月程度である。選挙はそれ自体で大変金がかかるし、世襲など選挙に強い候補は別として、みな選挙区を向いて政治をやることになり、本末転倒ではないかと、かねがね思っているところである。

そう、世襲の問題も今回大きくクローズアップされた。山口の新人候補は、巨大な政治家ファミリーの出である。伯父(元総理)は昨年選挙戦の際凶弾に倒れ、父は体調不良により現職を早く引退して息子に譲った。「息子に跡を譲りたい」と軽く口にしたことで叩かれたが、それほど彼らにとっては当然のことなのだ。中小企業や家内工業はよく世襲で継がれるが、大企業ではよほど個人として優秀で、他から見ても納得できる人事である必要がある。とにかく能力の伴わない放漫経営では競争に勝ち残れず、潰れてしまうのは当たり前のことである。

国会議員の場合、経営者とは違い、議員は数の一人に過ぎない。優秀でなければ党内でも政権内でも良いポストは与えられないにしろ、選挙にさえ当選すれば、失職はしない。「その他大勢」でいる分には、選挙にさえ通ればよいのである。中選挙区の時には、自民党候補が複数立候補するから選挙民は優秀なのを選び、でないのを落とせばよかったのだが、小選挙区ではそうはいかない。自民党候補がどうしようもなければ野党候補にするか、とはならないし、そういう場合は棄権をすることになる。その結果が投票率の大幅な低下である。およそ6割が選挙に行かないとなると、残り4割のうちの過半数、例えば全体有権者の4分の1の得票でその選挙区を取ることができるのである。これは選挙民を代表している数字とはとても思えない。

そもそも小選挙区制はイギリスに倣ったものだが、イギリスは世襲は認めない。子弟が選挙に出ることは出来るが、別の選挙区からであり、それは党が決める。そしてまた比例区はなく、すべて小選挙区である。日本のように、落としたはずの候補がまた受かっているというようなことはありえないのだ。日本は制度を変えるのに、まさにいいとこ取りをしたわけだ。これでは新陳代謝が図られない、もとの中選挙区制に戻すべきだとはよく言われるが、市会議員や区議会議員より狭いような選挙区で戦える現行選挙制度は、お金がかからない。事務所もスタッフも少なくて済むからである。中選挙区の時の5分の1位で済むそうだから、国家議員自身が元に戻そうとすることなどおよそ考えられないのである。

『世襲』(中川右介著)を一読した。政治、企業、歌舞伎の世襲をよく調べて書かれてあった。かつて自民党総裁・総理は世襲ではなく東大卒官僚出身が普通だったが、世襲になってから東大卒はなくなり私大卒ばかりだとのこと。中には職歴もない人までいるそうである。

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『終活を始めたいのですが、自宅の扱いについて助言をください。』

自由民主党月刊女性誌『りぶる』2023年5月号

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