年の瀬になりました

このところとても慌ただしい。12月故行事が多いのは毎年のことながら、忘年会も少し復活したし、飛び入りの仕事も入ってくる(ああ、頭を使った!)。週末も仕事その他で何やかやと出かけていて、一日中家で休めるなんてことは、とんとない。周りの皆さんに「先生、元気ですねえ」と言われ、そう言われれば確かに寝込むこともないし、コロナ態勢のお陰で?この3年風邪さえ引かないけれど、やはり加齢に伴って体力は徐々に落ち、筋肉量も少なくなっている。自然に逆らわず、無理をしない…とはいつも心がけていることである。

当事務所は明日で終わり。翌28日から尾道に帰省し、来年1月2日に戻ってくる。4日から平常通りである。あまりにもやるべきことが多すぎて、本当に明日で終わるか不安だったが、大丈夫だった。私の一番の能力は事務能力の高さだと言う弁護士仲間がいて、自分ではよく分からないのだが、とにかくやるべきことに優先順位を付け、それに従って、一つ一つ片付けていくのが好きである。快感だといってもよい。結果、仕事がついつい溜まって…仕事に追われて…がないのは有り難い。

しかし一つだけ積み残したことがある。賀状書きだ。去年、思い立って、大幅に枚数を減らした。長年、住所も中身も印刷して、ちょっと添え書きをする程度の儀礼を続けてきたが、これって、何か意味がある?と感じていた。親しい人たちとはメール交信したり会ったりしているから、そもそもそんな儀礼は不要である。郵便局に乗せられたこの風習、いい加減に見直さないとなあと思ってきた。そして去年、相手を厳選して、住所も中身も手書きにしたのである(自宅と事務所のスタンプを使い分ける)。時間はかかるが、相手の顔を浮かべて文言を考えるので、やる意味があった。これを今年もやるつもりだったのだが、てんでやる気にならない。なぜだろう?──ウクライナ戦争だ!今この時にも明日の命も知れず国と家族のために戦っている人たちがいるのに、「旧年中は大変お世話になりました。今年もどうぞよろしく」なんて呑気なことを書いてはおれない。年賀にするか寒中見舞いにするかは別として、本来のやり方である、ちゃんと新年を迎えて書くことに決めた。決めたら、気持ちがすっきりした。

今年も親しい友人知人を、何人か亡くした。最後が陶芸家の川松弘美さん。東京芸大卒で、繊細な花の色絵磁器を作ってこられた。40代後半、乳がんに罹患して一つを切除、10年後に再発してまた一つ切除、その後乳房再建手術に失敗して…という顛末もおおらかに語っていた。とても楽しい人で、また一緒に食事をしてお酒を飲んで、という日が来るのを心待ちにしていたが、今月17日ついに帰らぬ人となった。享年68歳。24日世田谷での告別式に伺ったら、たくさんの方々がお見えで、明るく優しかった故人を追慕していた。彼女のリクエストで8月に送った西瓜のお礼にと、私の華やかなイメージに合うよう描いたという桜の絵柄の湯飲みが届いたのは今月5日。丁寧なお手紙つきで、まだ当分はお元気でいて下さると思っていたのだが。

告別式の帰りたまたま駅まで一緒に歩いた女性と、駅前の蕎麦屋でお昼をご一緒した。木村久美子さん、東京芸大卒で今82歳。フラスコ画の分野で今も個展を開いておられる。やはり癌を患ったけれど生還したことなど、波瀾万丈の人生を語ってくれた。そうしたことを夜、今故郷に帰っていて告別式に出られなかったという、30年以上親しい陶芸家(男性)に電話をして、1時間ほど話した。彼いわく「弘美が一番の親友。弘美がいなかったら今の自分はなかった」。狭い東京芸大仲間なので木村さんのこともよく知っていて、きっと弘美が引き合わせたんだねと。私には芸術の才は全くないのだが、作品を鑑賞するのはとても好きで、作家の方たちと話をするのは自分の世界も広がるようで、格別に嬉しいことである。

亡くなった方たちのご冥福を心よりお祈りします。そして、来年こそはウクライナ戦争が終わりますよう、心から願ってやみません。

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